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「ちゃんとしなさい」の暴力性 ストラテラ服用日記906日目

子供のころ「ちゃんと〇〇しなさい」と言われた記憶はないだろうか?

これを言われてしまうと、本人はとても困ると思う。
たとえば「ちゃんと座りなさい」と言われたときに、本人は座っているという行為をしているのに、「ちゃんと」という副詞が付くと途端に混乱してしまう。

ちなみに「ちゃんと」の意味を見てみよう(goo国語辞典)
1 少しも乱れがなく、よく整っているさま。「部屋の中を―かたづける」「いつも―した身なりをしている」
2 確実で間違いのないさま。「言われたことは―やる」「―した職業につく」
3 結果が十分であるさま。「朝食は―食べてくる」
4 すばやく動作をするさま。さっと。

こんな感じになる。
問題なのは、この意味を見てみても具体性が無いということ。

「ちゃんと」の言葉の裏には、上下関係のようなものが含まれている。言う側が正しくて、言われる側は正しいことをしていない。そしてそれを責める言葉になっている。
とはいえ、正しいか正しくないのかを判断しているのは誰だろう?
それは「ちゃんと」と言った本人だ。

言った人・言われた人の間で、共有認識があるならいい。ちゃんとという言葉にしっかりとした意味が出てくる。
しかし、そうではない場合、非常に混乱して言われた人は一生懸命ちゃんとの意味を考えて、本人なりの「ちゃんと」と思われる行動する。
しかしそれが間違っていた場合、また「ちゃんとしなさい」と怒られる。たいていの場合、1回目より怒気を含んだ口調で言われる。
そういうことが繰り返されると、本人は「いつも怒られる」「自分はできない人間なんだ」と自己肯定感が下がっていく。

「ちゃんと」と言ったときには、その人の価値観を言った相手に強要していることになる。
これはとても横暴な言い方だというのは分かっていただけるだろうか。
非常に傲慢で独善的な言葉だ。

そして共有認識が無い場合は、答えを言わずに相手を非難する言葉になる。
とても相手を傷つける言葉になる。

もし、ついつい使っている方がいたら、気を付けた方がいい。
とくにこの言葉は便利なので無意識に使っている場合もおおい。
価値観の押しつけはやめた方がいいと考えます。

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