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浮世渡らば豆腐で渡れ(2) 恩人と盗人

恩人と盗人

父、駆ける


 大豆屋のおじさんが集金せずに帰っていくと、父は狸寝入りしていた布団から、ガバッと跳ね起き、身支度もそこそこに店を飛び出した。
 その日は土曜日、午後からは銀行も休みだ。急がねばならない。
 父は駆け回った。
 銀行からお金を借りるには保証人が必要だ。しかし滑川から越してきたばかりの、開業して三月も経たない無名の父の、保証人に誰がなるというのか。

 それでも父は、男が男に惚れると言われた男だった。
 有難いことに、すぐさま知恵を貸してくれる人が周りに大勢いた。
 父は、近所の何人かから
「京田さん(仮名)やったら、保証人になってくれっかもしれんな」
と話を聞いた。
 京田さんは、東富山駅の近くの棟割長屋に住みながら、銀行の利息や株の配当だけで、暮らしているような人だった。

 自宅を開放し、賭け麻雀の胴元にもなったりしたが、レートは格安で、警官から
「もっと高くしれま(高くしろよ)」
 と、ヤジが飛ぶほどだった。
 それでも京田さんは、
「なーん、おら、みんなに楽しんでもらえば、それでいいがで(いいので)」
 そう答えて、レートを上げたりはしなかった。

 そんな京田さんだから、銀行の信用だけでなく、近所の男たちからの人望も厚かった。困っている人には親切で、これまでも、京田さんは、商売を始めたばかりで資金繰りに難儀している人の、保証人になることがあったという。

 父が京田さんの家を訪れ、事情を話すと、初対面にもかかわらず京田さんは、
「よし、わかった。銀行には電話をしておく」
 と、快諾してくださった。
 父はすぐ融資元となる銀行へ走った。

 昭和30年代当時は、「半ドン」といって、土曜日の午前中は、銀行も店を開けていた。だが父が、銀行へ駆けつけた時は、すでに午後を回っていた。
 幸い京田さんから連絡を受け、担当者は裏口のドアを開け、待ってくれていた。
こうして父は、銀行から融資を受け、大豆屋さんにお金を支払うことができたのだった。

 わたしと姉は、父と母から、
「京田さんの家に足を向けて寝たらだめやぞ。一生の恩人やから」
 と言われて育った。
 父が、銀行に融資を受けたのは、その1回限りで、すぐに完済できた。その後は、豆腐の商売も順調で、常に現金商売で信用を高めていった。

 ちなみに京田さんが保証人になった相手のなかで、その後の商売を大きくできたのは、藤井豆腐店だけだった。京田さんとわが家の親交は、その後も長く続いた。

首吊りの家と雇い人のおばさん


 藤井豆腐店が一度きりの融資を受ける前の話だ。

 父が、四軒長屋のこの家を、破格の安値で買えたのには、理由があった。
 不動産取引において「事故物件」いわゆる「訳(わけ)あり物件」だったからだ。

 開業当初、藤井豆腐店には、雇い人のおばさんがひとりいた。
 おばさんは、わたしたちの前の住人で、家族一家で、長屋で暮らしていた。
 ところが、お舅さんが家の便所で首吊り自殺をし、一家は長屋を出ざるを得なくなった。
 父は、売りに出された長屋の事情も、全部のんだうえで購入し、住居付き豆腐店に改装したのだった。
 近所の人たちは、藤井豆腐店をずっと、
「首吊りの家」
 と陰口していたようだ。
 だが、当の藤井家のだれもが合理的な性分で、首吊りがあって薄気味悪いとか、縁起が悪いとか、思う者はいなかった。

 長屋を出ることになったおばさんは、
「家族のために豆腐屋で働かせてくれ」
 と父に泣きついたそうだ。
 両親は、土地勘のある人手も欲しく、また身の上を気の毒に思い、おばさんを手伝いとして雇うことにした。

 父と母は、「首吊りの家」の元の持ち主と、一緒に働き出した。
 最初はお客さんがつかず、作った豆腐がすべて無駄になるなど、苦労もしたが、
ふた月もすると、
「藤井の豆腐はおいしい」
 と評判になり、遠くからでも買いに来る人が増えた。

だが、次の豆腐のために、大豆を仕入れようとすると、どうしてもお金が足りない。これには父も母も、頭を抱えてしまった。

 あるとき、父も母も手伝いのおばさんも、店を空ける日があった。
 母は、戸締りをして外出したが、忘れ物に気づいて家へ取りに戻った。すると、思いがけない光景に出くわした。
 店にいないはずのおばさんが店にいて、しかも店の金庫の中に腕をつっこんでいたのである。

 藤井豆腐店から、おばさんの姿は消えた。
 仕入れ金に手をつけたのは、初めてではないことが分かり、やめてもらったのだ。
 驚いたことに、長屋の人々は、おばさんに盗癖があることを知っていた。
「やめさせたが? あの人、手癖悪かったんやろ」
 何人かの人が言った。
 母が、
「知っとったが? だったら教えてくれたらいいがに」
 すると長屋の人たちは、すこし声を潜めて
「だって、あの人、親戚ながだろ?」
 と言う。
「何言うとんが。赤の他人やちゃ。どういうことなが?」
 母が聞くと、みんなは、
「あの人、藤井さんが自分の親戚だから、店手伝うことになったと、言いふらしとったよ」
とのこと。
 おばさんは、盗癖だけでなく虚言癖もある困った人物だったのだ。


 世の中には、恩人の京田さんのように、利他の心で行動する傑物もいれば、盗人のおばさんのように、恩を仇で返す人もいる。これが浮世というものかもしれない。
 二つの出来事は、藤井豆腐店にとって大きな教訓となった。

(画像はイメージです)


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