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“子育ての勘違い”を直して、子どもの笑顔を増やそう【嫌われる勇気】①

子育てが苦しい…
我が子もなんか苦しそう…

僕らはたまに子育てが辛くなる。

例えばさ、勉強しない子どもに対して
「勉強しなさい」というのは当たり前でしょ?

だって子どもを愛しているから。
将来大変な思いして欲しくないから。

でも言う親も、言われる子どもも
なんか…、なんか、苦しい…。

お互いの為のはずなのに。

2歳の我が子むむさんが
ご飯中歩き回るのも同じ。

「ご飯中はちゃんと座って!」
って伝えるのなんも間違ってないよね?

でも僕らもむむさんも苦しくなってる。


愛しているからこそ
これからも我が子に教えなくちゃいけないことが
たくさんある。伝えなくちゃいけないことがある。

でも伝えるたびに毎回苦しくなんなくちゃいけない?
子どもも辛くなんなくちゃいけないの?


これからの子育て
どれだけ辛い思いをするんだろう。
どれだけ悩むんだろう。

いっぱい笑って過ごしたいのに。
子どもの笑顔を沢山みたいのに。

いや!子どもの為だから!
これからも子育てが苦しいのは当たり前。

世の親たちはみんな同じ思いをしてるはず。

うん。だから我慢して頑張る。
それが子どもの為だから…

…と、僕も思っていた。


でもこれは勘違いだった。
僕はいろんな“勘違い”をしていた。

本当は子育てはそんな苦しくなんなくていいんだよ。
子どもとずーっと笑って過ごしていいんだよ。

『嫌われる勇気』っていう
日本で350万部以上、世界で1000万部以上売れている本を読んで、僕の子育てはガラッと変わった。

僕らは勘違いしている。

もっと世界はシンプルで、幸せもシンプルで、
子育てもすごくシンプル。

複雑にしているのは自分だということ。

これに気付けたら
明日から、いや今日から笑顔で子育てできる。
我が子の笑顔を見れる。

ただそれには少しだけ勇気がいる

さぁここからは
子育てについて僕らの“勘違い”について書いていく。

これがまた今まで“当たり前”だと
思っていたことが勘違いだったりする。

だから今までの当たり前を捨てる少しの勇気が必要になる。

さて僕らはどんな勘違いをしているのか。
これまでどんな常識に無意識に苦しんでいるのか、

今日から心が軽くなるよう
まったりと読んでみてね。


勘違い①子どもの課題は、親にはどうにも出来ない。

僕らの勘違い一つ目。
子どもの課題を、親が解決しようとしていること。

『嫌われる勇気』では
それを「課題の分離」と呼んでいる。

うん。そういうとなんか難しそうに聞こえる。
でも大丈夫!そんな難しい話ではない。

例えば、友達の恋愛の話。

客観的に見ていたら間違いなく両想いだから
僕が「告白しなよ!」とアドバイスしたとする。

でもそこから告白をするかしないかは、
「友達の課題」。僕の課題ではない。

友達が「告白しない!」と言ったとしたら、
「え!告白すれば100%成功するのに!勿体無い!」と思っても、僕がそれをコントロールするとは出来ない。

そんなシンプルな話。

なのに無理やり「告白しなよー」とか
無理やりデートのセッティングしてくっつけようとしたりしたら色々とこじれる。

これが「人の課題に土足で踏み込んでいる」状態。
うん。シンプル。

今悩んでいることは
「他人の課題」なのか「自分の課題」なのか
それを考えるのが「課題の分離」。

人の課題のときは悩みすぎてはいけないし
解決するのはその人の問題で踏み込んではいけない。

「自分の課題」にだけしっかり向き合えばいい。


友達との話だとこんなシンプルな話なのだけど、
僕らは子育てになると子どもの課題にドシドシ土足で踏み込んでいる。


「勉強しなさい」と言っちゃうのは…


小学生のむむさんが勉強しなかったとする。
勉強せずに、漫画を読んだりゲームをしたりとまるでのび太くん状態だったら…

うん。
想像すると親としてはやはり勉強して欲しくなるな。

のび太くんのママのように
「勉強しなさい!」と毎日言っちゃうと思う。

もしかしたら無理やりにでも塾に通わせるかもしれないし、家庭教師を付けるかもしれない。

とにかく将来のために
勉強して欲しいし、させちゃうかもしれない。

あれ?
これってさっきの恋愛の話に似てるな。

告白するかしないかは友達の課題。
無理やり踏み込めば話がややこしくなる。

シンプルな話だった。

勉強するかしないかは子どもの課題。
無理やり踏み込めば話がややこしくなる。

あれ?シンプルな話のはずなのに
子育てだとつい人の課題につっこんじゃってる。

でもさ、そりゃ友達と我が子は違うから。
この子をしっかり育てる責任が僕にはあるから。

だからややこしくなろうが
子どもの課題にも踏み込んじゃう。

それでいいんだ!

…と思っていたけど、実はこれが間違っていた。

どんなことがあろうとも人の課題と自分の課題を
分けなくちゃいけなかった。



ここで勇気が必要。

「親だから」と僕らは言う。
けど、いいの。

「親だから」って
子どもの人生の責任は取らなくていい。

え?本当にいいの?って思うかもしれないけど
人って自分の人生だけで精一杯だしね。

「自分の課題」をこなすことだけで精一杯。

そんな状態でもう1人の人生の責任を取ろうとして
「人の課題」まで手を出したら…

そりゃ〜もう〜!
ややこしくなること間違いない!

何より自分が苦しくなる。
親が苦しかったら子どもも必ず苦しくなる。

でもそう言われても思うと思う。
「でもやっぱり親だから…」

ここで勇気を出すことが必要になる。

子どもでも家族でも、
「課題の分離」は絶対に必要。
これは間違いない。

だって例え我が子でも
人のことは100%コントロール出来ないから。
出来ないことをしたら絶対辛くなる。

子育てが辛くなるの確定になっちゃう。

だから勇気を出す。
自分が変わる勇気を。

変わるか、変わらないかは
「自分の課題」だから。

ちなみに僕は変わろうとしてる。
まだ完全に変われたわけでないけれど
すでに気持ちは楽になってる。

子育てが楽しくなってる。
幸せを沢山感じている。

「課題の分離」
まずは少し勇気出してみて。


でも勉強しなかったら、この子の将来は…

言われた通り子どもの課題だからと言って
無理に踏み込まなかったとする。

でも、本当に勉強しなかったらどうするの?

僕も本を読んでいるときそう思った。
その答えも嫌われる勇気には書いてあった。

「大人になってから困るか困らないかも
子どもの課題である」

とことん「課題の分離」をこの本の中で薦めてる。

そのくらい人は人の課題に対して
何にも出来ないし、手を出すといいことは何もない。

それでも不安だよね。
「勉強しなさい」って言いたくなる。
子どもの将来は子どもの責任と言ってもほっとけない。

そんなときは子どもの課題に手を出すのではなく
この「自分の課題」を思い出して。

『子どもを信頼する』こと。

これがかなり勇気がいる。
子どもを信頼することが一番の親の役割であり
自分の最大の課題。

ちなみに「信用」とは違う。「信頼」。



さて、これらが次のnoteのテーマ。
「僕ら親は信頼せずに子どもを苦しませている」。

今回のnoteはここまで。
次回もお楽しみに!ぜひフォロー宜しくお願いします

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