「これが幸せ」という育て方を子供にしない方がいいです。

 2018年4月、僕は親と絶縁状態になりました。着信拒否をし、引っ越しをしました。そして以前住んでいた部屋の鍵を兄経由で返還するに当たって、最後に両親への手紙を書こうと思い、書いたものです。

 僕がこの「親への手紙」をnoteにアップロードした理由は3つです。

1つ目は、人間にはそれぞれ固有の価値観があり、親であっても子の価値観を傷つけてはいけないということを広く知ってもらいたいから。

2つ目は、愛情を言い訳にすれば何をやってもよいというわけではないことを広く知ってもらいたいから。

3つ目は、自分が今、どう考えて絶縁という選択を取ったのかを残しておきたかったから。

 これを本当に読んでほしい人は、「うちは大丈夫かな。」「子供は本当に幸せだろうか。」と不安になってしまう人ではありません。もちろん、多くの親の方に読んでいただけたら幸いだと思いますけど、「本当に子供が幸せか。」と悩みながら子供に目を向け、話をする家庭はきっとそんなに心配いりません。

 「うちは大丈夫だ。」「これだけやっているんだから幸せに決まっている。」そういうことを感じた方にこそ、読んでほしいです。そういった方は、「自分の理想とする人生」を子供にまっとうさせようとしているだけの可能性があります。

 僕の家庭についてここで説明します。まず僕の家庭は、文句なしに裕福です。子供の教育費にお金を出し渋るようなことはなかったし、食事も十分に与えられていました。その上で僕は海城中学・高校という名門の私立中高一貫校に通うことができ、その後1年浪人をさせてもらいました。部活もテニス部というお金のかかる部活をすることができました。大学に入ってからも一人暮らしができ(一人暮らしの条件が東大入学だったので死ぬ気で勉強しました)、仕送りのお陰でバイトをする必要もなく遊んで行きていけました。

 「なんと恵まれた家庭に生まれたことか」と呆れ、僕に対して怒りすら覚える人がいるかもしれません。たしかに僕は客観的に見た時にかなり恵まれています。

 しかし、それでも僕は家にいる時に幸福感を感じることはほとんどありませんでした。それは先述した「価値観の否定」が行われ続ける家庭であったということに起因すると思います。

 僕の家庭は父が単身赴任をしていました。母と兄と僕は東京に住んでおり、父の職場は茨城だったから、通うには遠かったのでしょう。それに、週末は父も家にいることが多かったので、僕は「そういうもんかな」と思いながら生きていました。ほとんど週末しかいませんが、僕は父のことが好きでした。しかし、母からしたらそのことが気に食わなかったのか、僕が幼い頃から母は精神的に不安定でした。子供が自分の思い通りに行動しないと、まず手が出てしまうタイプの人間だったのです。加えて、僕の大切にしている漫画やゲーム、カードも何度も捨てられました。「僕がやりすぎているから」という理由の時が多かったです。そういう家庭は多いのかもしれません。ごく普通の家庭かもしれません。それでも何度も捨てられていると、「この人はなんてひどい人なんだろう」と感じるようになりました。

 そのため、日常的にいるわけではないけど、あまり殴ってこないし、僕の大切にしているものを捨てたりしない父に母以上になついていました。しかし、母にとってはそれがますます腹立たしいことだったのだと思います。母はいつも電話口で父を攻撃していました。僕が問題をよく起こす子供だったということもより一層問題を深刻にしました。僕が問題を起こした日があればそのことについて父の育児の姿勢を攻撃し、起こしていない日であればこれまでに起こした問題についてその原因は父にあると攻撃をする。

 よく聞こえていた言葉は「本当は男親が殴っておしまいなんだ。」「私ばかりしつけをしなくてはいけないから、私ばかり嫌われる。」という言葉でした。何度も何度もそういう攻撃をされた父も精神的に参っていたのだと思います。電話越しに「今からぶち殴りにいってやるから。」ひどい時には「ぶち殺してやる。」というようなことを何度も言われた記憶があります。そのたびに母は叫びながら父親に「最低だ。」と怒鳴りつけていました。

 母もまた弱い人間だったのだと思います。祖母は母よりも叔母のことをかわいがっていましたから。母から聞いた話ですが、母が第一志望校に合格した時も祖母は「学費が高いわねえ。そんなとこ行かなくてもいいのに。」と言ったそうです。きっと、母は祖母からの愛情に飢えていたんだと思います。だから子供の愛し方もきっとよくわかっていなかった。それでも勉強などで努力をし続けていました。おそらくは親が肯定してくれなかったので、自分で自分のしていることを正しいと思い続けなければならないような人生を送ってきたのだと思います。自分が正しいと信じたことは疑わず、そしてその実行のためには努力を惜しまない人でした。

 その人間性が、子育てでは裏目に出てしまったのだと思います。母は理想とする愛情表現の形を疑うことなく実行し続けました。子供を、より「良い」人間にすること。そのために子供の「間違い」を力ずくでも矯正すること。

 そもそも世の中では善悪というものがすっぱりどちらかに決まっているようなことがらなんてほとんどないと思います。しかし、私の過程では母の判断で善悪が全て決まっていました。「母の考えは善。それにそぐわないものは悪。」という、非常にシンプルな考え方。それは中高生になってもしばらく続くものでした。

 いつも離婚を口にする両親と、「あんたたちがいなかったら離婚している。」「片親だとあんたたちがかわいそうだから。」と言い続けていました。

 すみません、長すぎる不幸自慢みたいになってしまいました。家庭環境について書こうと思ったらドバーっとたくさん出てきてしまいました。

 言いたかったことは

 「お金があっても幸福なわけではない」

 「自分の考える幸せが必ずしも人にとっても幸せとは限らない」

 「人を脅してはいけない」

 「人を殴ってはいけない」

 「人の大切にしているものを勝手に捨ててはいけない」

 「自分の注いだコストの分だけ必ず見返りがあるわけではない」

という、単体で見たらどれも当たり前のことのように思えます。しかし、子育てのことになると、それがなかなか当たり前ではなくなってしまうのです。「自分」の部分を「親」に、「人」の部分を「子供」に変えてみてください。

 これはすべての子供を持つ親の方に知っていてほしいことです。特に「うちは大丈夫」と思った人、「我が子に色々手間をかけている」という人に知っていてほしいです。子供に対する愛情のあまり、子供を傷つけてしまう。そんな悲しいことが一件でも減ればいいと思って、これを書きました。

 ここまで読んでくださってありがとうございます。付け加えておくと、僕は別に両親のことが嫌いなわけでも憎いわけでもなく、むしろ好きだし感謝もしています。それでもただ一緒にいることに限界が来てしまった、ここから先の人生で関わっていく気力を失ったというだけです。

 以下、手紙の内容(原文ママ)と、具体的に何を気をつけたら良いかのちょっとした付け足しです。ここからは有料ですが、書きたいことはほとんどここまでで書いていますし、あくまで一人の子供側の意見でしかないと思ってください。

手紙の原文

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6,162字
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