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草を食む文学者・補遺

 昨日の上記記事を送信した後、紹介したからにはきちんと読んでおくべきだと思い、書店に立ち寄って四方田犬彦『大泉黒石 わが故郷は世界文学』を購入した。まずは何気なくあとがきに目を通していると、前記事で引用した黒石のプロフィールのまとめ以外に、私にとっていくつかの興味深いエピソードが記されていたので、以下に摘記しておきたい。

『大泉黒石全集』刊行の経緯
 1980年代、ある出版関係のパーティーで緑書房の中村利一社長と、四方田氏の恩師でもある由良君美教授が出会った。ともに終戦時に10代で、年齢は一つ違いだった。その際、戦時下の食糧事情の悪さに話が及んだとき、黒石の『草の味』の話題になった。二人はともに、同書を戦時下で実用書として真剣に読んだという共通点があって意気投合し、その結果、当時文学とはそれほど縁のなかった緑書房から『大泉黒石全集』が刊行されることとなったという。
 なお四方田氏は『草の味』について、単なるレシピ集ではないと評価し、一見時流に沿って代用食を勧める書物に見えながら、実は戦時下の刺々しい世相を厭い、大地自然のなかで悠々たる生活を説く書物であり、トルストイや老子哲学の影響がみえるとしている。

「評伝」と鶴見俊輔との関係
 199年代初頭、四方田氏はある出版社の編集者から黒石の評伝を書いてみないかと持ちかけられたことがあった。当時の様々な状況から断らざるを得なかったが、四方田氏を黒石評伝の著者として推挙したのは鶴見俊輔だったことが後にわかった。鶴見は『ドキュメント日本人』に黒石の「俺の自叙伝」を収録していた経緯があり、四方田氏によれば、「黒石復権に最初に功あった人」である。
 黒石のような「アナーキー」な存在を鶴見さんが放っておくわけがないと思っていたが、やはり掘り起こしていたのだった。『ドキュメント日本人』はだいぶん昔に目を通したような気がするが、その時には黒石の記述には目も止めなかった自分の不明を恥じる。

黒石の子孫と文学者たち
 四方田氏はロシア文学者の清水正教授(前回の記事で紹介した本書の感想記事をいちはやくブログに挙げておられた方だった)に紹介されて、黒石の子供たちや孫と交流を持った。黒石の娘のえんさんは、林芙美子に可愛がられたが、林芙美子邸で秘書のような役割で手伝っていたという。ある時川端康成に原稿を届けに行くと、三島由紀夫が来ており、淵さんと二言三言、言葉を交わしたことがあった。また、川端は淵さんの美しさに目を見開き、じっと見つめていたという。なお、黒石の次男の娘(すなわち孫)はエッセイストの古谷燿子氏。



 おまけで、黒石とは直接関係しないが、たまたま見かけた下記の四方田氏のエッセイが味わい深かったので以下に部分引用するとともに、記事のリンクを貼り付けておくことにした。調べものや読書の醍醐味は寄り道だとつくづく思わされる。

だがその一方で、ときにわたしが焦燥感に駆られたことがなかったとはいえない。自分が過去に書いたもののあまりに拙さに驚き、いったい何を勉強してきたのだろうと思い悩んだことはたびたびある。これまで中途半端にしか理解していなかったことが多すぎる。イスラム哲学についても、江戸時代の儒教についても、数学基礎論についても、自分はほとんど何も知らないではないか。他人の書物を紐解くたびに、わたしはこうした思いに囚われた。しかしそうしたことを学び直すだけの時間が、自分にはあるだろうか。やがて来るであろう死を前に、自由に思考を羽搏かせることのできる持ち時間がこれから減っていくばかりだというのに、その貴重な時間をわざわざそうしたまったく未知の知的領域のために費やすことができるのだろうか。未知への挑戦だって? まだまだ書架には、自分がまだ一度も読んだことのない書物が山のように並んでいるではないか。
解放感と焦燥感とは、実のところ、貨幣の裏表である。しかしたとえ日々の愚かしい雑務に追われ、生に解放が訪れなかったとしたら、心は解放を希求することも忘れてしまうことだろう。そして絶望のなかでいたずらに焦燥に駆られ、生を摩滅させてしまうだろう。わたしは人生を摩滅させたというよりも、人生そのものによって摩滅させられてしまった人たちを、これまで何人も間近に見てきたから、それが予測できるような気がしている。






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