慶応

慶応大学入試小論文など、小論文の「受かる回答」作成法

あ、元東京大学非常勤講師、元予備校講師、とつげき東北です。
1997年、当時非常に人気が高かった(河合偏差値72.5、倍率10倍くらいあったはず)慶応大学環境情報学部(入試は数学+小論文)の小論文を実際に受験生として受けたので(一応言っておくけど、当然合格)、それを例に、「人に読んでもらえる小論文(や文章)」を書く方法を紹介します。

そうそう、私は一応著書を出していまして、そこそこに売れており、文章が得意であることはたぶん保証できます。

【著書】
場を支配する「悪の論理」技法:
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 (論理、哲学、道徳等を徹底分析!)
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問題!

【来るべき21世紀の社会における「知識」と「情報」の関係について、1000字以内で論じなさい。】(資料が4つ提示されていて、それらにも言及せよとの注記あり。)
4つの資料の内容はもう忘れたけど、某小論文サイトの「解答例」から引用しますと、
「資料1では、デジタルコミュニケーションがユーザーにとって脅威となる可能性について言及しつつ、勇気をもって、人間社会にとって利点となる課題に取り組むことを推奨している。
資料2では、ネットワークが次世代の中心的な社会システムとして機能すると予言されている。
資料3では、現行の情報化社会が、情報最大、叡智最少の形を取っていることが指摘されている。
資料4では、ネットワークの中から創造的なものが出てくるという掛け声のわりに、世の中に出ているものは意外と貧困であるとの指摘が成されている。」
とのこと。
確かね、私が読んだ感想は「要するに、ネットとか大事だけど、単なる『情報』が分散されているだけで、それを『知識』として有機的に関連付けなければ、単に辞書を持っているだけなのと同じで、ダメじゃん」的なことが書いてあったのです。

どんな方針で書くか

こういうのは、普段から何か「決め解答」みたいなものをいくつかの分野で用意しておけば、強引にそっちに持って行けばどうとでもなるものだ。
というか、論文の対策はそれのみでいい。
当時、私は別に論文対策などしていなかったから適当に書いたが、普段から考えたり、文章をまとめている人なら、資料とかそこそこに触れながら、「うまくいった考え」にどう持って行き締めくくるか勝負になる。

そんな方法はつまらなくテクニカルだが、ひとまずは入試突破的なものを作る程度ならそれのみで大丈夫。

まず、資料4つに触れろ(これらの資料のそれぞれの論点に必ず言及しながら)という指示があるので、ちょっとその内容を見てみる。

「資料1では、デジタルコミュニケーションがユーザーにとって脅威となる可能性について言及しつつ、勇気をもって、人間社会にとって利点となる課題に取り組むことを推奨している。」

ほう、なんかフワっとしているな。内容忘れたから知らんけど。
こういうのは「要約能力」が大事で、「デジタルコミュニケーションは脅威となる側面を踏まえつつ、利点も考慮することが推奨されている」くらいでよくない? 内容が具体的で面白いなら意味あるけど、こんなん、なんかダラダラと読んでも無駄っぽいよね。なんとなくそんな内容なのね、でチェック完了。

「資料2では、ネットワークが次世代の中心的な社会システムとして機能すると予言されている。」

うん、インターネットの黎明期ですからね。これはいいんじゃない。

「資料3では、現行の情報化社会が、情報最大、叡智最少の形を取っていることが指摘されている。」

こういうのは怪しいな。
これ一般で言うところの「知識偏重、知能軽視」「詰め込み主義」への批判そのもので、なんかうわーキモ!ってなるやつだな。

「資料4では、ネットワークの中から創造的なものが出てくるという掛け声のわりに、世の中に出ているものは意外と貧困であるとの指摘が成されている。」

これもそうなん!?
少なくともGoogleで無料で検索できることの全てを知っているだけで、ある程度の知的バックボーンはできるぞ。そしてそれらを適宜統合すれば、そこいらの凡人よりはだいぶすごいぞ。

……という色々現実な判断をしながら、書いていくわけだけど、ちょっとさっきのページの模範解答例を見てつっこんでみよう。

模範解答例らしい!?

先ほどのサイトから、続く部分を引用します。

画像1

……マジで?
私ならこれ落とすわ。

まず、1受験生ごときがいきなり「人類が構築した情報ネットワークは、大きな可能性がある一方で、現在はまだその力を発揮できていない」ことに「賛成」とかしてる。
何より、与えられた資料4つ全部に「賛成」とか、そもそも批判眼なさすぎだし、その前に世の中なめんなよお前(受験生)
今ネットで「麻雀研究」の方法を調べたら情報は出てくるだろうけど、少なくとも、その発端は私だぞ。私の研究があってこそのそれだぞ。それにアクセスできるだけでも幸せに思え受験生。他にも大学数学くらいの丁寧な解説ページとか色々あるぞ。お前ら受験生が「(その程度のものでは)力を発揮できない」ていうか!? お前の力どんだけあるねん。

次、「実質的なデータベースに過ぎない」って書いてあるけど、1997年当時の受験生が「データベース」って概念をちゃんとわかってたかな? そしてその当時ならかなり先進的な技術だとわかっていたか? 怪しいな。
現代ですら、データベースはとても大事だぞ。「データベースに過ぎない」って何を言うとるんや。ビッグデータだって、その応用結果だって、データベースに保管されるんだぞ。大丈夫か。

「真に情報革命が起こるのは……情報が統合的に利用されるようになった際であると私は見ている」
お前さ、「情報革命」って何? 定義せずに書いちゃった!? 大幅減点だな。あと「私は見ている」ってさ、慶応の新進気鋭学部の情報系の先生に対してそれ言う? 怖くないの? お前の見立てがなぜ正しいかを早く証明して? なんでできないの? できないなら、ググれカス。お前がバカにしてる「データベース」に、解答例あるだろ。

残りのフワっとした「評論」も辛いな。具体的にどういう仕組みが考えられる、くらい提案できないのかね。
いや、これだと辛いだろ。

じゃあ私ならどう書くか

最初に書いたけど、

【私が読んだ感想は「要するに、ネットとか大事だけど、単なる『情報』が分散されているだけで、それを『知識』として有機的に関連付けなければ、単に辞書を持っているだけなのと同じで、ダメじゃん」的なことが書いてあったのです。】

というように、「情報」を「知識」にできないとダメやろ、ってのが「資料」に書いてあったことの最強要約なわけ。で、自分が書くスペースも限られているので、具体例を出して、「どうやれば情報が知識になり得るか、あるいはなり得ないか」という問題に持ち込みたい。

なぜ持ち込みたいと思ったかと言えば、私は常々「みんな、なんで受験でサイコロで1が出る確率は1/6って習ったのに、サイコロの出目に『偏り』を感じたりしてるんだろ、バカだな」「幽霊がいるって、物理学で習ってないい、どうして怖がってるんだろ」とか思っていたので、それをこの問題に当てはめることができそうだと感じたから。

そしてそれを書くなら、「読んでて面白い文章」にしなきゃダメよね。これは文章を書く時の基本というか究極。面白ければ、少々間違ってても、倍率10倍程度で「引っかき傷」を残せる。「みんなが書きそうな、上っ面の文章」なんて、採点者読み飽きてるから。

ならどうするか、そりゃ当たり前だろ。
「頭の悪い人は、いかに情報を知識にできていないかの例をいくつか書いて、そうならないようにしていくこと」を書けばええやん。
しかもちょうど、私の母や私の友達がクソ頭悪かったのでちょうどサンプルにできるやん。
もうこの時点で面白い。書きたくてワクワクする。

あ、このあたりまで無料です。以下は有料の私の「模範解答例」とその解説。
読んでいただき、ありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ 

実際の答案例(私は確かこんなことを書いた)

4つの資料の内容を総合すると、「インターネット等に『情報』は分散されていて有意義ではあるが、さらに『知識』として有機化することが重要である」といった旨が記述されている。1つめではその危険性と課題、2つめではネットワークの可能性、3つめと4つめでは『情報』優位のように感じられるとの論点がある。
ここで、『情報』が『知識』に昇華しない例を、具体例で示したい。以下に、それに失敗した例を「愚か者の例」として記載する。
愚か者1:高校で物理を学んだのに、物理以外の力を信じている
例えば霊魂主義等。物理法則では、少なくとも「いわゆる幽霊」は存在し得ない。
愚か者2:高校の確率を学んだのに、日常に活かせない
確率的に考えれば、ランダムにサイコロを振って「666666」と出る確率も、「533613」と出る確率も等しい。しかし、時に、前者のみをありがたがる者もいる。
冗長になるので2例に留めるが、このように、単に高校で習った分野を『(受験のための)情報』としては持っていても、『(学問や人生における)知識』として役立てられない者が実際に存在する。
これは、文章1や2が指摘したような「高度な」発展以前に、3や4が指摘するところの『(ごく簡単で少ない)情報』すらも単に『知識』に変換不可能な状況が想定されるということだ。その意味で、3や4はまだ杞憂に過ぎないと考える。
これから慶応大学に入って情報科学に携わる際、もちろんデジタルコミュニケーションやネットワーク等を推進する技術についても研究したいが、例えば「チャット」をするといった際にも、膨大な『情報』をある程度関連付けて『知識』に近い形で提案できるような、あるいは人が『情報』をいかなる過程で『知識』に変換可能なのかについての基礎研究も目指してみたい。
以上が、私にとっての『情報』と『知識』の差である。

さっきの模範解答よりは面白くね?

うん、面白い。
あとこの「具体例を挙げる手法」を使うと、文章量を自由自在に調節できるという素晴らしいメリットがある。

ポイントとしては、「批判眼」は絶対に失わないこと。
資料を見せられてもろ手を挙げて「賛成である」ってなんやねん。
それぞれについて吟味して、「ここはいいけどこっちはどうかな」くらい言えろよ。
あとは社会に対する批判眼。
これは文字数が少ないからあまり書けないけど、例えば「グーグルで無料で手に入る知識」なんて、多くが間違いにまみれているし、本当にちゃんとした研究は、けっこうな金を払って論文誌を読まなければアクセスできなかったりする。そういうことを知っていれば「データベースに過ぎないからクソ」なのではなく、「そもそもネットに転がっている程度のデータは、まだ大したことが少ない」ということと、もっと言えば「ネットに転がっている程度のデータすら、まったくわからないゴミがいる」ことも指摘できる。

結局、『情報』を集める能力においても「上」と「下」の階層で分断が起き、さらにはそれを『知識』(今で言えばビッグデータとかいわゆるAIなど)に強めていくとすればさらなる分断が起きると予測できるであろう。
私が文中で示したような「愚か者の例」が大勢出現し、一部の賢い者たちは、その時、この「民主主義=偏差値50主義」の中で、むしろ排撃されてしまうのではないか、『情報』ばかりに振り回される輩が、変なデマゴーグに支配されてしまうのではないか、といった危機感をリアルに感じることもできよう(最近の例では、いわゆるポピュリズムの世界的な台頭など)。

物事を考えて文章化しておくと、こんなんもうなんぼでも出てくる

と、ちょっとだけ何も考えず女の子とチャットしながら書いたけど、受験生レベルとか、まあ普通の大学卒レベルだと、この程度すら「考えたことがない」人が多い。私は小学校の頃から「色々と考えて、論理的に文章にする」練習をしてたからチャッチャカ書けるけど。


もっと話いくらでも膨らませられる。
もしも現代なら、GAFA、FAANG等と呼ばれる巨大個人情報保有企業が世界を牛耳っているように見えるし、もっと将来になるとディープフェイクやサイバー攻撃の高度化、AIによる戦争、もっと違うベクトルではEMP兵器による電子部品の壊滅、さらに現実を見るとスーパーマイクロ社のマザーボードに仕組まれたとされる中国人民解放軍の「謎のチップ」問題など、あらゆる危機が想定され、逆にあらゆる知の展開も予想できる。
そしてその限界がどのあたりにあるのか、そういったことを、現状からの「(あくまでも)個人的な予想」として書いてみるのも悪い選択ではない。

こういったことをサッと書くためには、普段から「書き溜めておくこと」が重要だ。「書く」とは、「思考する」こととほぼイコールであり、「書かれていないこと」は「思考されたこと」にはあまりならない。色々と自分の考えを書いてみて、その才能がないなら、しかるべき先人の言葉を真似して整理してみて文章にする。それを何度かくり返す。得意な文章が集まったら、それをいつでも反復できる程度にしておく。

もっとテクニカルに言えば、それの「長いバージョン」「要約したバージョン」なども作っておく。
こうした対策をしておけば、あるいは、対策をせずともできるくらいに普段から練習しておけば、慶応の入試小論文くらいノーベンで受かるのだ!

ファイト!






 


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