見出し画像

6月18日 イギリス戦国時代の覇者 ラスト・キングダム

 Netflixでなんとなくオススメに入っていた作品『ラスト・キングダム』。いつもの調子で「じゃあ見てみようか……」と見始めてから全5クール+劇場版があることに気付いた。長い! でも見て良かった! めちゃくちゃに面白かった! イギリス戦国時代を描いた英雄叙事詩。ものすごい傑作ドラマだった。


BBCドラマ『ラストキングダム』とは?

 まず『ラスト・キングダム』という作品について紹介しよう。日本のメディアでこのタイトルを挙げているのを見たことがないし、日本語Wikipediaも作られていないので、知らない人の方が大多数でしょう。なので基本情報から。

 『ラスト・キングダム』はバーナード・コーンウェルの歴史小説『The Saxon Stories(ザ・サクソン・ストーリズ)』を原作とするドラマシリーズ。原作小説は日本語翻訳されていない。
 物語は9世紀頃のイギリスが舞台で、故郷であるベバンバーグを奪われたウトレッドの視点でこの時代の出来事が掘り下げられていく。
 バーナード・コーンウェルは歴史作家で、これまでにナポレオン時代の物語やアーサー王時代の物語を書いている。本作を書く切っ掛けは、まず自分の祖先がアルフレッド王に仕える士族の1人であったこと、それからイギリス人が自分たちの歴史をぜんぜん知らないことに気付き、歴史を知る切っ掛けになる作品を作ろう……ということでこの小説が描かれた。
 映画批評集積サイトRotten tomatoでは批評家評が平均91%、オーディエンススコアが平均95%。これでもすでに高評価だが、圧巻なのがシーズン3。なんと批評家評が100%! オーディエンススコアも97%と圧倒的評価を得ている。
 大ヒット映画でも70%、名作映画でも90%。そのなかでも平均90%以上というスコアもすでに凄いのだが、100%という普通なかなか見ることのできない点数が出ている。
 日本では名前も聞かない作品だが、実は世界的にはものすごい評価を受けている作品。なぜ日本でまったく紹介されていないのだろうか……。

 ドラマの話の前に、時代背景について掘り下げておこう。
 9世紀頃のイギリスはまだ統一されておらず、7人の王たちが覇権を競い合う戦国時代だった。そんな最中、ヴァイキングのデーン人が襲来し、イギリスの王国は次々と陥落してしまう。最後の王国となってしまったウェセックスはイギリス奪還のために、そして統一王国実現のための戦いに挑む。

 こちらが9世紀頃のイギリス地図。ノーサンブリア、マーシア、イースト・アングリア、エセックス、ウェセックス、ケント、サセックスの7つの王国があり、この時代を「7王国時代」と呼ばれている。
 ただ、実際には地図に載らないくらい小さな国はぽつぽつとあったし、さらに例えばウェセックス内に勝手に「俺は王だ」と主張するような人も現れたらしく、とにかくも国家はまとまりがなく混沌としていた。
 ドラマの中では話をシンプルにするために、「イギリス人=サクソン人」というくくりで描いていたが、実際には土着ケルトを系譜とするブリトン人、ノーサンブリアとマーシアを建国したアングル人、それ以外にも周辺に様々な人種がいたと伝えられている。しかしこの辺りはドラマで取り上げられていないし、東洋人である私たちにはほぼ見分けが付かないので気にしなくても良い。

 イギリスがまだ統一しておらず、それぞれで睨み合いをしているところに、「ヴァイキング」と称されるデーン人が襲来してくる。ドラマの中では「デーン人」とまとめられているが、実際にはデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイルランドの様々な戦士達の大連合だったらしい。宗教観も様々だったので、「大異教軍」と呼ばれていた。
 デーン人による進撃が始まったのは865年。はじめはイーストアングリアから侵略が始まり、周辺を征服しながら北を目指している。地図上の数字が年号、バツ印が戦闘を現している。地図と見ると、865年から878年まで合計5回にわけて何度も上陸し、侵略を試みたことがわかる。実は同時期にフランスにも侵略していて、パリを攻め落としている。ヴァイキングはこの辺りの海域で猛威を振るっていた。
 そもそもどうして大異教軍ことスカンジナビア連合軍はイギリス侵略を試みたのか。『ラグナルの息子達の物語』という当時の歴史書によれば、英雄ラグナル・ロズブロークがイングランドで殺害されたことによる報復戦がはじまりだったとされる。しかし『ラグナルの息子達』はその内容が真偽不明で、ラグナルの息子達も実在するかどうかわかっておらず、結局、ヴァイキング侵略の本当の経緯はわかっていない。

主人公ウトレッドは何者?

 こちらが本作の主人公、ウトレッド。格好いい!

 ウトレッドは北端ノーサンブリアを守備する領主の息子として生まれた。
 ウトレッドの故郷であるベバンバーグの砦は、見ての通り岸壁を背後にしていて、攻める側は正面から向かっていかねばならず、地下洞窟から海へ出られる構造になっているので籠城戦にも強い。難攻不落の砦だった。

 そんなベバンバーグにヴァイキング達が進撃してくる。それに応戦するベバンバーグの兵士達だったが……なんと相手軍の罠にかかり、敗走してしまう。少年だったウトレッドは、この戦いで父の死を目の当たりにし、ヴァイキングに誘拐され、奴隷として暮らしていくことになる。
 このシーンの戦い、兵の数が50人もいない。小規模な戦闘だ。おそらくこの時代の地方領主の戦いはこうだったのだろう……というような戦闘が描かれている。

 奴隷となったウトレッドはデーン人一家の仕えるようになる。
 しかしある日、思いがけない事件が起きる。近隣に住む同じくデーン人の少年が、娘を裸にしてレイプしようとした。それをウトレッドが身を挺して守る。
 この一件でウトレッドはデーン人一家に感謝され、奴隷という立場は変わらないが、ほとんど家族のような関係性を築いていくこととなる。

 一度ベバンバーグから「領主の息子を返せ」というやり取りがあって、交渉の場へ行くが、その時お世話になっている神父ベオッカに、「伯父はお前を殺す気だ。逃げるんだ」と教えられる。
 領主を喪ったベバンバーグは伯父が後を引き継いだのだが、正当な継承者であるウトレッドが生存していると後々厄介だ……それでデーン人から引き取って殺そうという計画を立てていた。
 ベオッカ神父に真実を教えられて、ウトレッドはデーン人一家にもとに残る決意をする。この一件以来、ウトレッドはサクソン人に不信感を持ち、デーン人としての振る舞いや宗教観を身につけていく。

 しかしデーン人としての暮らしは突如終了する。あの時、娘をレイプしようとしていたクソガキ達がウトレッドの住む家に火を点けて、一家全員が焼死してしまう。その時たまたま家の外にいたウトレッドは生き残り、復讐のためにデーン人と戦う決意をする。
 このシーン、画像ではわかりづらいが、全身火だるまになって戦い続ける……というすごいスタントシーンがある。必見の場面である。

 こうしてサクソン人の生まれでありながら、デーン人としてのアイデンティティを持ち、さらにサクソン側に立って戦う……という複雑な経歴を持った主人公が生まれる。
 しかしウトレッドについていろいろ調べたが、どうやらこの人は実在人物ではない。この物語の創作だ。
 お話しはイギリスを征服しようとする異教徒達との戦いを描いているけど、侵略者デーン人達を完全な悪とするのではなく、サクソン人とデーン人を公平に描くために両方の宗教観を持つ人物が想像で作られている。
 そういう人間を中心に置いているから、サクソン人デーン人双方に合理性があり、双方におかしなところがある……という視点で描かれている。例えばサクソン人は基本的にキリスト教を信仰しているが、そのキリスト教をいつも俯瞰的・客観的に見ている。かといってデーン人が信じるヴァルハラに極端に入れ込む……という描き方もしていない。宗教の対立を冷静に客観的に描いている……というのが本作の特徴となっている。

 現在のベバンバーグにあるバンバラ城。ドラマの中では木の柵で城壁が作られていたが、実は七王国時代後半にあの砦は陥落し、燃やされている。その後、「今度こそ絶対に落とされない城を」と再建したものが現在もバンバラ城として残されている。11世紀頃に現在の姿になり、それから1000年後の今も残っているわけだから、本当に「攻略不能」の城だったようだ。
 バンバラ城に関する歴史はかなり長く、5世紀頃にはもうこの辺りに定住人がいて、砦を築いていたらしい。
 13世紀の英国の作家トマス・マロリーは、この地を『アーサー王伝説』に登場するランスロットの生家であるとした。これは事実かどうかわからない。

 1827年ジョン・バーリーの作品。海岸沿いにバンバラ城がそびえ立っている姿が描かれている。

9世紀に実在した人物の確認

 間違いなく実在する人物がこの人。ウェセックスのアルフレッド大王。848年生まれ、899年死没。享年50歳、あるいは51歳。王としての在位期間は871年から886年とあるから、ドラマで描かれる時代はこの辺りから。
 デーン人襲来で次々にイギリスの王国が陥落していく中、最後の王国となって抵抗し、押し返しただけではなく、善政を敷き、統一王国の地固めをした。イギリスが統一王国になったのはアルフレッド王の孫であるが、あの“イマイチな孫”でも統一を成し得たのは、アルフレッド王の地盤があったから。
 その功績が後世まで称えられ“大王”の称号で呼ばれるようになる。アルフレッド大王の人気は没後も高く、イギリスの様々な地方に真偽不明の逸話がたくさん作られるほどだった。

9世紀頃に書かれたアルフレッド大王の肖像。

 しかし実はアルフレッド大王は持病持ちだった。胃腸系の病で、おそらくクローン病だった……とされている。胃腸から肛門まで炎症が発症し、肛門に膿が出る……という症状だが、そんな状態で鎧を身にまとい、馬に乗っていたかと思うと……。

 実はアルフレッド大王は正当な王位継承者ではなかった。前王エゼルレッドの息子はこの男、エゼルウォルド。しかしエゼルウォルドは普段から素行が悪く、しかも虚言癖があったため、父王からも家臣からも信頼されず。父王が身罷ったとき、城に呼ばれなかったほど。
 歴史ではエゼルウォルドはアルフレッドが王位を継いだ後、自分が王位を就けなかったことに反抗し、デーン人側について叛乱を起こしたとされている。

 エセルフレド姫。実際の歴史ではエセルフリーダという名前。870年生まれ、918年に死没。死没が早い……ということから察せられるように、早くにお亡くなりになる。
 アルフレッド大王の長女で政略結婚としてマーシア王国に嫁ぎ、そこで軍団を指揮しいくつもの成果を上げたため「マーシアの貴婦人」と讃えられるようになる。

9世紀頃に書かれたエセルフリーダの肖像。
1918年にタムワースに建造されたエセルフリーダを讃える像。エセルフリーダ没後1000年を記念して建てられた。

 エセルフレド女王は中世イギリスの中でも唯一の女王である。マーシアの王エゼルレッドが911年にこの世を去り、以降はエセルフレド女王が1人でマーシアと統治し、ヴァイキングとの戦いに勝利し、善政を敷いた英雄として記録されている。アルフレッド大王に次いで人気の高い女王で、1000年後でもその功績を称えた石像が作れるほど。

 エドワード王。アルフレッド大王の息子で、エセルフレドの弟。874年生まれ、924年死没。アルフレッド大王の死後、玉座と冠を引き継いでウェセックスの王となり、父が果たせなかったイギリス統一に向けた戦いを繰り広げる。実際にイングランド統一を果たしたのは彼の息子であるアゼルスタン王。

9世紀頃に書かれたエドワード王の肖像。

 実際の歴史では「エドワード長兄王」と呼ばれている。アルフレッド大王の意思を継いで、イギリスを守るためにデーン人と戦った。姉であるエセルフリーダが死去したとき、エセルフリーダは自分の娘を後継に指名していたが、エドワード王はこれを無視してマーシアを支配下に置いた。これによって、マーシアは独立性を喪い、ウェセックスに吸収されることになる。
 戦いにおいてはデーン人との戦争に勝利し続け、ウェールズ人、スコット人、デーン人から「父にして君主」と呼ばれるほどに尊敬された。
 「長兄王」の継承はエドワードの死後、用いられるようになった。これはエドワード王への尊敬のためでもあるが、その後に別のエドワード王が現れたので呼び分けるためでもあった。

 実際の歴史の話はここまで。ドラマ『ラストキングダム』は実際の歴史人物や歴史事件、歴史的な戦争が再現されているが、どうやら細かいところまで史実に基づいているわけではないらしい(そもそもこの時代はわかっていないことが多い)。このあたりは「NHK大河ドラマみたいなもの」と思って見ていいでしょう。

「いい男だらけ」の『ラストキングダム』

 まずこの作品の注目は「いい男」達。とにかくもツラのいい男達が次から次へと登場する。
 ただし、女の子が好きそうなイケメンは登場しない。ドラマに出てくるのはいかつい顔に傷があって、入れ墨も入っているマッチョな男達ばかり。男が惚れるタイプの男が山のように登場する。そんな男達が、大義や仁義をかけて戦う……その生き様が素晴らしい。しかしそういう男ほど、早々に散っていく。こういう時代のドラマだから、長生きするやつはだいたい陰謀を巡らす腹黒いやつ。いい男が一杯登場するが、悪い男も一杯登場して、悪いやつほどなかなか死なない。「なんでこんなやつのために、こんな立派な男が死ぬんだ……」見ているとだんだん気持ちが入ってくるから、そんなじれったい気持ちにもなってくる。しかしいい男ほど散り際が美しい。人がすぐ死ぬ暗黒時代だからこそ、信義のために戦う男が強烈に煌めくのだ。

 まずは主人公ウトレッド。七王国時代のすべての戦争に参加し、全勝するとんでもない戦士。あまりにも強いので、イギリス中の戦士達から信頼を勝ち得る、伝説的な戦士となる。……まあ彼は実在しないんだけど。
 肉体的な強さ、精神的な強さ両方を兼ね持ち、それでいてセクシー。強い上にセクシーなので、出てくる美女達と次々とセックス。後半には女王様にまで手を出しちゃう。でも格好いいからそれでいい。昔から英雄はプレイボーイと決まっている。

 オッダ。アルフレッド王の腹心の部下であり、軍人。軍人ゆえの気難しさはあるが、とことん実直。自ら思う信義のために戦う男。こんなにいい男なのに、息子が無能というのが残念。見ていてすぐに好きになるキャラクターだ。

 ベオッカ神父。なんだ普通のおじさんじゃん……まあその通りだけど、しかしなんとも言えない父性が滲み出てくる。ウトレッドの父親代わりとして、困難なときにいつも側に寄り添って味方になってくれる姿が頼もしい。神父だから基本的には理性的だけど、時に激しく激高する。激高するときはいつも自分の信義を通す時、そしてウトレッドの味方になってくれる時……こんな父親が欲しかった、と思ってしまう。中盤、ある女生と結婚することになるが、結婚後のデレデレっぷりが可愛く見えてしまう。愛せずにはいられないおじさんである。

 第1シーズンに出てきたデーン人。名前忘れちゃったけど、こいつもいい顔。顔だけですで貫禄出過ぎちゃっているので、シーズン1の宿敵として相応しい。

 シーズン2の名前のないちょい役のデーン人だけど、あまりにもいい顔なので、思わず保存してしまった。端役ですら、こんないい顔なのだ。

 シーズン3に登場するデーン人、血染めの髪(こういう名前なんだ)。デーン人たちはことごとくいい顔の男達ばかりなのだけど、その中でも別格のいい男。いわゆる「イケメン」とはまったく種類の違ういい顔。デーン人キャストの中では一番好きだった。

 アルフレッド王。イケメンでもないし、いい男でもないのだけど、この王もたまらなく格好よかった。インテリ系の王で戦場では後方で見ているだけ……のタイプ。でもやる時はやる。王としての覚悟が決まっている。そういう姿が格好いい。

 ドラマの後半になると、持病が悪化し、見るからに具合が悪そうだし、剣を握る手も震えている。でもそんな状態でも千人に及ぶ兵団の先頭に立ち、率いていく姿はそれだけでも感動してしまう。その姿がとにかくも格好いい。

 登場した初期の頃のエセルフレド姫。ちょっといまいちな感じのお姫様でしょ?

 間もなくエセルフレド姫はマーシア王子であるエゼルレッドと政略結婚することになる。
 エゼルレッドは今どきな感じのイケメンに見えるでしょ。でも性格はクズ。民衆に増税を課して贅沢暮らし、エセルフレド姫と結婚してからはベッドで夫婦間レイプ。政治家としても軍人としても無能で、いくつもの失敗を重ねる。最後には腹心の部下からも見放される。
 死去した後は国葬になるのだが、民衆が王子の棺に向かって物を投げる、唾を吐き捨てる……誰からも愛されないクズ王子だった。

 結婚した後でエゼルレッドがただのクズだとわかった後、しばらくメソメソとしていたお姫様だったが、やがて完全に愛想を尽かし、「自分の力で戦い抜く」と決心した後は急速に「いい顔」になっていく。男でも女でも、覚悟を決めた人間はいい顔をするんだ。やがてバカ王子そっちのけで自分で軍団を率い、自ら剣を振り上げて戦うようになってからは、このお姫様も格好いい。マーシア兵士達も次第にバカ王子ではなく、エセルフレド姫に付いていくようになる。女優さんの姿もシーズン3以降は明らかにシュッとしている。撮影に向けて、体を絞ってきたのだろう。

迷える男達はいかにして『英雄』になったのか?

 こんな感じに、「いい男」の見本市のような作品だけど、実はシーズン1の頃はさほど面白くなかった。なぜならウトレッドが、ただ欲望のままに行動するだけの、嫌な人間だったからだ。
 いつか故郷であるベバンバーグを取り戻すぞ……と目標を立てるけれど、計画性がなく衝動的に行動してしまう。気に入らなければ暴力を振るうし、しかもところかまわずセックスを始める。やがてアルフレッド王から土地と妻を与えられるのだけど、しかし実入りが少ないと不満を漏らし、スコットランドに出向いてデーン人のフリをして略奪を始めてしまう(見た目がデーン人そっくりだから、バレないだろうと踏んでの行動だった)。
 そんなふうに略奪をやっていたところで、謎めいた女と出会う。その女といい関係になり、妻がいるのにもかかわらず性的な関係を結び、ほぼ駆け落ちのように旅を始めてしまう。

 そんなことをやっているうちに、ウェセックスの宮殿がデーン人に襲撃され、アルフレッド王が落ち延びてしまう。湿地帯に隠れて過ごしていたところを、ウトレッドが偶然発見する。
 王国がどうなろうと知ったことではない……とウトレッドは思うが、アルフレッド王が病気の赤ちゃんを抱えているのを見て、ハッとする。ウトレッドの脳裏には自分の領地に置いてけぼりにしてしまった妻と赤ちゃんの姿が浮かぶ。どうしてもこの子を救いたい……。赤ちゃんを救うために、ウトレッドは連れてきた愛人に託し、呪術を施す。
 この時の赤ちゃんがエドワード王子。後にウトレッドが面倒を見ることになる王子だ。
 エドワード王子は呪術によって一命を取り留めるが、しかし呪術には代償が伴う。ウトレッドが自分の領地に戻ると、屋敷の裏に墓が一つ。まさかと掘り返すと……埋められていたのは妻が生んだ最初の赤ちゃんだった。

 欲望のままに行動した結果が、大きな犠牲を生んでしまった。

 シーズン2に入ってもウトレッドは失敗をして、敵に捕らえられ、奴隷の暮らしをすることになる。そこで長年共にしていた仲間を喪ってしまい……。

 いくつもの失敗と後悔を重ねて、次第にウトレッドは大局を見て物事を考えること、戦いには大義が必要であることを学んでいく。

 戦士として人格が完成してくる後半シーズンになってくると、ウトレッドは誰からも信頼される戦士へと成長していく。単に強いだけではなく、戦場にいるだけで「俺たちは勝てる」という気持ちにさせてくれるような存在。頼れるだけではなく、彼になら大事な物を預けていい、という信頼感。英雄としての存在感を身につけていくようになる。

 ウトレッドと同じく、ある意味で“迷える存在”であるのがアルフレッド王だった。
 アルフレッド王はこの時代において並外れた知能の持ち主で、デーン人の侵略の裏をかき、戦いに連勝していく。偉大なる賢君ではあるのだけど、“敬遠なクリスチャン”であることが迷いの元になっていく。
 アルフレッド王はウトレッドとの長い付き合いの中で特別な信頼関係を築いていくのだけど、しかし敬遠なキリスト教徒ゆえに、「果たして異教徒の手を借りていいのだろうか」と思い悩み、その葛藤を乗り越えられず、時々無意味にウトレッドを冷淡に扱うこともある。
 その一方で、「敬遠なクリスチャンだからこそ、彼を“赦す”べきではないか」とも思い始める。イエス・キリストは異民族たちと戦えなどとは語っていない。真にクリスチャンであるならば、異教徒の戦士を寛大に受け入れるべきではないか。その寛大さを見せることが、偉大なる王として必要なことではないか……。
 キリスト教徒って面倒くさいね。
 しかしこれが賢君アルフレッド王がシリーズを通して乗り越えるべき葛藤となっていく。ウトレッドと敵対するか、受け入れるか。クリスチャンとしてどちらを選択するのが正しいのか。それを乗り越えた瞬間が、このドラマ最高の瞬間だった。

 こういったお話しを書くためにライターとして必須の意識は、両方の宗教観を俯瞰して見ること。どちらかに肩入れするのではなく、一方を批判的に見るのではなく。双方を公平に見て、その宗教観の究極形態がどういったものかをきちんと理解していること。
 エンタメ作品は「わかりやすい勧善懲悪」にするために、どうしても一方を正義に、一方を悪に描きがちだ。『ラスト・キングダム』はそういう描き方を避けている。キリスト教にも悪の側面はあるし、正義の面もある。デーン人だって同じだ。
 『ラスト・キングダム』の脚本家は明らかにきちんと心得た上で書いている。デーン人のヴァルハラ信仰も尊重して書いているし、キリスト教の“赦し”の概念を理解した上で書いている。理解した上で、双方がぶつかり合った時にどんなドラマが生まれるか……。それを描き込んでいるからこそ、作品に思想的な奥行き感が現れている。
 でもやっぱりキリスト教は面倒くさいな……という気がしてしまったけど。

 とあるデーン人の死を描いた場面。その男は戦士であるのにかかわらず、戦場で死ねなかった。何者かに寝ているところを襲われて殺されてしまった。あんな死に方をしてしまったら、ヴァルハラに行けない……。その彼を弔うために、彼を殺した犯人を捜すエピソードが描かれる。
 デーン人の死生観がよく描かれた場面だ。

ドラマの初期の頃はアクションはそこまで壮大ではなく、CGも多い。しかしシリーズが進むほどに予算が潤沢になったのか、アクションにCGを使わなくなっていく。

王位継承の難しさ

 『ラスト・キングダム』の大雑把に分解すると、デーン人との戦いと王位継承の話ということになる(もちろん、他にも様々な要素がある)。デーン人との戦いはひたすらに痛快な活劇として描かれるが、王位継承の話になると急にトーンダウンする。というのも、こういう話に出てくる連中がみんなクズ。
 王が死ぬと、誰が次の王になるか。我こそが王に相応しい、いや我こそが……その横で次の権力者になりそうな人にすり寄っていくやつも現れてくる。権力の話になると人間がドロドロに醜くなる。
 しかし興味深い描写でもある。なるほど、権力者が死ぬと、こういう事件が起きるのか……というのがよくわかる。だからこそ、王は「間違いなく信頼が置ける」という人物に国を委ねたいわけだ。

 こちらの若者はエドワード王子。シーズン1でアルフレッド王が湿地帯に逃げ込んだ時、病気で死にそうになった赤ちゃんが成長した姿。
(ドラマの中の話だけど、赤ちゃんだった頃から見ているから、「育ったなぁ」と妙な感慨を持ってしまう)
 しかし成長したエドワード王子は、王になる気がなく、「僕は決められた人生なんて生きたくない。僕は僕らしく、自由に生きるんだ!」……なーんて今どきの若者のようなことを言いやがる。
 それに対してアルフレッド王は叱咤する。
「私だってそうだ! だがこれが私の宿命だ!」
 王になんてなりたくないよ……。王になると何もかもに責任がついて回る。数千人の国民が背後にいることを意識し、そういう人々がいかによい暮らしができるようになるか……それを考えねばならない。世の中には権力が欲しくて欲しくてたまらず、陰謀を巡らす悪人もいるが、一方で差し出されると「いや……いらない」となる。普通の若者なら、そんなの背負いたくない、逃げたい……と思うのは普通の心情だ。
 でも王として生まれたからには、それを背負わねばならぬのだ……。

 アルフレッド王はいまだに王としての自覚に目覚めないエドワード王子を戦場に連れて行く。そして仲間達が敵に囲まれ、殺されていく様子を見せる。
 助けないと……しかしアルフレッド王は何もしない。

「お前はどうしたいんだ!」
 いつまでも親を頼るな。お前自身はこの状況を見て、どうすべきだと判断するのか……!

 エドワード王子は自分の判断で兵達を指揮し、突撃を命じる。
 ここのシーン、よく見るとアルフレッド王が周りの兵士達に頷きかけて、王子の指示に従うよう促している。

 エドワード王子は戦果を上げて戻ってくる。そんな王子に対し、アルフレッド王は「あれこそ王の姿だ」と褒める。
 これでようやくエドワード王子にも王としての自覚が芽生え始め、アルフレッド王も息子に権威を譲ることを認めるようになる。
 アルフレッド王がこんなに厳しく接するのは、国を想うから。王国を存続させねばならない。それにこの時代は「戦国時代」だから、国のために尽くし、戦える王でなければならない。だからこそ信頼の置けない人物に国を譲れない。そういう人間に育てるために、アルフレッド王は息子に対して厳しく教育する。

 そしてエドワードが王になった姿がこちら。髪型や言葉遣いも変えて、王らしい雰囲気をまとい始める。
 ところが、あれだけ厳しい教育の末、やっと王の位を渡されたのに、エドワードは「しょーもない王」になってしまう。どうしてああなった……。支配者は理性的になって、回りでいろいろ言ってくるやつの人間性を見抜かねばならない……というのがよくわかる。エドワード王は側近がダメだったので、つられてダメな王になっていってしまう。
 それに、エドワードが若い頃、「僕は僕らしい生き方をするんだ」とか言って、家族にも告げず、勝手に結婚して子供を作っていた。その落とし胤が後に禍根となるのは言うまでもなく……。

 ウェセックス王の継承でもこれだけのドラマがあったわけだけど、他の国でも同じようにいろいろ起きる。王がちゃんと後継を指名しないまま死んでしまうと、政治の空白が起きる。その間、権力を欲しがるやつが陰謀を巡らす。そんなことをしている間に、デーン人が攻め込んでくる。支配者がいないと国が荒廃する。
(そうした問題を回避するために、アルフレッド王は息子に王位を継承させるために厳しい教育をしたというわけ)
 王が死ぬと、ああいう問題が起きるのか……そういうことを知る上でも、なかなか貴重なドラマだった。

ドラマとしての『ラスト・キングダム』は?

 9世紀、イギリス戦国時代にどんな人間がいてどんな事件があったのか……。もちろん史実通りではないのだけど(そもそもわかっていないことが多い)、その時代の空気感を感じさせてくれる作品。9世紀頃……だから日本でいうところの平安時代。まだ文化は素朴で粗野。洗練されていない。王宮も質素だし、ウェセックスの町並みも道が整えられていないし、茅葺きの家ばかりだし、そもそも規模が小さい(しかもその辺にウンチを捨てていた)。あんな様子でも、あの時代では一番大きな街だった……というくらいだから、文化はぜんぜん育っていない。そんな街を出ると、ファンタジーRPGのように原野がどこまでも広がっている。
 そんな時代でも、いやそんな時代だからこそ全力で生きようとして、異様なきらめきを放つ英雄達がいた。そんな英雄達を描いたのがこのドラマシリーズだった。

 とにかくも画作りが凄かった。最近のNHK大河ドラマは俳優の顔だけでお話しが進行しているし、CGの使い方はあまりにも下手。それ以上に画面を「画」として作っていない。
 そういう日本のドラマに辟易としていたところだったから、英国の歴史ドラマのあまりの品格の高さに驚いた。どのシーンも画がバッチリ決まっている。そのまま劇場に持っていっても通用するくらいの画面を作っている。
 その中でも圧巻なのがバトルシーン。毎シーズンに2回くらい大規模な合戦シーンが描かれるのだけど、それがよくできている。最初の頃はCGでごまかしているところもあったけど、後半はほとんどCGなしで、映画みたいなスケールで描ききっている。
 しかも合戦シーンについてはほとんどが史実。『ラスト・キングダム』には空想で作ったところがかなりあるようなのだけど、合戦シーンに関しては史実を踏まえている。エサンドゥーンの戦いもテテンホールの戦いも実際にあった。

シーズン2、ルンデン(現在のロンドン)郊外の戦闘シーン。なんと1カット長回しが3分も続く……!

 単純に歴史ドラマとしてのクオリティが高いし、この時代のイギリスの文化を学ぶ機会になる。それに「いい男」も山ほど出てくる。「男達の熱いドラマ」が好きな人は絶対に観るべき。
 ほとんどの日本人がこのドラマを知らないのはもったいない。見ておくべき傑作ドラマだ。

 最後にちょっとだけ『劇場版』の感想。
 ドラマシリーズから続けて『劇場版』を見たのだけど、劇場版はちょっとお話しを端折り気味。登場人物の心情の変化が急速すぎ。時間の経過が急速すぎ。ドラマシリーズではもっと時間をかけて描いていたのに……というところがポンポンと進みすぎる。「総集編」を見ているような気分になる。
 といっても、映画としてはよくあること。これまでドラマシリーズでじっくり展開していたところが端折られていたから、違和感になってしまう。シリーズ作品が劇場版になった時に起こりがちな葛藤だ。
 劇場版の興味深いポイントは「ゲイ」の扱いについて。キリスト教においてはゲイは禁忌だけど、キリスト教以外では別に禁忌ではない。この習慣の違いを、うまく物語に落とし込んでいる。作り手がキリスト教特有の思考習慣を分析的に捉えている……ということがよくわかる。
 ラストシーンはテレビシリーズからずっと見ていたからこその極上の感動。一人の人生を見届けた……という感慨になれる。このドラマの存在を知れて良かったな……と思える作品だった。


とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。