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冬季うつになった話

2022年に引き続き、2023年の秋から暮れにかけても繁忙期の業務量の過多に端を発する適応障害になったのだけど、一応対策を取っていたこともあり、2023年の方がまだしも軽めで、12月をまるまる短時間勤務にしてもらい(もともとが「1日8時間×週4勤務」の短時間障害者雇用のところを、有休使ってさらに短く「1日6時間×週4日」)、正月もしっかり休養に当てたところ、年明け頃には割と元気になってきて、これはこのまま回復に向かっていくかなと甘い見通しでいたのだが、一月末頃から急激に調子を悪くし、あれよあれよで強めの抑うつ状態になってしまった。

主治医に抗うつ薬(レクサプロという近年メジャーなSSRI薬)を処方してもらったのだが、二月、三月と抑うつ状態が続いて何もできなかった。

本当に何もできなかった。何もできなくて、とにかく寝倒していた。

どうやら、冬季うつになってしまったらしい。

「冬季うつ」というものがあるということは知っていたのだが、なったのはこれが初めて。いや、振り返ってみると、もともと冬場に体調を崩しがちな傾向はあったかもしれないが、いずれにせよ「うつ」とはっきり言えるほど落ちたことはなかった。

冬季うつの主な原因は、冬になって日照時間が短くなり、日に当たらないことで、俗に幸せホルモンと呼ばれるセロトニンが出なくなることにあると言われているが、もともと、今で言う気象病というか、季節の変化や気圧の変化、あるいは環境の変化など、そういったもろもろの変化に弱いことを考えると、やはり罹りやすいところはあったのかもしれない。

「ASDの二次障害としてのうつ」とも言えるかもしれないけど、まったく、いったい幾つ精神疾患に罹ったら気が済むんだよ、と自分でもうんざりするが。

というのはともかくーー。

うつになると、とにかく体が動かなくなる。疲労感や虚脱感がすごくて、全身が鉛のように重くなる。体に力が入らない。意欲がわかない。気力もわかない。何に対しても興味や関心がなくなる。朝起きあがれない。思考力がなくなる。集中力がなくなる。

冬季うつの症状は、いわゆる普通のうつと症状が逆転するというか、普通のうつだと「眠れない、食べられない」という二大症状があるが、冬季うつではそれが「寝すぎてしまう、食べすぎてしまう」というようになる。ネットの情報では動物の冬眠のようなイメージなどと書かれているものもあった。実際なってみて、なるほどと思った。

私の場合、食事を食べすぎるということはなかったが、とにかく甘いものを欲してしまい、間食がかなり増えた。それで動かない(動けない)から当然太るということになって、体重計は乗ってないから実際どれくらい増えたかわからないが、日常的にやっていた軽いストレッチと運動とでたるまない程度にキープしていた腹回りが、次第にぶよよーんとなっていくのがわかった。ベルトの穴一つ分、余分な肉がついた。

ほんの少しの運動もせず、そのくせ食べることだけはまともにするから、「寝てばかりのくせに食うもんはしっかり食いやがって……」という罪悪感にも苛まれた。

抗うつ薬を処方してもらって、それが効いてくるまでは、疲労感がとにかく足に来てしまって、まともに歩けなくなった。足、特に太もも、が尋常ではなく重だるくなって、足がまともに動かせないのである。

普段すたすた歩いていたようにはまったく動けず、足腰の弱った年寄りのように、スローに、よたよたとしか歩けない。普段は日々5000歩を目安になるべく歩くよう意識していたのだが(5000歩も全然たいした歩数ではないが)、例えば1日わずか2000歩でも歩いてしまうと、帰宅後はもう、ぜぃぜぃ、はぁはぁ、息切れがしてへろへろで、そのまま部屋に倒れ込むような具合になってしまう(仕事に出ると最低でも2000歩くらいは歩かざるをえなくなるわけだが)。

階段を上がり下がりする体力も気力もまったくなく、今まで職場では極力エレベーターを使わないようにしていたのだけど(職場は六階にある)、――自力で階段上れなくなったら終わりくらいに思っていたのだが――、これももうエレベーターに頼らざるをえなくなった。

歩くことだけでなく、体の動き全体も緩慢になった。精神科に行くと、病気のせいか薬の副作用などのせいか、動きがやたら緩慢な人がちらほら目につくのだが、気がついたときには自分が同じような状態になっていたというところである。ディープなうつか、と悟った次第である。

そんな風なので、家ではとにかく横になってばかりだった。起き上がってられないのである。休日ともなると、夜に8時間とかそれなりにしっかり睡眠をとったあとでも、午前中に1~2時間の昼寝、午後にも1~2時間の昼寝、夕飯の後にも1~2時間の昼寝をしてしまう。

目が覚めている間もずっとゴロゴロ。何をするでもなく(何もできない)、子どもがゲームをやったりyoutubeを見たりしているのを横目にゴロゴロ。子どもがゲームで癇癪を起こして叫ぶのが耳に障るので寝室で耳栓装着してゴロゴロ。そして食欲だけは普通にある。まさに、食っちゃ寝食っちゃ寝とはこのことというような生活ぶりである。

子どもにごろごろ寝てばかりの姿を見せるのもよくないと思いつつも、もうどうにもなりませんでしたね。

意欲や気力、集中力が低下することで、普段なら楽しみや娯楽、あるいは生き甲斐いくらいの思いで取り組んでいるものにも、取り組めなくなってしまった。これが何よりつらかった。つらいのだが、抑うつ状態にあるせいか、つらいという気持ち自体がわきにくいというか、心の方もひたすら落ちてしまうので、例えば5分でも10分でも何かがんばって取り組もうみたいに気持ちを奮い立たせることができないのはもちろんだが、その一方で、焦りとか失望とか、そういったものも生じないのだ。

何と言うか、ただ、どうにもならないという茫漠とした無力感に放り込まれているというか、重くぶ厚い灰色の雲に脳も気持ちもすっぽり包み込まれてしまうような、そんな感じである。

(うつだから当然気持ちもずどーんと落ちて、最初は「あ、ダメだ、起き上がれない、これ仕事いけない」となって急遽休んだりもしたのだけど、落ちてるときは気持ちのベクトル自体が重ーく下を向いてどこまでも落ちていく感があるのだけど、薬が効いてくると落ちるには落ちているけど、ベクトル自体は横を向く、水平になる、みたいなことになって(私の場合の効き方かもしれないけど)、なんか落下速度というか勢いが次第に緩くなり、やがて止まって、低ーいところで無重力状態でぼやーんと浮いてるみたいな、妙な心地になったりした)

何もできないという話に戻りますと――。

例えば、2024年はギター(youtube投稿)をがんばるぞ、と年初にそれはそれは健気な目標を掲げていたのだが、抑うつ状態になってからというもの、ギターを練習するどころか、今に至るまで、ただの一度もギターに触れられてない。かれこれもう二ヶ月になる。健気とは言うが、ギターは本当にがんばるつもりで、一月にはここでも公開したけど一気に3曲も録画して、二月にもまた3曲撮るつもりで並行して練習していたのに、放置状態になってしまっている。

――と、いったんこのように書いたのだが、上の文章は東京でも桜が一気に満開になった四月の頭頃に書いたことで(暖かくなって少し元気が出たタイミングで)、それを推敲・加筆している今はというと、それから約一ヶ月が経ったGWも終わろうとする頃で(06/5/5)、そして、ギターはまだ再開できておらず、というわけで、結局もう三ヶ月以上も一切ギターに触れられてないことになる。

楽器の演奏や歌うことは思った以上に体力を使うのか、ようやく体調が回復に向かいつつある今でも(5月現在)、ギターを手にしようという意欲はまだわかず、なんというか、部屋に立てかけてあるギターからも意識的に視線を逸らしているようなところすらある。ギターを弾くことを考えると、なんかもう、それだけでしんどくなるのである。ギターは、youtubeに投稿するようになってからのこの二三年、自分の中で一番力を入れていたものであったというのに。

(この記事は、いったんその四月初めの少し元気が出たときに8割方ばーっと書いたものの、仕上げる気力がわかないままその後ずっと放置してしまって、GWも終わろうとしている今、ようやく、そろそろ手をつけなきゃなーとなんとか向き合っている次第である)

あるいはチェス。昨年秋からの適応障害もあって、ストレス強めのオンライン対局のレート戦からはしばし離れることにして、コンピューター対戦に切り替えていたのだが、うつ状態になるまではレート1800(chess.comというサイトのbot)にあと一息で勝てそうというところまで行っていたのに、自分でも訳がわからないうちに調子を落として勝負にならない感じになってしまった。

それじゃあいったんレートを下げるかと1600に切り替えたものの勝てず、1500に下げてもやはり勝てず、気づいたときには相手の指し手の狙いがまったく見えなくなってしまい、あれよあれよで1400にすら勝てなくなり、1200にも勝てなくなり、ついにはレート1000にも勝てなくなってしまった。

初級者レベルに逆戻りである。

自分が疲れていることに気がつけないというASDの特性がもろに出ているが、それくらい思考力も集中力も落ちて、視野狭窄になっていたのである。そして、そこまで落ちたところで、これはダメだ、只事ではなく疲れていると気づいて、やめた。

または小説。昨年秋頃から新作の準備を進めていて、ちょうどそろそろ本文に取りかかろうかというところまで来ていたのだけど、その矢先にこういう状態になってしまったので、これもまたそこから一切手が付けられていない。

準備をはじめたときには、繁忙期×適応障害の時期でもあったから、軽めのもの、2000字目安の掌編を書くつもりで進めていたのだったが、覚書を膨らませていくうちになんとなく物足りなくなってきて、あれも考えないと、これも考えないとでどんどん膨らんでしまい、気がつけば覚書だけでノート40ページにぎっしりの量になってしまったのだった。

完成したら2万~3万文字、あるいはもっと長いものになるかしそうで、ただでさえ気力や体力が余分に必要そうだったところへ抑うつ状態になってしまい、とてもじゃないが書ける状態ではなくなった。

しかし、今後、体力などが普段の状態に戻ったところで、もう数か月も離れてしまってはこの作品に対する興味を取り戻せない可能性は高いだろうと思う。これもまた書かずじまいで終わるかもしれない(そういうものはけっこう多いのだけど)。

小説は、もはや、まぁいいかという気はするが――、と何度も言ってる気がするけど。

書くこともそうだが、意欲の低下や集中力の低下は文章を読むことにも支障をきたした。一月末に急激に抑うつ状態になると、そのとき読みかけだった本も読み進められなくなって、しばらく放置することとなった。抗うつ薬が効いてしばらくしてから少しずつ読めるようになってきたが(三月半ば頃からか)、最初のうちは10分も読んでいるともう疲れてしまって、いったん本を閉じて休まないと無理という状態だった。

文章を読むことに必要な体力や理解力(というか頭の働き)は、四月に入った頃にはそれなりに回復してきたのだが、むしろ他のことがまだ満足にできない状態にある分、普段以上に読書をしているという現状である。

最近では、休日などはもっぱら家でごろごろしながら読書をして過ごしている。ただし、あくまで娯楽としてというか、普通にエンターテイメント性のある、リーダビリティの高い文章しか読む気にはなれない。

以前、クリエイターのうつ体験記みたいな本で、うつ期にはアウトプットは無理なのでインプットに徹するみたいな病気との付き合い方が紹介されていたが、症状が重いときはインプットどころではなくて、ある程度回復してきたところでようやくインプットができるようになる、というのが実際だなと感じた次第。

とはいえ、抑うつ状態が強いときも海外ドラマだけは見ることができた。ちょうど昨年暮れから見はじめた全7シーズンの長丁場のドラマを見進めていた最中にうつ状態になったわけだけど、映像を見るというのは上記で上げたものに比べて基本受け身だからなんとか視聴できたのかと思う。ドラマの内容というか、基本設定はすでに押さえられていた(新しく頭に入れなきゃいけないものはなかった)ことも大きいかもしれない。

それでも、これが例えば2時間前後ある映画となると長すぎてとても見る気にはなれなくて、あるいは短い動画でも、youtubeのようなものは情報過多だったり、編集やら音声やらががちゃがちゃうるさかったりして(子供がゲーム実況なんかでそういうのをよく見てるのだけど)疲れてしまうので、やはりいつものように見ることはできなかった。60分前後の尺で、スピード感や情報量が現代的に過多すぎない連続ドラマというのはちょうどよかったのかもしれない。

ちなみに、そのとき見ていたドラマは「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」というアメリカの女性刑務所もので、これはもうめちゃくちゃ面白かった。囚人側も看守側も出てくるキャラクターがみんなユニークで好きで、役者も音楽もよく、もっとずっと見ていたかった。海外ドラマのオールタイムベストのtop5に入れたい。

もう一つちなみに、ギターについては前述したが、音楽を聴くことに関しても、やはりうつ状態のときはできなくなっていた。受け身という点では、音楽を聴くことと映像を見ることは同じではないかという気もするのだが、家庭環境や住環境もあって、音楽を聴くときはたいていヘッドホンをするのだけど、たとえ音量を抑えたり、静かめの音楽だったとしても、どうしても頭の中でガンガン響く感じになってしまって、それがうつ状態の自分には刺激過多というか、つらくて無理だった。

少し聴けるようになってきたのは、やはり春になる頃からだけど、それからも近年好んで聴いているブラジル音楽やその他ラテン系の音楽などを聴いたり、新しく掘り下げたりするような気力はまだなくて(常に新しく掘り下げてないと弾き語りしたい曲が見つからないので)、約30年も前の、自分が中高生だった頃に聞き馴染んだロックやポップスなんかを聴いたりしている。ただ懐かしむだけの、負荷の低い聴き方である。

ついでに言うと、ネットも疲れるので、うつ状態の間はこのnoteをはじめ、SNSもほとんど見られなかった。またじょじょに何かしら活動して行ければと思うが、この記事にしても何とか気力を奮い起こして仕上げている体たらくなので、まだしばらくは普段のペースは取り戻せないかもしれません。

と、まぁこんな具合で、うつ状態というのは、色々しんどいのだけど(結局仕事も細かく休みを取りながら行って、病休みたいなまとまった休みは取れなかったし……)、「これはまったく普段の自分ではない」という状態が数か月単位でだらだら続くのが何よりつらく、そんな状態が長く続いてしまうと、取り戻すのにだってまた時間がかかるしで、まぁ一つとしていいことはない。

仕事はぎりぎりこなせたけれど(でも来年の冬に同じ状態になったら、今度こそ速攻で病休の希望を主治医に申し出るつもり)、家では家事も育児もまったくできない状態だったし、自身の身の回りのことさえもすべて妻に頼りっぱなしになってしまった。

我が家の場合、ASD不登校の娘のこともあるし、ここ一二年は妻の実父の介護のことなども重なっていることもあって、妻にとっては、①冬季うつで寝てばかりの私、②未だ身辺自立が進まず何をするにも半介助が必要なASD不登校娘、③そして独居で認知症の進んでいる要介護3の実父と、ダブルケアどころかトリプルケアの状態になってしまい、最終的には妻も体調を崩してしばし寝込んでしまったりした。

(そしてこの四月からは住んでる団地の役員を押しつけられることになってしまい、また負担が増えてしまった、妻の……。順番的にはうちのお隣さんが引き受ける番なのだが、お隣さんはお隣さんで独居老人で、近頃どうも認知症の気が見られてちょっと怪しい、ということから仕方なく……)。

これではまるで負の大連鎖じゃないか、というようなもんですが。

もはや福祉の降臨を待つしかないですよ、どこかから(税金から)たくさんのお金が降ってくる、というような……。まぁお金があったってうつにはなるけど。

仕事は休まずに済んだと言ったが、実際まともに働けてたのかどうかというと、よく言われるように、うつ状態で集中力がなくてミス連発、なんてことは自分の場合はなくて、就業中にわけもなく涙があふれてしまって仕方ない、なんてこともなくて、割り当てられた仕事は一応目立ったミスもなくこなせたけど、いかんせん始終ぜいぜい息を切らしながら、もうHP1で働いているような状態で、そういう状態なのに無理してがんばってしまうのも、これもまた擬態型ASDの悪しき特性なんだろうなと思います。で、無理してでもやってしまうから、周りからもあぁできるんだな、大丈夫なんだなと思われてしまう、という厄介なやつです。

まぁ自分でも「医者からアゲアゲになるクスリもらってるから全然平気だぜ、げへー」とか言ってしまってるのでアレなんですが(職場の人には一応私の状態を知ってもらってあるので、あちらもそんなこと言われても反応に困ると言えば困るのでしょうが)。

だけど、だから、来年もし同じことになったら(これはなる可能性が高いと思うのだが)、速攻休む、と再度ここに宣言しておきます。

今現在の状態については、冬季うつは日照時間が短くなることが主な原因なので、日照時間が伸びてくれば自然とよくなってくるということもあり、自分の場合も春になって暖かい、というかすでにして暑い、日が増えてきた辺りから次第に上向きになってきたところ。

日常生活では、仕事以外ではじめて外出できるようになったのは、ようやく三月も下旬になってからのことだったが、それでも最初のうちは午前中だけ外に出たりするだけでも(最寄りの駅前まで行って帰ってくるとか)、帰宅すると疲れ果てて午後は寝倒してしまうという感じだった。

四月は徐々に体力と気力の回復を感じながらも、まだ波があって油断がならない感じはあったのだけど、その波はやはり気候と連動しているところがあって、晴れて暖かいと調子が良く、また気温が下がって曇りがちや雨だったりするとまたずどーんと落ちる、みたいな、冬の間は日々ただ落ち続けている感じだったのが、春になるとそういう変化が割とはっきり感じ取れるようになった。

四月下旬になってようやく、日中に寝てしまわないで済む日がちらほら出てきたかなという感じ。少しずつストレッチと運動を再開できるようにもなった。まだ毎日はできてないし、運動量的にはまだ普段の半分くらいだが(ちなみに、昨日5/4は午前中に少しがんばって多めに運動してみたことろ、夕方3時間も爆睡してしまった)。

ウォーキングは普段の目安であった5000歩を歩くのはまだちょっとしんどい具合で(普段は今日はけっこう歩いたなーと思って疲れを感じるのは8000~10000歩程度歩いたとき)、約三ヶ月ほとんど動けなかったから、体力そのものが著しく落ちてしまったのを痛感している。

ゆっくり取り戻していくしかないというところです。


いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。