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私はストレートの"ふり”ができることが悲しい

こんばんは、豆乳きな子です。
最近、あぁこんなに悲しんでたんだって気づいたこと。

わたしは、ストレートの"ふり”をして生きていくことができる。
だって、「男性」を好きになれるしお付き合いもセックスもできる。

今のところ、私は家族に自分がパンセクシャルだとオープンにするつもりはない。オープンにすることで困らせるのは目に見えているし、いま「異性じゃないひと」とお付き合いをしているわけでもないので、その必要性もない。でも、わたしはあるとても素敵な恋をして、その相手がおんなのこだったことには誇りを持っているから、その「相手はおんなんこ」という部分を隠すのは心が苦しい。

家族という存在は近すぎて、そして切り離すことができないから、簡単にはオープンにできない。あなたが痛いほど愛してくれている娘の私は、とても素敵な女の子のことをスキになりました。それも含めて私だと受け入れてくれたら、素敵な恋をしたんだねって言ってくれたら、どんなに幸せだろう。


私はパンセクシャルだから、”男性のことをすきになる”という部分だけ見せ続ければ、”ストレート”の”ふり”をし続けることができる。
そのほうが、この日本社会で生きていくのには楽だ。
だから、彼女はわたしに「彼氏つくるの頑張って」と言った。
(それは私が選ぶことだから、あなたには言ってほしくないと伝えてから彼女はそれを言わなくなった。それがただただ心を苦しめて、彼女は私のより”よい”未来を素直に願ってくれていて、きりきりと痛い。)


わたしはストレートの”ふり”ができる。
でも、彼女はそれができない。
彼女はレズビアンだから。


この事実がとてつもなく悲しく、悔しい。
わたしは彼女と一緒に同じ土俵で闘うことができない。彼女のパートナーになれていたとしても、だと思う。

そして、同性愛者がいかに息苦しくこの社会で生きていかなければならないのかということを彼女はその小さな体に飲み込んでいるように見える。
絶望と諦め。彼女はきっといつか一緒に人生を歩いていきたいと思う女性に出会うだろう。でも、私にはできる(このできるは可能という意味で)「当たり前に結婚する」ことができない。
私は、彼女がその選択肢を持てないことに本当に何回でも大泣きをする。彼女には、愛する人と当たり前に幸せになってほしい。

わたしには可能なのに。
できれば、一緒に闘いたかった。
もちろん、良き友人として闘うことはできるけれど。

これから私が歩んでいく道には、いつも彼女との出逢いがこれまで見えなかったものを見せてくれるだろう。
その大部分は日常社会に転がっている、わたしの心をチクチクと刺してくるものだと思う。


私はわたしなりに踏ん張って闘うことにする。


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