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8月17日 魔女狩りの時代がどういったものか……というお話と、西洋が認めないエロ願望の話。

 今日は書き終えた『天子姉妹の祝福』《漫画ネーム》の再チェック。改めて見返すと、細かいミスがあちこちに……。一日かけて修正を入れる。
 それにしても改めて初期の頃を見返すと、コマ構成も構図の作り方もぜんぜん違う。ネームに上手い下手もあるものか……とか思っていたけれど、やっていると上手くなるものなんだなぁ……。最初のほう直したいけど、そんな余裕ない。これ以上直すんだったら、予算出してもらわないと……。
 こちらが『天子姉妹の祝福』序盤↓

 こちらが同じ作品の終盤↓

 今日はデータを圧縮して、出版社に送りつける用意をする。
 しかし第1章だけで450ページもある内容だから、そもそも受け付けてくれない可能性がある。そういうフォーマットの作品だから、これはもう仕方ない。さて、この作品がどうなるかは、明日以降……。

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 『天子姉妹の祝福』はいろんなシリーズ展開していくことを構想しているのだけど、私がこの作品のなかで描きたいと考えているのは「魔女狩り」。魔女狩りとは果たしてなんだったのか、なぜそんな事態が起きてしまったのか……。
 といっても『天子姉妹の祝福』は中世ではなく現代劇。ヨーロッパで起きていた魔女狩りそのものを描くのではなく、「どういったものだったのか?」という社会や人の精神を描くことを目論見としている。

 では「魔女狩り」とはどういったものだったのか? 雰囲気的な話ではなく、実際の「魔女狩り」の話を掘り下げていこう。

 1486年ヤコブ・シュプレンガーとハインリヒ・インスティトリスによる著作『魔女への鉄槌』(あるいは『魔女の槌』)が出版される。この本は1669年に至るまで31版も刷られ、実に200年にわたってヨーロッパ諸国におけるベストセラーであり、ロングセラーとなった。しかもローマ法王お墨付きである。この本『魔女への鉄槌』の中で、魔女がいかに危険か、魔女をどうやって見分けるかの論理体系的に示され、これが魔女狩りの際の基本的な手引き書となった。厳密に言えば魔女裁判自体はこの本が出版される以前からあったのだが、魔女裁判が「魔女狩り」という形を持ち、ヨーロッパ中に広まっていったのはこの本が切っ掛けだった。
 イギリスでの話だが、「魔女迫害法」という法律が1542年に制定され、国の法律に則って魔女捜しが行われ、裁かれていた。「魔女迫害法」が撤回されたのは1591年。この撤回の年まで、イギリスだけで数千人の女性が拷問され、処刑されていた。

 現代では『魔女への鉄槌』がどんな本だったのか、確かめる術はほとんどない。400年前の絶版本なのでAmazonで検索しても出てこないし、古すぎて版権フリー文献にも入っていない。ただ、『魔女への鉄槌』を取り上げた本の解説によれば……わりとエロい内容だったらしい。
 ヤコブ・シュプレンガーとハインリヒ・インスティトリスの二人は、どうやら女性蔑視、女性不安の思想に囚われていたらしく、女性の性質を一つ一つ取り上げては、それらはすべて「魔女的な忌まわしいもの」と本の中で解説していた。その描写や分類というのが相当に細かく描かれていたようで、それこそセックスそのものの様子や、そこに至るまでのやりとりまでも描写されていたらしい。
 それはほとんどエロ本では……現代の感性ではそういう気がするのだけど、『魔女への鉄槌』の著者によれば、そういう一つ一つが忌まわしいもの、と本気で怯えていたようである。とにかくも性にまつわるものが恐ろしい。性にまつわるものに接すると不安になる。性欲に囚われると悪魔に脅かされるのではないか……ヤコブ・シュプレンガーとハインリヒ・インスティトリスは本気でそう考え、こんな本でも人々をより良くすべきだ……という意思のもとに書かれたものだった。
 物事は主観と客観で見え方は大きく変わる。現代の「おかしな学校校則」としてよく取り上げられがちな話で「女子のポニーテイル禁止」がある。なぜポニーテイル禁止なのかというと、ポニーテイルにするとうなじがよく見えて、変質者を興奮させるからだ……という。これを主観として考えている人は、「女の子を守るんだ」という意思によるものだが、客観でこの話を聞くと「そりゃ、お前自身が女の子のうなじを見て興奮するからだろ」としか思えない。実際はそれが本音なのだろう。しかしその当事者は自身が内面的に感じている欲求を認識できず、「自分ではなく、自分以外の誰かが……」というストーリーに置き換わる。
 世の中の面倒くさい男女を巡る問題話の大半はこれだ。実は「自身が……」という本音の部分が隠蔽され、「それは自分以外の誰かが……」と話を置き換えて自分自身をごまかし、納得しようとする。自分で自分の不安の真相がどこにあるのかわからない。だから不安がえんえん続き、その不安を解消しようと別の何かを叩こうとする。世の中の、ほんの些細なことで「問題だー!」と大騒ぎする人たちの内面はだいたいがコレだ。自分自身に向き合えない人たちが、大騒ぎをしている。
 さて『魔女への鉄槌』の話だが、私の見立てではヤコブ・シュプレンガーとハインリヒ・インスティトリスの2人はド変態である。間違いない。真性のド変態だ。ただこの2人の著者は、自分で自分がそういう欲求を抱いていることを認識できなかった。自分で認識できず、絶えず自分の下半身から沸き上がってくる猛烈な欲求を、「悪魔の誘惑だ」と誤認し、この悪魔的欲求から逃れようと『魔女への鉄槌』なる本を描き、視界から「魅力的に感じる女性」を排除しようとしていた。
 ヤコブ・シュプレンガーとハインリヒ・インスティトリスは、自分の性欲と向き合えない精神的な病を負った人に過ぎない。このたった2人だけの葛藤話であれば何も問題なかったのだが、しかし『魔女への鉄槌』はヨーロッパ中に広く読まれ、多くの人が信頼し、200年にわたり狂った世相を作るに至ったのである。
 なぜヨーロッパ中の人たちが、『魔女への鉄槌』という変態本を信じたのか。それがヨーロッパの人々が背負っている、根源的な精神的病ではないか。
 といっても「魔女狩り」の話なんてもう何百年も前の話。それを今さら――という気がするが、私の考えではそうではない。現代に至るまで、それこそ最近のLGBT運動まで、魔女狩りの時代の延長から起きたものだと考えている。

 とはいっても、「魔女狩り」と一言で言っても、その中には様々な「層」があった。例えばなんでもない喧嘩があったとして、相手が目障りだと思えば、「この人は魔女です! 魔法を使っているところを見ました!」と訴えればその相手を拷問の末、殺すことができる。ところが魔女裁判では「お前の仲間を2人挙げよ」と必ず尋問される。人を呪わば穴二つ。報復目的で告発すると、必ず自分の元へかえってくる。
 ヨーロッパ社会は何度も大きな「世代の変化」というものがあった。現代でも「世代間ギャップ」というものがあるが、ヨーロッパ中世でもあった。新しい道具や新しい思想が広まってそれが新しい時代の当たり前になっていくと、そうすると若者達は古い思想のものがよくわからない。それどころか、昔やっていたアレやコレは魔術に関わるものじゃないのか……とか思い込むようになっていく。そういうなんだかわからなくなった、古い世代を継承している人々も「魔女に関わっているんじゃないか」と告発の対象にされた。
 世界中どこの国を見ても「薬草文化」というものは必ずあるのだけど、ヨーロッパにはなぜないのだろうか……と長らく疑問だったが、どうやら古い薬草術を知っていた人々、しかもそういう知識は女性に引き継がれていたのだが、そういう人たちが「魔女」として葬られていたようだった。
 こんなふうに面倒になった隣人を始末するのに都合が良かったのが「魔女狩り」だった。断片的に残されている話だが、告発した側にも後ろめたさはあったようだ。
 魔女狩りには本当に様々な「層」がある。ヨーロッパ中世の時代には「魔女捜し屋」という職業もあって、たった1人で地方を巡回し、魔女を数千人炙り出した……みたいな記録も残っている。この時代の裁判制度は日本の「八州廻り」と同じく、裁判官が地方を回って、その土地土地の問題を裁いて回っていたわけだが、そういう裁判官に先回りして魔女捜し屋が村を訪れ、魔女を炙り出しして、裁判官に突き出していた……という話もあった。魔女捜し屋はこの仕事で、魔女1人につき、村人から報酬を得ていた。
 あとから話を聞くと、「それは魔女とは関係ないのでは?」という人々も「魔女だ」と言われて葬られていた。果たしてこの時代に葬られた女達の中に、“本物”はいかほどいたのか……。

 そうそう、「魔法使い」と呼ばれる人たちは実際にいる。私は最近、部族社会に関する本を読んでいるのだが、小規模血縁社会や部族社会の中には、集落の中に一人、魔術師がいた。この魔術師が狩りが成功する確率を上げてくれて、敵対する近隣部族に呪いを送っていた。魔術師はどこの社会でも普遍的にいるもので、日本でも昔は「陰陽師」と呼ばれる人達がいたが、彼らも魔法使いである。
 キリスト教世界では、要するにキリスト教以外の宗教は、みんなみんな忌まわしき魔法使いだった。キリスト教の聖人達も魔法を使うのだが、聖人達が起こす奇跡は聖人自身ではなく、その後ろにいる神様が起こしているから良いのだ……という理屈が作られていた。魔女狩りによって、ヨーロッパ全体に伝わっていたかも知れない伝統宗教は姿を消していった。
 そういう魔術師達が、時代の変わり目に、かつてそれを信仰していた人たちに「悪しき魔法使いだ」と告発され、裁かれていったのである。そうやって、ヨーロッパ人たちは「迷信を信じない理性的な思考」を獲得していった。

 では時代はどうだったのだろうか。魔女狩りをやっていた時代というのはどこまでも陰惨な時代だったのだろうか? ここにも実はかなり様々な層があって、一言では言い表せないほど複雑であった。
 先ほどから私は、魔女狩りの時代を「ヨーロッパ中世」と表現してきたが、実は中世はすでに終わっていた。『魔女への鉄槌』が出版されたのは1486年なので、すでにルネッサンスは始まっていて、レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロが素晴らしいアートを作っていたし、1492年にはコロンブスが新大陸を発見している。
 ヨーロッパ中世というのはローマ帝国が崩壊した後、人々が一度石器時代からやり直すという暗黒時代を経験していたのだが、この時期のことを「中世」と呼ぶ。ルネッサンス期以降というのは中世も終わって、暗黒時代を切り抜けて理性と芸術が花開こうとしていた時代だった。
 そういう時代と同時進行で魔女狩りがヨーロッパ中に広まっていた。

 話は遡って13世紀、トマス・アクィナス(1225~1274年)は精液中には人間がすでに存在しているのだから、オナニーは殺人である……とした(オナンの禁止はこの辺りから来ている)。こういったことから、13世紀頃はローマ発として「売春禁止令」が出され、売春したものは鼻削ぎの刑、売春婦を買った者も罰則があった。
 キリスト教の歪(いびつ)さというのは、人の性生活をコントロールしようとするところにあった。そうした思想の延長にあるのが、『魔女への鉄槌』だった。ヤコブ・シュプレンガーとハインリヒ・インスティトリスはキリスト教の教えをしっかり守り、しかし守り切れないのは女達が悪い、女達は忌まわしい何かに違いない……と思い込んで『魔女への鉄槌』を書くに至ったのである。
 1584年、魔女狩りの時代である神学者ベネディクトはトマス・アクィナスの考えを継承し、夫婦間のセックスは子作りこそが重要なのであって、快楽を得てはならん、と発表した。
 なんという無理ゲー。ではこの時代の人々は教会の教えを守って、子作りのためだけの淡泊なセックスをしていたのか? そこがこの時代の複雑さで、こちらの画像を見て頂きたい。

 画像はピーデル・ブリューゲルが17世紀頃に描いた、『農民の婚礼の踊り』である。
 農村の結婚式の風景を描いた絵だが、その結婚式の主役はどこにいるのかというと、画面中央の奥、小さく描かれているのが新郎新婦である。しかし村人達は、結婚式の主役に興味がなく、その周囲で踊り回っている。画面手前を見ると、男が股間をモッコリさせて腰を突き出すようにして踊っている。これはコッドピースというものを股間に入れて、大きさを強調しているのである。これでペアが成立すると、画面左側、男女がキスしている場面に移る。次に画面右側へ行くと、男女が手を取り合って森の中へ消えていく姿が描かれていく。これから森の中でセックスをするのだ。
 農村における結婚とは、まずさっとセックスしちゃう。それで子種が宿ったら結婚、できなかたらペア解散……というものだった。結婚ということになったらまた結婚式が開かれ、村人達が主役そっちのけで股間を突き出して踊り回り、ペアが成立したら森に入ってセックス……という流れだった。
 この時代もまだ魔女狩りをやっていたような時代だし、偉い宗教家の人が「セックスで快楽を感じてはいかん!」とか言っていたが、農村へ行けばおおらかで開放的な性生活が営まれていた。

 次の画像はハンス・ホルバインの作品『ヘンリー8世』だ。1537年に描かれた。この絵のポイントはなんといっても股間のモッコリ。漫画みたいなモッコリが描かれている。これも股間にコッドピースを入れていて、わざわざスカートに前面部分に裂け目を作って、そこからモッコリを覗かせているのである。現代人が見るとびっくりするような絵だが、これがこの時代の「強い男性」をアピールするポイントだった
 部族社会には「ペニスサック」という、ちんちんを隠すものだけどどう見ても強調している装身具がある。ああいったものと、どこか似たようなものを感じさせる。

 股間のモッコリは後の時代の人々はさすがにやらなくなっていくのだが、王族や貴族になると、相変わらず男性も派手な格好をしていた。
 『サピエンス全史』の著者であるユヴァル・ノア・ハラリによれば、現代の男性は歴史上、もっともみすぼらしい格好をしている、と表現した。確かにその通りで、男性は19世紀頃から自分の身体を隠すようなファッションをするようになった。今は男性はどこの社会でもスーツにネクタイという格好だが、あの格好ほど男性的なセックスアピールを封じ、シルエット全体がのっぺり見せかけるような服はない。
 女性は昔も今も愛らしさやセクシーさを服装で表現するのに、なぜか男性だけある時代からそういうことをしなくなった。これも不思議といえば不思議な現象である。なぜ男性が個性を表現することを封印するようになったのか……。そこにも何か秘密があるかも知れない。

 話は脱線するが「セクシーさ」というのは別に女性特有のものでもないし、女性の裸が無条件にエロいわけではないし、というか女性の裸だけなら別にエロくもない。

 こちらの画像は、いま話題大爆発の『ギルティギア』シリーズのブリジットきゅんである。ブリジットのシリーズ再登場に世間は大騒ぎだ。pixivではブリジットの二次創作が一山作られたし、YouTubeではブリジットを映した動画が大量に作られた。pixivを見るとブリジットの二次創作はすでに3000枚を超えているし(旧作ブリジットの二次創作も含む)、そのうちの何割かはエロ絵である。なぜここまでブリジットのエロ絵が描かれるのか、それはみんなブリジットきゅんにセクシーさを感じているからだ。
 客観的にいって、ブリジットは間違いなく可愛いし、セクシーにも感じられる。しかしブリジットの可愛らしさやセクシーさは「性別」から来るものではない。もしもこの可愛らしさやセクシーさが女性特有のものであったら、ブリジットがここまで愛らしくなることはない。ただ「フォーマット」というものがあって、そのフォーマットにしっかり載せていれば、別に女性でなくても男性でも可愛くなる(それどころか、人間以外もセクシーに見せられる)。ただ現実であまりそうしないのは、社会通念がそこにあるからでしかない。
 話は戻るが、16世紀の男性は股間をモッコリさせてスカートを押し上げていたが、そういう絵、ショタエロの世界では山ほどある。ギンギンになったちんちんがスカートをモッコリさせている絵なんて数千枚以上あるはずだ。スカートをモッコリさせる絵は、やっぱり「セクシー」なのだ。

 さすがにやばいので「連結部分」は修正を入れるよ。作品は1830年柳川重信『天野浮橋』。肝心の部分を隠しちゃっているのでわかりづらいかも知れないが、仰向けになっているほうは男。男の娘。男の娘×女というエロ絵。
 今時、こういう絵はpixivで「男の娘×女の子」カテゴリーで一杯出てくるけど、200年前の時代にとっくにやってた。
 どうして今の日本が江戸時代頃の境地に来たかというと、戦後のマッチョ賛美の意識がようやく剥がれ落ちてきたから。「男は男らしくなくちゃイカン!」みたいな空気が薄まってきて、やっと日本人がもともと持っていた「エロ観」に戻っていった。ブリジット参戦に大歓喜の感性も、こういうところから来ている。

 とろこがブリジット参戦に狂喜乱舞しているのはどうやら日本だけのようだ。そもそもブリジット参戦に希望を出していたのは日本だけ。西洋ではさほど人気のあるキャラクターでもなかった。
 では西洋世界にはブリジットのようなショタエロは存在しなかったのか。いや、そうではあるまい。

 こちらの絵はジャン・ブロックの『ヒュアキントスの死』。1801年の作品。これ、エロいでしょ。どう考えてもそういうエロい絵でしょ。

 お次はウィリアム・アドルフ・ブクローの『濡れたピクド』。これもどう見たってショタエロ絵でしょ。私もこの絵を初めて見たときは「うぉぉ……」と溜息を漏らしたもの。ええ、即画像保存しましたとも。ブクローはいいぞ!! はかどるのでブクローの絵はぜひ検索してもらいたい。

 ところが西洋のエロに対する認識は相当に曲がりくねった方法で示される。

 こちらの画像はアレクサンドル・カバネルの『ヴィーナスの誕生』。1863年の作品である。誰がどう見たってドエロ絵。画面手前に足を投げ出し、豊満なおっぱいの谷間から首が伸び、目線にはセックス後の恍惚が現れている。
 ところがヨーロッパではこの絵は「エロい目で見ちゃいかん」という。

 こちらの画像はマネの『草上の昼食』であるが、発表されたのはアレクサンドル・カバネルの『ヴィーナス誕生』と同じ年。ところがマネの作品は「猥褻だ!」と非難されたのだった。
 なんでや? どう見たって『ヴィーナス誕生』のほうがエロいやろ。

 これがヨーロッパの面倒くさいところで、明らかなエロ絵を、エロ目線で見てはならない……という約束事がある。ヨーロッパ絵画において、裸の女というのは「神や聖霊」であるから、裸であることが当然、裸であってもそれは性的なアレじゃないのだ、という。まあ詭弁だよね。そこで『草上の昼食』は現代を描いた現代人の女性が裸で座っている、という詭弁の通用しない絵が出てきてしまった。これを見たヨーロッパ人は、慌てたしうろたえた。「か、神様じゃないのに、裸の女が……」となって、その動揺が「猥褻だ!」という非難に現れた。
 でも客観的な目で見て、上に挙げた絵はどれもエロいよ。こういった絵を挙げて、エロさを感じてなかった……なんて信じられない。明らかにいって、女の裸を公衆の面前に晒すこと、その性癖が絵の中に現れている。しかし西洋絵画は技巧で埋め尽くし、権威主義をそこに与えて、自身が感じている性癖を後方に追いやってしまう。絵画ひとつとっても、西洋の屈折ぶりが見えてくる。

 閑話休題。教科書には絶対に載らない話。
 では西洋の巨匠達はまったくエロに無縁だったのか。日本のたいていの絵師はだいたいエロい絵を描いている。西洋の絵師はエロい絵を描かなかったのか?
 実は描いている。上に掲げた絵はジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル。19世紀のフランスサロンの権威である。画壇の権威も、こっそりエロ絵を描いていた。
 アングルだけではない。レンブラント、ゴーギャン、ミレー、ルーベンス、ロダン……いろんな絵描きが性交場面を描いて残している。中にはギュスターヴ・クールベのようにあけすけに描いて発表した作家もいるが、では他の作家達も描かなかったかというと、描いていたけど、こっそり描いて発表していなかった。
 西洋絵画の詭弁の裏側では、こんな世界が広がっている。本当はみんな女の裸が描きたかっただけだし、女の裸が見たかっただけ。詭弁というヴェールを一枚剥がせば、みんなエロ根性剥き出しで絵を描いていたのだ。

 さて次はこんな絵。

 ジャン・レオン・ジェロームの『ローマの奴隷市場』。1884年の作品。ジェロームは同じテーマで連作を作っているのだが、どれも裸の女を構図の中心に置いて、男達が群がって手を伸ばす……という絵になっている。
 ヨーロッパ芸術でやっていることって、要するにコレだよね。裸の女を公衆の面前で晒し、でもいかにも小難しいことを言ってエロさを覆い隠そうとする。ヨーロッパ人のエロの感性はどうにも屈折している。

 ヨーロッパ人の面倒くさいことは、自分たちが背景に追いやっている「本音」を自分で認識できないことにある。日本にも「本音」と「建前」があるのだけど、これは大抵の場合は「本音」を認識しつつの「建前」だ。でもヨーロッパ人の面倒なところは自身の「本音」が見えないよう見えないよう精一杯の注意を払っていることである。
 例えば性犯罪について、ヨーロッパ人は「日本はエロ文化が氾濫している。女達が性被害に遭っているに違いない! 日本のエロを規制すべきだ!」と言う。しかしどの統計を見ても、女性の性被害は欧米のほうが圧倒的に多い。というか、日本における性犯罪は非常に少ない(「日本人」で絞り込むとさらに少なくなる)。ヨーロッパでも「研究者」を名乗る人であっても、統計データを参考にした上で発言しない。ヨーロッパ人たちは自分たちが強烈な性欲に囚われて行動したり発言している……ということに自覚がなく、その自覚がないままに「日本が~」とその矛先をこちらに向けようとしている。自分自身の不安に目を向けられず「問題だー!」と大騒ぎしがちな人と一緒だ。
 ではどうしてそこまでヨーロッパ人たちは「自分自身」に目を向けることができないのか?

 2021年Netflixにて配信された映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は欧米で大絶賛された作品だ。でも私の印象は、ちょっと「ん?」というところがある作品だった。
 お話は主人公フィルは実はゲイであるのだが、それを隠そうとひたすらにマッチョな素振りを見せる……という内容だった。
 アメリカはご存じマッチョ賛美社会で、力強い人が尊敬され、注目される。その一方で、女性的なゲイは忌避される。アメリカのマッチョ賛美・ゲイ忌避は客観的に見るとある種の異常さすらある。アメリカでは社会全体がゲイを忌避し、かつての時代ではゲイであることが発覚したら撲殺される場合すらあった(『ブロークバック・マウンテン』がそういう時代を描いた作品)。ゲイであったら撲殺されても仕方ない……という意識すら、アメリカにはあった。「魔女狩り」ならぬ「ゲイ狩り」である。
 そうした社会が背景にあるから、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の主人公フィルは自身がゲイであることをひた隠しにして、そうした人間観を描いた『パワー・オブ・ザ・ドッグ』が称賛されている。アメリカの社会観の根底にあるものを暴いたからこその評価であった。
 でもそういう社会観を持たない私のような日本人が見ると、「ん?」という感じはあったわけだ。だって妙に迂遠なことをしているな、という感じがあったから。
 日本では『ギルティギア』にてブリジットきゅん参戦で大歓喜である。なぜ日本人があそこまでショタキャラを(男女問わず)歓迎するのか、というとゲイに対する忌避感がないから。欧米ではゲイに対する忌避感がまだまだ強いから、ブリジットきゅんみたいなキャラクターと接すると「お、おう」みたいな戸惑いが起きる。欧米の社会通念にある、マッチョ賛美、もしかしたらゲイ忌避の意識に引っ掛かるからだ。
 しかし欧米でも通底にはゲイを好む性質が隠れている。ウィリアム・アドルフ・ブクローの少年天使の絵を再び見てみよう。ジャン・ブロックの絵を。あるいはカラッバジオでもいい。どれもエロいショタ絵だ。しかし欧米はそういうエロ絵を前にしても、「性的に惹かれた」という本心を後ろに隠して、ちょっと、いやかなり小難しく絵について語ろうとする。ひょっとすると絵の評論がやたらと小難しいのは、本音を隠したいからじゃないか……と勘ぐってしまう。いや、アンタたちそうじゃないでしょ。本当はドエロいの好きで、そういう絵が見たいんでしょうが。……とこれを言ったら欧米の人は怒り出すんだけど。
 もう少し別の視点から見てみよう。犯罪統計で検索してみると、欧米での少年への性犯罪はかなり多い。日本とは比較にならんくらいに多い。実は本音では欧米の人々もショタは大好きなのだ。でもそれは表向きには隠す。自覚がないフリをする。欧米の人はそういう本音を後ろに隠して「日本は有害な性的コンテンツが~」とかなんとか言う。欧米の人々の本音は、そういう発言よりも犯罪統計を見たほうがよくわかる。つまり、欧米の人々が口先で言うことは、基本的に聞く必要はない……ということだ。(特に「日本は欧米に較べて遅れている」系のやつはだいたい裏がある)
 日本は欧米のゲイ忌避の意識も取り入れてしまったけれど、本来の日本はゲイに対するタブーなんてものはなかった。少なくとも江戸時代までは普通。浮世絵を見ても、ショタエロ、女装っ子エロも結構ある。そういうものがもともと日本が持っている性文化だった。だからこそブリジットに大歓喜なのである。
 そういう意味で世界は日本を見習え、と。江戸時代の性文化を見習え、と言いたい。なぜか世界では「日本は男尊女卑の国だ」と非難する人が多いようだが、お前達は何を言っているんだ。お前達が目標とする国が日本だぞ。

 話が現代まで流れてきたけれど、そういう根源は15世紀頃の男性不安からずーっと流れてきているのではないか、と私は考えている。「魔女狩り」は中世のある時期だけの現象ではなく、その後もずっと尾を引いているのではないか……。そういうものに対するカウンターが、今の時代になってLGBT運動に出てきているのではないか。
 それを『天子姉妹の祝福』という物語の中に、どうやって組み込むのか……というと「狭間世界はあらゆる世界と通じている」……という設定が使える。「狭間世界」のとあるゲートをくぐると、そういう魔女狩り時代に近い世界観がある……というお話を考えている。そういう世界観で、「なぜ?」と問うてみようと。そういうふうに描いた方が、「魔女狩り」のある時代のある一場面を切り取った作品より、俯瞰的な作品になるんじゃないかと。
 『天子姉妹の祝福』第1章においては、その試みの一段階として、エリオット・ロジャーを登場させた。セックスの機会を与えてくれない女性が悪い、女性が許せない……そういう思考回路を持った若者のお話だ。
 ノルウェーで2011年7月22日に起きた銃乱射事件も深掘りするとそういうお話だ。7月22日に起きた銃乱射事件の犯人であるブレイビクは社会との関係性を断たれた若者だった。孤独に追いやられ、自己実現ができない。その想いが「政治が悪い」「移民政策が悪い」……とお題目が肥大化していき、最終的にセレブ階級の子供たちを虐殺するという行為に出てしまった。
 ごく最近の日本でも似たような事件が起きてしまった。2022年7月8日安倍晋三銃撃事件がそれだ。しかも、この事件を多くの人が共感してしまっている。それはつまり、それだけ追い込まれている若者が社会の中にたくさんいる……ということでもある。そういう社会が実は結構危ない……ということにも気付かねばならない。
 社会的な関係性を断たれた人は、自身ではなく、社会が悪いと考えて大きな復讐を考えるようになる。ヨーロッパ中世では大きな意味で性の体験を絶たれてしまった若者達がいた。その狂気がどこかしら魔女狩りという「女性差別」の形で現れたのではないか……。

 そうはいっても、なぜヨーロッパがそういう思想に陥ったのか、決定的な「証拠」はまだ見付けられてない。まず『魔女への鉄槌』を書いたヤコブ・シュプレンガーとハインリヒ・インスティトリスの変態性がどういったところから出てきたのか、その社会観から掘り起こさねばならない。
 こういうの、片渕須直監督や高畑勲監督なら、「これこそまさに動かぬ証拠だ」というものを見付けてきて、そこからお話を作るんだろうけど。「推測」だけでお話を作ろうとする私はまだまだ半人前だ。まだまだ準備に時間をかけねばならない。

 と、こんなふうに考えていても、『天子姉妹の祝福』がどこも出版社も予算出さなかったら、この話もここで終わりなんだけどね。


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