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ロヒンギャ虐殺から6年と私がミャンマーで判決10年を下された理由

2017年8月25日、ミャンマー軍がロヒンギャ虐殺を開始した。70万人以上の難民がバングラデシュへの逃れる様子は大きなニュースとして報じられた。あまりにも痛ましい出来事から6年が経過し、2021年のクーデターを経てミャンマー情勢は悪化の一途を辿っている。バングラデシュの難民キャンプでは治安状況の悪化も問題視されている。

本日、一時的に非公開にしていたドキュメンタリーを再公開した。2018年に制作したものだが、実はこの映像が、私の拘束が長期化した理由と関連していると考えられる。

ドキュメンタリーの内容は、ロヒンギャのために活動する数少ないミャンマー人の人権活動家の旅を撮影したものとなっている。『Empathy Trip』(2018)

当時のミャンマー国内では、ロヒンギャが虐殺されているという事実を信じている人は少なかったと言える。軍によるプロパガンダが強力であったこともあるが、ロヒンギャという存在がミャンマー国内ではタブー視されていたこともあり、自由な報道ができるはずのメディアも自主規制をしていた傾向にあった。

中でも、ミャンマーの多数を占めるビルマ族仏教徒の中には、「イスラム教徒のロヒンギャは侵略者であり、国軍は彼らから私たちを守るために戦ってくれている」というストーリーを信じている人も多かった。

そんな中でも、このドキュメンタリーの主人公であるテトは危険を顧みず、バングラデシュ側の難民キャンプへと渡航した。何度かの試行錯誤の中で、バングラデシュ側の入管に拘束される事件も起きている。それでも、真実をミャンマー人に伝えようという挑戦をしていた人だった。彼の仲間たちとの旅は、非常に貴重な記録となった。

2021年2月1日のクーデター以降、ミャンマー国軍はビルマ族を含むすべての市民に銃を向けるようになり、テトたちや他の活動家・ジャーナリストのほとんどは国外へ逃れることになった。

そして、2022年の7月に私はミャンマーで抗議デモを撮影していたところを国軍によって拘束され、判決10年を下さることになる。実は、判決の大きな比重を占めていたのが、まさにこのドキュメンタリーを制作したという事実だった。

ヤンゴンの路上で抗議デモを撮影していたところを拘束され、警察署に連れていかれた。取り調べを受けている最中に、私はこの映像『Empathy Trip』を制作したことがバレるとまずいと考えた。そして、警察官の目を盗んでこの映像をオンライン上で非公開にしてほしいと知人(岸田宏和さん)にLINEでメッセージを送り、それが私からの最後の通信となった。後に聞いた話だと、Yahooからはすぐに公開停止にしてくれたとのことだった。

ところが、取り調べ官が私の名前をFacebookで検索すると、同じ『Empathy Trip』の映像がミャンマー語のウェブメディアに紹介されていたことが発覚した。そのようにして、私がロヒンギャについての映像を制作したことを罪に問われることになった。

そのような経緯があり、日本語サイトのYahooでは非公開にしていたドキュメンタリーとなってる。撮影に協力してくれたテトやその他のミャンマー人たちは、今もミャンマーの平和のためにそれぞれのフィールドで活動しています。2018年当時の記録として、あのような挑戦をする人々がいたこと、そして彼らが今も活動しているという事実を知っていただければ嬉しく思う。

そして、今も苦境にいるロヒンギャ難民たちの状況に目を向け続けてほしい。

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