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映画感想 アンチャーテッド

 ソニー・ゲームコンテンツ映画化第1弾、それが『アンチャーテッド』。

 2021年、PlayStationのトップであるジム・ライアンは「CES2021」において、PlayStation発のコンテンツを統合し強化する計画を発表した。その第1弾が劇場版『アンチャーテッド』。第2弾が現在配信中のドラマ『The Last of Us』。
 任天堂のゲームは、ゲームの中でなら輝くがストーリーを持った映像化はやや難しい。一方、PlayStationのゲームコンテンツはもともと「映像作品」としての志向が強く、映画化は決して難しいものではない。おまけにソニーは映画会社を所有しているので、自社内でコンテンツを映像化できる。映画化計画第1弾『アンチャーテッド』、第2弾『The Last of Us』はいずれも評価が高く、しかも発表してからゲームの売り上げも飛躍的に伸びて、ゲームと映画(ドラマ)の親和性の高さを発揮し、さらにビジネス的な相乗効果もあることを証明している。この後も『ゴースト・オブ・ツシマ』をはじめとしてゲームの映画化プロジェクトはいくつも進行中なので期待したい。
 プロジェクトの発表は2021年だったが、本作『アンチャーテッド』の映像化までにはいろんな経緯がある。企画のスタートは2008年。アヴィ・アラドプロデューサー、トーマス・ディーン・ドネリーとジョシュア・オッペンハイマー脚本で企画が進行していたが、間もなく頓挫。
 続いて2010年、デヴィッド・O・ラッセルがプロデューサーとなって再度企画がスタートした。この時のプランでは、『アンチャーテッド』第1作目をベースに、マーク・ウォールバーグがネイサン・ドレイクを演じる予定だった。
 しかし脚本が二転三点しているうちに頓挫。
 この時に映画化は頓挫したものと考えられていたが、2015年に脚本の草稿が流出し、企画が動いていたことが知られる。
 2019年、ダン・トラクテンバーグが監督に就任し、撮影がスタートしたことが発表されたが……制作中断。この辺りの事情はわからない。
 2020年5月、ルーベン・フライシャー監督が後任として選ばれ、やっと撮影スタート、劇場公開日も決定した。主演はトム・ホランド。マーク・ウォールバーグは出演するがサリー役に変更。トム・ホランドはゲームに出てくるネイサン・ドレイクよりも若い容貌なので、「ゲームの前日談」ということになる。
 これでようやく撮影開始……となったのだけど、今度はコロナウィルス。ウィルス対策、撮影時間短縮でかなり難儀なスタートを切ることになる。2021年に入ってようやく撮影は終了した。
 2022年2月18日にやっこさ公開された本作は制作費1億2000万ドルに対し、世界興収4億ドルを越える大ヒットとなった。映画批評集積サイトRotten Tomatoesによれば肯定評価41%、平均点は10点満点中5.3。悪くはないがやや見劣りする……という評価が下されている。

 それでは本編ストーリーを見ていこう。


 15年前――ネイサン・ドレイクは兄・サムとともにボストンの美術館に忍び込んでいた。狙いはマゼランが残した世界地図。その世界地図は、歴史上初めて描かれたものだった。マゼランは最初に世界一周したことで知られているが、その最中、フィリピンで黄金を発見したと言われている。しかしこの時の黄金は本国スペインに持ち帰らず、どこかに隠したとされている。
「見つかっていないものは見付けられる」
 サムはトレジャーハンティングに燃えていた。
 しかし地図を盗み出すことに失敗し、掴まってしまう。これで3度目の事件。サムは聖フランシス養護施設を追放されることに。
 その別れの夜。ネイサンとサムは抱き合う。
「俺はいつもこれと一緒だった。だから取りに戻る」
 と指輪を託していくのだった。指輪にはラテン語で“偉業を成す者は小さな一歩から”という言葉が刻まれていた。

 現在。ネイサン・ドレイクはニューヨークのバーで働いていた。バーテンダーとして働き、時々客の品物を盗んで生活していた。
 そんなネイサンのもとに、サリーと名乗る男が尋ねる。
「でかい仕事がある。相棒が欲しい」
 しかしネイサンはサリーの誘いを断るのだった。
 その後、客から盗んだはずのブレスレットがなく、代わりに名刺が入っていることに気付く。
 その名刺を頼りにサリーの部屋に忍び込む。そこにサリーが待ち受けていて、しかも部屋の中にはあのとき美術館から盗み出そうとしていた世界地図があった。
 サリーはサムを相棒にマゼランが隠した宝を探していたが、間もなく消息を絶ってしまった。
「サムの小さな弟がマゼランに夢中だと聞いた」
 それでサリーは弟ネイサンを相棒に誘いにやってきたのだった。
 ネイサンはこの時も誘いを断り、家へ帰る。帰宅したネイサンは養護施設時代のバッグを開く。サムから送られてきた絵はがきと、思い出の指輪が入っていた。それを見て決意を改めると、サリーに電話する。
「いつ始める?」


 ここまで18分くらい。
 ネイサンの少年時代、冒険の召命が描かれ、一度は断るが、その後動機付けを明確にして冒険の旅を受け入れる……という定番の展開が描かれている。バーテンダーとしてのやり取りがやや長いのでは……という気がするが(ここしか登場しない女性もやたらと出番が長い)、せっかくこの映画のために身につけたスキルだから、長く見せたかったのだろう。
 サリーに出会ってからの展開はかなりスマートに進み、冒険の誘いを受け入れるまでがスピーディに進んで行く。

 本作のメインテーマは「マゼランのお宝」だ。ではマゼランとは何者なのか……という話から掘り下げていこう。

フェルディナンド・マゼラン 1480~1521年。人類最初に世界一周航行を達成した船長とされる。この功績にちなんで、マゼラン海峡、マゼラン雲、マゼランペンギン、宇宙探査機マゼランなどの名前が付けられている。

 マゼランことフェルディナンド・マゼランは15世紀から16世紀頃のスペイン人航海者だ。
 マゼランは1480年にポルトガル北部で下級貴族の子として生まれる。1492年、12歳になったマゼランは小姓としてポルトガル王宮に入っている。1492年といえばコロンブスが新大陸を発見したその年。思春期のマゼランに「新大陸発見」は間違いなく大きな衝撃だっただろう。
 コロンブスの新大陸発見以降、航路の開拓は猛烈な勢いで進んで行った。ひとつ発見があると発展がものすごい勢いで進む……というのはいつの時代でも一緒だ。1505年、25歳になったマゼランは初めてポルトガル船に乗って船乗りとしての第一歩を歩み出している。マゼランは下級貴族だったので、一般船員と同じ待遇だったそうだ。
 この後もいろいろあったのだが、マゼランはポルトガルの王宮を去り、船乗りとして出世していき、1519年大艦隊を率いての大冒険に出発することになった。39歳の頃である。映画の中では神秘感を出すために「目的不明の航海」と説明されていたが、この時マゼランに与えられていた使命は「香辛料の販路獲得」。当時、香辛料はめちゃくちゃに高価で、香辛料市場を制覇すればヨーロッパで一大勢力を持てる……というくらいだった。しかもこの香辛料を生産できる場所というのが「香料諸島」……現在のインドネシアのモルッカ諸島のみだった。この香料半島へ行くための独自のルートを見つけ出すことがマゼランのみならず、商人たちの関心事だった。
 マゼランに与えられた使命は、「西回り航路」で香料半島まで行けるか……ということだった。この時代、すでに「大地は球である」……という認識はあって、西回りでも“いつかは”目的地にたどり着けるというのはわかっていた。が、具体的にどれくらいの距離感で、何日くらいかかる航路なのかわからなかった。マゼランは西回りで香料諸島へ行く計画を1517年頃には考えていたそうだが、スポンサーはそうそう簡単に見つからなかった。ようやく後援に名乗り出たのがスペイン国王だったが、ポルトガル人がライバル国のスペイン船を指揮するとは何事か……という問題が起こり、暗殺騒動もあったそうだ。すでに書いたように香辛料市場は莫大な富を生み出すから、その利益を隣国に手渡したくない……という心理があった。

 航海というのは船長が思いついたらすぐに出発できるものではなく、お金と準備が必要だった。船だって船長自身の持ち物ではなくレンタルするものだった。実は海賊も出港にはお金がかかるものだったので、しかし海賊は公的機関に資金援助を求めるわけにはいかないから、そこで“シンジケート”方式を生み出した……というのは雑学的余談。
 マゼランの大航海計画は東洋交易に長けていたフガー商会が出資したことによってようやく実現することとなった。そこから2年分の保存食の用意をはじめたのだけど、スペイン王から「早く行け!」という命令があったので、準備が万全とは言えない状況で1519年8月10日出発した。出発した時には帆船5隻、乗組員270人だった。
 その後の冒険も順風というわけにはいかなかった。そもそも南アメリカをずーっと南に進んで陸地に途切れているところがあるかわからず、探り探りで船を進めている間に反抗的な船乗りによる反乱。さらに勝手に帰還してしまう船も出てしまう。
 ようやくフィリピンのセブ島まで到達したとき、マゼランは冒険の目的を忘れ、布教活動に夢中になってしまう。そこで改宗に反抗したラプ=ラプ王と対立して戦争になってしまうのだが、マゼラン軍49人に対してラプ=ラプ王軍1500人。いくら装備品の優位性があるとはいえ、人数差を埋め合わせることはできず、マゼランはこの戦争で死亡。1521年4月27日できごとである。
 マゼランの死後、当初の目的を思い出して香料諸島を目指すが、人員が大幅に減ったために船を破棄。トリニダード号とビクトリア号の2隻だけで運行を続けた。
 1521年11月8日、やっとこさ香料諸島に到着。しかし積み荷を積み過ぎたためにトリニダード号が浸水。フアン・セバスティアン・エルカーノを船長に立てて、最後の1隻であるビクトリア号で航海を再開。残る船乗りは60人だった。
 その後も苦難の旅は続いた。飢餓とビタミン不足による壊血病に苦しみ、人員を次々に減らしながら、1522年9月6日やっとこさスペインに帰還。この時、船に乗っていた“生存者”は18人だけだった。

 と、こんなふうに最初の「世界一周旅行」は苦難の連続だった。出発から帰還まで3年の歳月を要し、270人だった乗組員はたった18人になっていた。その後も西回り航路に挑戦した船長は現れたものの、途中で脱落、あるいはどこかで沈没してこの世を去ることになる。結局のところ、「西回り航路による販路」はあまりにもリスキーということで、追随者は現れなかった。
 ところで、どうしてこの作品で「マゼランの宝」がモチーフになったのか。それは冒頭の台詞にヒントがある。
「マゼランは世界一周をしていない」
 学校の教科書ではマゼランは「世界で最初に世界一周を達成した冒険家」……と書かれている。しかし実際には志半ばに倒れている。初めて世界一周を達成した船長はネイサン・ドレイクの御先祖であるフランシス・ドレイク。エリザベス女王から「銀強奪」の指令を受けたフランシス・ドレイクは1577~1580年の航海で世界一周を達成して帰還している。フランシス・ドレイクは「世界で2番目」とされるが、ちゃんと最後まで生存して帰還した……という意味では「世界で1番目」でもある。
 そのフランシス・ドレイクの子孫であるネイサン&サムからしてみれば、「本当の意味で世界一周旅行を達成したのは俺たちの御先祖だ」……と言いたいところがあったのかも知れない。ドレイク家の意地だ。
 映画の中ではそこまで言及されないが、ネイサン・ドレイクの御先祖→世界一周→マゼランで連想ゲームが繋がるようになっている。

 前半18分ほどでネイサンが新しい冒険に乗り出すまでの物語がスマートに語られ、アドベンチャーに入っていく。オークション会場に潜入し、出品物を強奪するシーンへと入っていく。このオークションでは「スペイン・ルネサンス」時代のお宝が扱われているようだ。
 ルネサンスとはローマ帝国崩壊以後の暗黒時代を脱した時代……とされている。だいたい14世紀から15世紀のイタリアで始まり、その後ヨーロッパ全体に広がっていった。
 ルネサンス以前の芸術については学校の教科書でも学ぶが、「ビザンツ(ビザンティン)芸術」といってテンプレート的な宗教画ばかりだったし、絵描きは芸術家ではなく職人という扱いで、「すでに決まったもの」を描くものだった。それが古代ローマ時代やギリシア時代の芸術が発見され、「昔の芸術凄いじゃないか!」という驚きとその文化を再生しよう……という試みがルネサンスである。芸術にはじまり、音楽、医学、化学……とルネサンスは色んな分野に波及し、「迷信の時代」から急速に文化や理性的化学の時代へと移り変わろうとしていた。芸術家が自身の技術やメッセージ性を打ち出すようになったのもこの頃から。
(そうはいっても魔女狩りの発端となった『魔女への鉄槌』が1486年に出版され、これを受けてイギリスでは「魔女迫害法」というものが生まれている。ルネサンス時代を乗り越えても、ヨーロッパはまだ迷信の時代は続いていた)
 『アンチャーテッド』の中で言われているスペイン・ルネサンスとは15世紀後半から16世紀はじめ頃。画家でいえばエル・グレコ、文学では『ドン・キホーテ』(1605)などが出版されていた。そうした時代が背景になっているので、出品されるお宝も宗教関係のアートが多くなっている。
 ただ、スペイン・ルネサンス時代だということにすると、ビクトリア号がスペインに帰還したのが1522年なのでちょっと時代が違う……という気もする(それくらいの余裕を持たせても問題ないが)。

 話を戻そう。
 このオークション会場で、本作のマクガフィンである十字架が登場する。次にその十字架を狙う宿敵ジョー・ブラドックとその雇い主であるサンティエゴ・モンカーダが登場。冒険が始まったらその目的と敵が登場している。「十字架がモンカーダに奪われたらおしまいだぞ」というこの物語におけるシンプルなルールが説明される。この辺りのルール設定のスマートさも良い。

 ここから展開をタイムテーブルで見てみよう。

21分 オークション会場に乗り込む。
27分 ネイサン、ロシア人と殴り合い。
30分 十字架を手に入れてオークション会場脱出。
32分 スペイン・バルセロナ到着。クロエ登場。
34分 十字架が盗まれて、クロエ追跡。
36分 クロエ説得成功。
    続いて「松の木聖母の教会」にやってくる。
38分 クロエ家で一晩過ごす。
40分 サンティエゴ・モンカーダ、父ちゃん殺害。
41分 ネイサン、教会に入る。謎解きスタート。
1時3分 謎解き完了。クロエ、地図を盗んで逃亡。

 設定説明である対話シーンがかなり短く刈り込まれて、すぐにアクションに入っている。ポイントはクロエに会って、その2分後には追跡シーンが始まっている。しかもスペインの名所をわざわざ巡り歩く……という構成になっている。ここ、必要か……というとほぼ必要ない。しかし観客を飽きさせないように、数分刻みで何かしらのアクションが起きるように構成されている。至り尽くせりのサービス精神だ。お話しを理解していなくても、慌ただしくカメラが動き回るから、そこで楽しんで行ってくれ……という感じだ。

 ただ細かなツッコミどころがあって……。
 というのも、まずオークション会場からの脱出があまりにも簡単すぎる。ネイサンは「あれは何だ!」と指さしてその隙にオークション会場を走って飛び出している。その後を誰も追跡しなかったのか……という疑問が残る。タクシーの中でサリーと合流したのだが、そのタクシー内で堂々と強奪してきた十字架を出している。タクシー運転手は客が手にしていた十字架を「あれは何だ?」と見ているはずだ。
 41分、教会に入って謎解きに入っていく。その謎解きの最中、なぜか地下のバーを通過する。あんなところにバーが作られている……なんてあるだろうか。だったら最初の祭壇のトラップは何だったのか……。あの場面はトム・ホランドがせっかくバーテンダーのテクニックを身につけたから披露しよう……という場面のように思われる。
 次に街中でジョー・ブラドックとの乱闘になるのだけど、なぜか警察がやってこない。あんな乱闘騒ぎがあったら警察が殺到してくるはずでしょう。それなのにあれだけの乱闘をやった後、何事もなかったかのように次に場所へ進んでいる。
 さらに気になったのはマクガフィンである十字架。十字架が鍵になっているわけだが、あんなシンプルな形状の鍵だったら、簡単に偽造ができるのではないか。なんだったら大きさ・形が近いものなら何でもあそこに刺せば、回りそうな気がする。
 というツッコミをマクガフィンにするのは野暮という気がする。おそらくはあの十字架は「マジック・アイテム」のような位置づけになっているのだろう。

 こんなふうに細かいツッコミどころは一杯あるけれど、その一方でアクションは極上の出来。そのアクションが後半へ行くほど、大がかりになっていく。
 まず注目はのは1時間を少し越えたところに出てくる、スカイアクション。落下する積み荷に掴まりながら格闘シーンを繰り広げる。映画がこのシーンから始まるし、劇場公開前にこのシーンの大部分が切り出されて公開され、映画全体の目玉となっているシーンだ。実際にシーン作りは非常によくできている。どうやって撮影されているのだろうか。
 もちろん最大の見せ場はここではなく、その次、ラストのアクションはもっと大がかりで手が込んだ作りになっている。そこは見てのお楽しみだ。
 アクション映画は物語やドラマの整合性が絶対重要というわけではない。「ハイライト」となるシーンにどんな驚きを持ってくることができるか。誰も見たことがないシチュエーション、そして緊迫感。その両方をきちんと満たしていることが大事。そこでどんな「画面」を作り出すかでアクション映画の価値が決まる。後で思い出したときにどんな「画」を思い出せるか。そこにこそ印象に残さなければならないからだ。
 もちろんそこに物語としての要素がきっちり絡んでいたら極上の作品になることは間違いないが……そんな作品は多くなく、『アンチャーテッド』もそれに当てはまらない。アクションシーンの画は間違いなく印象に残るが、ドラマとして印象に残らない……というのがこの作品の惜しいところ。アクション以外の場面は残念ながら平凡な画作りで、画面作りそのものへの強い志向は感じられない。

 ではドラマとしての『アンチャーテッド』を見るとどんな作品なのか。ネイサンの兄サムとのエピソードから始まるが、そこがドラマの核となっている。「兄を喪った弟」「兄の帰還を待ち続ける弟」の物語である。
 それがある日、サリーという男が「兄の知り合いだ」ということで現れる。兄の知り合いだ……というこの男を果たして信用できるのか? ネイサンがサリーを疑うのは、15年間も音沙汰がなかった兄への不信感を映している。それに兄の知り合いというのが本当かどうか、というのも胡散臭い。
 冒険の最終段階でネイサンは「兄の代理」としてサリーを信頼できるか……。そこにドラマの核が置かれている。
 ポイントとなっている小道具は「ガム」と「落下しそうになるネイサンの手を掴むカット」。
 ガムは冒頭の美術館のシーンに出てくる。なんであそこで急にガムなんか出てきたのだろう……とそれは最後のシーンに使うため。冒頭でネイサン1人で食べてしまったガムを、最後にはサリーに差し出す。それが兄と弟という絆の証だった。……でもそのガムをサリーは捨てちゃうんだよなぁ。「俺はお前の兄さんじゃない」ってことかな。

 と映画に関してはこんな感じだけど、もう一つ言及するとしたらトム・ホランド。やっぱりトム・ホランドには特別な愛嬌がある。ハリウッドの男性俳優にはなにかと“強い男性性”が求められがちだ。体が大きくて、いかつくて、マッチョ。ハリウッドの男性俳優にはそういうタイプが多い。「筋肉がなければハリウッドスターになれない」……みたいな印象がある。
 しかしトム・ホランドはまず見た目が少年っぽい。それにパッと見、ぜんぜんマッチョに見えない。もちろん服を脱げばしっかりマッチョだけど(わざわざ服を脱いで見せる!)。アクションの動き方もぜんぜんパワーを感じさせず、むしろ軽やか。スパイダーマンの身のこなしをそのまま『アンチャーテッド』に持ち込んでいる。
 それに演技の軽やかさ。サリーが登場し、ネイサンはサリーに不信感を抱くのだけど、その感情描写がぜんぜん重くない。愛嬌が強いので、不信感を持っている演技も可愛く見えてしまう。
 それがトム・ホランドの強味。なんとなく許せてしまう。かまいたくなってしまう。トム・ホランドがなにか失敗しでかすと笑ってしまう。『ダイ・ハード』初期のマッチョじゃなかった頃のブルース・ウィリスを思い出す。『ダイ・ハード』初期の頃のブルース・ウィリスはぜんぜん強そうに見えず、実際さほど強くないけど、ブチブチ愚痴りながらもテロリスト相手にミッションを達成してしまう……あのハラハラ感がたまらなかった。
 それにトム・ホランドが参考にしたというジャッキー・チェン。力業でアクションを切り抜けるのではなく、むしろ逆に大柄な敵に圧倒される。キックしたら自分がコケる。しかも大袈裟に。なのに軽やかに立ち回って大男を圧倒し、切り抜ける。ジャッキー・チェンのイズムをうまく吸収している。
 と、こんなふうに映画そのものはあちこちに欠陥があるのだけど、しかしアクションシーンに「強力な画面」をしっかり作り出せていること、それにトム・ホランドの愛嬌。これで1時間55分しっかり付き合っていられる映画になっている。

 『アンチャーテッド』の映画はもちろんこれで終了ではない。4億ドルの大ヒットになったわけだから当然、続編のプロジェクトが動いている。これからが期待だ。
 ゲーム原作映画はかつて成功しないと言われていた。その理由は、まずゲームの世界で起きていることをうまく実写世界に置き換えられなかったからだ。というのも、ゲームの世界で起きていること……というのは極端に抽象化された世界で、ゲーム中で起きていることを現実世界に置き換える「文法」がわからなかった。ゲームのイメージを実写映画の中に取り入れようとして、どこか変な感じになる……ということが多かった。根本的に抽象度が絡み合わない……それが最初の問題だった。
 それが間もなくゲームの方から映画に歩み寄った。例えばカプコンの『バイオハザード』は実写映画をヒントにしたゲームで、ゲームが映画のビジュアルに近付いていったから次第に「実写化したビジョン」も見えやすくなった。グラフィックの進化によって「ゲームをいかにしたら映画にできるのか」――ということがかなりはっきり見えるようになった。
 それがPS3時代、PS4時代へと入っていくと、ゲームはどんどん映画に歩み寄っていく。『アンチャーテッド』まで行くと、むしろ実写映画化ができないのはなぜだ……と言いたくなるくらい。それくらいにゲームは映画に近付いていったし、映画に近付いていながらしっかりゲームとしてのアイデンティティを喪わなかった。かつての「ただひたすらムービーを見ているだけ」……という時代から進歩して、ゲームの作り手も新しい文法をどんどん開拓していったのだった。
 それにゲームの作り手が映画制作に口出しできるようになった。かつて『ドラゴンボール・エボリューション』という珍作があったが、当時の編集嶋鳥和彦は「お金を出さねば意見を出せなかった」と語っている。ハリウッドは拝金主義の世界だから、お金の出さないやつの意見は聞かない。さらにハリウットは意外にも閉鎖的なサークル世界だから、部外者の出資はそもそも受け付けない……というのがあった。口出しする権利を得るためのお金を出すことができず、そもそもお金を出させない……それで原作に愛情がまったくない映画監督が好き放題やってしまう。
 『ドラゴンボール・エボリューション』については原作:鳥山明が「これは違う」というのを無視し、プロデューサー:チャウ・シウチーが「待て」というのも無視し、監督の独断で制作が進行していったらしい。その結果、監督は干されたわけだけど。
 あれから時代は経て、ソニー自身が自社コンテンツのゲーム化に乗り出した。ソニーはパラマウントを傘下に入れているので、自分のテリトリー内で作品を作ることができる。自分のお金で作品が作れるし、脚本のイメージが原作と違っていたら「待て」を掛けられるし、監督の暴走も抑制させられる。そういう権限を持っている。
 さらにゲームがすでに映画にかなり近付いている。ゲームの映画化に関しては良条件が一杯揃っている。「ゲームを映画化しやすい時代」はすでに来ていた。あとはプロジェクトを動かすだけだった。
 『アンチャーテッド』はもちろん次回作に続くし、その他のソニーコンテンツのゲームの映画化プロジェクトが進行している。この先のゲームの映画化が楽しみだ。


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