【短編小説】可愛くないモノ Vol.1

「いいねぇ。その、危うい感じがいいんだよ。君は美しい」そう、先生は言ったのだ。

それは、感受性が強いねとか、悩むことには意味があるとか、そういった類の健全な励ましの言葉などでは決してなく、私の不安定さに拍車をかけるような危険なものだと、本当はちゃんと、十四歳の頃から知っていた。

 私と先生は、そういう関係ではなかった。正確に言えば、体の関係はなかった。私は先生を好きだったし、先生も私のことを気に入っていたのは間違いない。多分、私より先生の方が、私を欲しがっていた。だけど先生は言ったのだ。

「君はまだ十四歳だからね。僕は犯罪者にはなりたくないし、教師だって続けたい。君だって、年相応の相手と恋愛すべきだよ」
「じゃあ先生も、同い年くらいの女の人と付き合うの?」
「そうだねぇ」
「先生、ロリコンって訳じゃないんだね」
「何?僕の事そんな風に思っていたの?心外だなぁ」先生は全然気にしていない顔でわざと傷ついたような声を出して私をからかった。
「僕はね、本来大人の女性にしか興味がないんだよ。そこんとこ、忘れないように」
「そう。じゃあ、私が大人になったら、彼女にしてくれる?」



                
 

 二十五歳、当時の先生と同い年になった私は、今でも相変わらず情緒不安定だった。ただあの頃と違うのは、それをいちいち表に出さないことだ。思春期特有の不安定さは、あの頃だからこそ許され時には美化されるのであって、社会人になった今、そんなことは決して褒められることではないと、いくら私でも分かっている。些細な事を悲劇や夢物語へ仕立て上げる幼稚な自分を封印して、一生懸命、現実的な振る舞いをしているのだ。
 
 いつも通り大嫌いな満員電車に揺られ会社に着くと、何だか皆の様子がおかしかった。分かりやすく内緒話なんかをするわけではないが、私が話しに入ろうとするのを、見えない何かで制するような空気が流れている。

「ねぇ、何か……皆おかしくない?どうしたの?」私は一番親しくしている派遣仲間の優香に尋ねてみた。
「あぁ……翠」優香は返答に困り、苦い顔をした。
「ねぇ、言ってよ。気になるじゃない」
「うん、あのね、翠、最近あんた別れたでしょ。高木君と」
「あー、そのこと。何、そんなことでこんな空気が流れてるわけ?中学生じゃあるまいし。皆どうかしているんじゃないの」
確かに私は同い年の高木と半年程付き合い、つい三日前に別れたばかりだった。だけどそれがどうしたと言うのだ。そんなことはよくある事で、不倫していた訳でもないのに非難の目で見られる云われはない。高木は正社員なので、噂は派遣の間に留まらず会社全体に広まっているようだった。

「違うのよ、あんたたち、何で別れたの?」
「は?何でよ」
「あのね、昨日の夜、牧田さんと高木君が二人で居るのを見た人がいるんだって」
「牧田さんって、同じ派遣会社から来てる、あの?」
「そう」
「たまたまでしょ。二人で居るって言ったってたまたま帰りが一緒になったとか、何か用事があったとか。二人で居たからってそれだけで何かあるとは……」
「いや、それがさぁ、誰がどう見てもそういう雰囲気で寄り添って歩いていたって話なのよ」
「え、でもさぁ。こんな言い方しちゃ悪いんだけど、牧田さんって……」私は言葉を濁した。
牧田さんは一言で言ってしまえば地味な女性。スリムというよりは小枝のように貧相な身体をしていて、ウエストのところでいつもスカートが余っている。化粧っ気がなく、顔色が悪くて暗い印象だ。たしか実年齢は私とそんなに変わらないはずだけど、小学生のようにも、うんとオバサンにも見える。そんな女性なのだ。同じ部署にいるから挨拶くらいはするが、滅多に話もしない。私は怒る気にもならず、馬鹿馬鹿しくなって来た。

「まぁ、翠の言う通り、牧田さん?って私も思ったんだけどさぁ、見た人がいるって言うから」
「もし本当だとしてもよ、私達もう別れたんだから関係ないわよ。二人の好きにすればいいんじゃないかな」
強がりでも何でもなく、私は心底そう思っていた。私はたぶん、高木のことを、そんなに好きじゃなかった。最終的にフラれたのは私の方だけど、別にいつそうなってもいいと、心のどこかで思っていた気がする。それでも何故か三日前から私の世界に色がないのは、一度自分を好きだと言った男から「やっぱりいらない」と言われることが、思いのほかこたえたからかもしれない。
「あんたが良いなら、私はそれで良いんだけどさ」優香が切り替えるように言った。
「ありがとう、心配してくれて。それより私が嫌なのは皆の方よ。やり辛い」私を見る皆の目は非難ではなく憐れみを意味していたと気づき、余計に腹が立ってきた。

「そのうちおさまるでしょ」
「だと良いけど」
私達は一頻り話してようやく仕事にかかった。一般的に考えれば楽な職場ではあるのだろう。私にはどんな会社であろうとそう思えないけれど。私は昔から集団というものが苦手だ。

 夕方会社を出ようとしたとき、部署内のゴミを捨てに行こうとしている牧田さんに出会った。気にしていないはずなのに、周りが大げさに騒ぐものだから変に気まずい。

「お疲れ様です」私は自然な態度を心掛けた。
「あ、お、お疲れ様です」いつも通り彼女のか細い声が返ってきた。私は振り返り、大きなごみ袋を抱えた彼女の後姿を上から下まで眺めた。やはり恋愛とは縁遠いように思える。

to be continued……

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