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きらめくものを探している

「いやあ、なんかいいよね。何だろう。何でか分からないけど魅力的なんだよなあ」

名も知らぬ男性が一枚のデッサンを見ながら、微笑みながら言った。絵を見る視線はあたたかくて、本心であることが分かった。
わたしは恥ずかしくなって、報われたような気持ちになって、色々な感情で胸がいっぱいになって、何も言えなくなった。

それ、描いたのわたしです。

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わたしは美術科の生徒だった。高校で習う一般的な現代文や数学の授業はほぼない代わりに、油絵やデザインなどの美術の授業が多く組まれていた。美術科専用のアトリエもあったため、授業時間外でも希望すれば制作が可能だった。
美術科ならではのイベントも多く、美術館に鑑賞に行ったり文化祭で作品展を行ったりした(完全に余談だけど、他のクラスの遠足がアミューズメントパークだったのに、わたし達は動物園だったことは一生忘れないと思う)。

そんな美術科に所属していたわたしだったが、バリバリ作品を作っていたかというとそうでもない。それは同級生達も一緒で、わたしからすればただ大人しかっただけだと思うのたけど、大人達からは近年稀に見る不真面目な学年と言われた。後から考えて見ると、自主制作作品というものが全く無かったのだから無理もない気もする。どうりで説教オブ説教だったわけだ。

そんなこんなで、集大成である卒業制作展に出品する作品数が全くもって足りなかったので、デッサンも出すしかないという話になった。

デッサンは、基本的には習作だ。テニスで例えると素振りのようなものだ。著名なアーティストでもなければ「作品」として出品することはほぼ無い。
まあ学生展だし、こういうこと普段やってるんだよ!ってことにしよう。そんなノリで卒業制作展は行われた。過去一ぐだぐだな卒展だったと思う。

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学生展の受付は、基本的にシフト制だ。仕事は来場者の方にあいさつをしたり、芳名帳に記帳を促したりとそんなに多くはない。わざわざ学生の制作展に来てくださるような方は大体関係者か、美術が好きな方なので注意するようなマナーの悪い人もほぼ来ない。つまるところ、結構暇なのだ。
この日も一緒のシフトの子と静かに雑談をして、時間まで冷たいパイプ椅子に座って、終わるはずだった。

その男性は非常にラフな格好でやってきた。ふらっと立ち寄るように鑑賞しに来てくださる方も、時々いらっしゃる。しかしそういう方は、本当に美術が好きで造詣が深い方か、ただ女の子と話したいだけの人かの二択で、後者のことの方が圧倒的に多い。なので確か声をかけられた時身構えたと思う。
どうやって声をかけられたのか、もう覚えていない。普段はどんな雰囲気で制作してるのとか、みんな上手だねえなんて言われたような気もする。少し案内するかのように、一緒に見て回ったような気もする。

兎にも角にも、何故だか男性はわたしのデッサンの前で立ち止まり、冒頭のセリフをかけてくださった。じっくりと鑑賞して、キャプションまで見てくださった。

「内からくるものがあるよね、何でだろう。分かんないけど、俺これ好きだなあ。これ描いたの○○さんって言うんだね。こんなこと言ってたおじさんがいたって、伝えてくれる?」

笑顔でそう言ってくださった。目の前にいますよ、とは言えなかった。制服につける名札を外しておいてよかった。後から一緒にいたシフトの子には、名乗ればよかったのに!と言われたが、あれから10年くらい経った今でも、同じ状況になったら名乗れる気がしない。

男性とは、笑顔でさよならをした。当たり前だが、それっきりだ。

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そのデッサンを描いた時、わたしは必死だった。

大学受験にデッサンが含まれているため、ある程度の画力が必要だった。だが上記に書いたように稀に見る不真面目な学年の生徒だったわたしは、画力が足りなかった。おまけに志望校を決めたのも遅かった。
受験まで時間がなくて、がむしゃらにデッサンをした。もう、必死だった。ただそれだけだった。余計なことなんて考えず、一心不乱に描いていた。
デッサンはただの習作。その習作が、誰かの心に何かをもたらすなんて。誰かの心に何かが伝わるなんて。今思い出しても、胸がいっぱいになる。

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絵で、作品で、誰かの心を震わせるのに必要なものって何なのだろう。良い作品って、何なのだろう。ただのモチーフをそのまま描いたデッサンで誰かの心を留めることができたのは、どうしてだったのだろう。いまだに答えは出ない。

あの時のわたしのデッサンには、人の心を動かすような、きらめく「何か」があったのだろうか。

わたしはずっと、それを探している。きらめく「何か」の正体を知りたい。
もう絵に打ち込むような日々は遠のいてしまったし、ある種の諦めも抱いてしまったのだけれど、創作や何かを生み出すことを諦めきれないのは、この出来事のせいもあるのかもしれない。

だから迷いながらも、わたしは創造することを続けていく。
きっとまだ、きらめく「何か」はどこかにあると信じて。

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