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『ルポ・収容所列島』本文公開_第1章


日本の精神医療を東洋経済新報社の記者が3年掛かりで取材したノンフィクション『ルポ・収容所列島 ニッポンの精神医療を問う』が刊行となりました。閉鎖病棟からの退院を望む患者の手紙をきっかけに取材が始まった本作を、より多くの方に知っていただくために「プロローグ」「第1章」「エピローグ」を公開させていただきます。

こちらの記事では「プロローグ」に続き、第1章を公開しています。

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第1章 問答無用の「長期強制入院」

精神科病院に入院したが最後、治療行為もほとんどないまま長期間にわたり閉じ込められるケースは後を絶たない。40年もの歳月を奪われ、国の責任を問う訴訟も始まった。日本の精神医療は他の先進諸国と比較して異常な点ばかりだ。背景に何があるのか。

精神科特有の「医療保護入院」

プロローグで述べたように、米田恵子さんは精神科病院に2016年2月に入院し、その後院内での生活はおよそ4年間にわたった。
米田さんの妹や弁護士のバックアップがあったにもかかわらず、米田さんが4年近くも入院を余儀なくされた背景にあるのが、精神科特有の入院制度である「医療保護入院」だ。
医療保護入院は精神保健福祉法が定める強制入院制度の一つ。本人が入院に同意しない場合に、家族など1人の同意に加え、同じく1人の精神保健指定医の診断があれば、強制入院させられる。
自由の制約という点では同じ刑事事件の場合、逮捕・勾留には現行犯以外は令状が必要で、その発行には裁判所の判断が介在するが、医療保護入院にはそれがない。刑期の決まっている刑事事件に対して、医療保護入院には入院期間の定めがない。
同制度に詳しい小笠原基也弁護士は話す。

「刑事法になぞらえて言えば、医療保護入院は、入院期間の決定をすべて指定医の判断に委ねる絶対的不定期刑に等しく、近代法では罪刑法定主義の原則上、許されないとされているもの。本人の不利益があまりに大きすぎる制度だ」

また同じ強制入院でも自傷や他害のおそれがある場合に適用される「措置入院」は、2人の指定医の診断を受け、都道府県知事が入院を決める制度だ。複数の医師と行政が介在することで、ある程度は第三者の視点が入りやすいが、医療保護入院にはそれもない。
つまり、医療保護入院はある人を入院させたいと考える側にとって極めて使い勝手がよい制度で、実際その件数は年々増加している。
厚生労働省によれば、2020年6月末時点で、入院者のほぼ半数の約13万人が医療保護入院で、また同入院の新規の届け出数は、2016年度以降、年間約18万件超と高止まり状態にある(「衛生行政報告例」)。6万件前後で推移した1990年代前半と比べ、3倍超に膨らんでいる。
さらに家族1人の同意が必要というのも、入院する時点に限ってのものだ。いったん入院してしまったら、その後家族が同意を撤回しても、入院継続の必要性の判断はあくまで指定医に委ねられることになる。米田さんのケースでも、妹が退院を求めてもなかなか出られなかったのはそのためだ。
また米田さんのように主治医の指示で、家族ともいっさいの面会、そして通話すら禁止された場合、家族は本人の意向を確認することが難しく、結局は医師の判断に委ねざるをえないケースがほとんどだろう。
つまり医療保護入院の仕組みは、入院や行動制限の要否を判定する精神保健指定医の判断の正当性がすべての前提となっている。指定医の患者に対する権限は絶大だ。だが、同資格をめぐっては数年前に制度の根幹を揺るがすような大きな不祥事が起きている。

第三者機関の審査会も形骸化

2015年、聖マリアンナ医科大学病院で、組織的な指定医資格の不正取得が発覚した。指定医資格を得るには、5年以上医師として働き、うち3年以上は精神障害の診断、治療に従事することが前提だ。そのうえで、自ら担当医として診断、治療した症例について作成したケースレポートで審査される。
あろうことかこのレポートで、ほかの医師が診察して作成したものを使い回していたことが明らかとなった。審査対象のレポートが大量に「コピペ」されていたというわけだ。その後の厚生労働省の全国調査で、100人強の不正が認定され、その多くが指定取り消し処分に加え、戒告・業務停止などの行政処分を受けることになった。
また入院後に患者や家族が、第三者機関である精神医療審査会に対して、退院請求や処遇改善請求を行う制度もあるが、「ほとんど形骸化している」と、同制度に詳しい関係者は口をそろえる。
審査会の構成は指定医である医療委員が過半を占めるものが大多数で、審査会の法律委員を務めた経験のある佐藤暁子弁護士は次のように批判する。

「審査会は非公開で、あたかも本人の出席を原則としないかのような運用で、請求しても認められないことが多く、しかも事実認定が裁判基準からすると緩すぎる」

実際、2019年5月には、米田さんの退院請求、処遇改善請求とも退けられている。退院が認められない理由は、「入院者に病識(自分が病気であるということの認識)や自省がなく、その治療の必要性に関する認識が不十分であるため」だとされたが、その判断の具体的な根拠は示されていない。
東京都の精神医療審査会が2020年度の退院請求審査211件のうち、退院を認めたのはたったの2件。もはや「開かずの扉」となっている。
精神医療審査会は医療保護入院の入院届の事後審査、措置入院と医療保護入院の定期病状報告の審査も行っているが、書面のみによる形式的な審査で、さらに形骸化している。
2019年度の統計では精神医療審査会の審査総数は27万6000件で、そのうち入院や入院形態が不適当としたのは17件に過ぎない。
日本社会事業大学大学院の古屋龍太教授はこう批判する。

「一精神科医の判断と家族等の同意によって、一個人を公権力によらず強制的に精神科病院に入院させる制度は、この日本にしか存在しない。裁判所等が関与する治療のための強制入院制度は他国にもあるが、『保護』のための強制入院制度は、諸外国にはない制度だ。
多くの精神医療関係者は、医療保護入院制度の存在は当たり前のものと考え疑問を持たない。だがそうした日本の精神医療の常識は、人権を尊ぶ世界には通用しない」

実際、日本の医療保護入院をモデルとした制度を導入した韓国では、人権上問題視され、精神障害者当事者団体を中心に法改正を求める運動が本格化。当事者団体は憲法裁判所へ医療保護入院の違憲審査の申請を提出。2016年、韓国憲法裁判所は制度の悪用と濫用の可能性を排除できないとして、身体の自由を定めた憲法12条に反して違憲であるとした。
世界には通用しない日本の精神医療の常識の、筆頭格にあたるこの医療保護入院。絶大な権限をもつ精神保健指定医がひとたび暴走したら歯止めはきかず、取り返しのつかない人権侵害へと直結することになりかねない。
2020年2月、最高裁判所は診療報酬詐欺で一審、二審と有罪判決を受けていたある精神科医の上告を棄却した。懲役2年執行猶予4年の有罪判決が確定したこの医師は、一審の有罪判決後、関係者宛にこのような内容のメールを送っていたという。

「僕は一つだけやってやろうと決めてることがある。捜査機関の奴らが認知症やら何やらで精神科に来たら問答無用で隔離室に放り込んで、徹底的に痛めつける。絶対出さないしいくらでもいてもらう。完全に壊してから自宅に引き取らせる。厚労省関係者も同じ」(2019年5月18日のメール)

精神保健指定医の資格を有し、日本精神神経学会認定の専門医および指導医でもあるこの医師は、精神医療の現場を追われることなく、一審判決時にも複数の病院、クリニックで勤務していたという。
有罪が確定したことで、厚生労働省の医道審議会に行政処分が諮られることになるが、通常は診療報酬の不正請求の場合、医師免許停止数カ月程度の処分が相場だ。実際、同審議会は2021年1月末、この医師に対する医業停止3年の処分を決定した。主治医の立場を利用し、複数の患者と性的関係を持った行為(うち2人は自殺)について、遺族は医師免許剥奪を求めていたが、その点は処分に反映されなかった。
こうした医師が指定医の資格で強大な権限を行使しているのが、日本の精神医療のまぎれもない現実だ。
精神保健指定医の問題に加え、もう一つの要件である「家族の同意」もトラブルの種になることが多い。というのもこの要件は、家族は常に患者の側に立っているはずだという性善説が大前提となっているが、もちろんすべてが関係の良い家族ばかりではない。

DV夫の策略で「強制入院3カ月」

「精神疾患の既往歴などいっさいない自分が、まさか精神科病院に強制入院させられるなんて、夢にも思いませんでした」

西日本のある県で看護師として働く30代の女性、永谷美奈子さん(仮名)は、6年前にわが身に降りかかった出来事を、「いまでも信じられない悪夢のようでした」と振り返る。
2014年4月、双極性障害(躁鬱病)で以前から入退院を繰り返していた夫の症状が悪化したため、永谷さんは当時住んでいた四国地方の精神科病院を訪れた。
その1年前に結婚した夫は、結婚当初から躁状態になると、「お前に俺は釣り合わない」など暴言を吐く、必要な生活費を渡さないなど、精神的・経済的なDV(家庭内暴力)を繰り返していたという。
長男が生まれた後もそれは変わらず、病院に行く数日前にも、夫はまた精神状態が悪化していた。だが、通院や入院を拒否。躁状態が続く夫への対応に、永谷さんは困り果てていたところ、夫は永谷さんが一緒に行くなら診察を受けると約束したため、病院に同行することになった。

「薬の量を減らしてから、精神状態が悪化しております」

夫と2人で診察室に入った永谷さんは、「どうされましたか?」と目の前に座る医師に問われたため、夫の症状を話し始めた。だが、話し始めるやいなや、医師は彼女の話を遮り、思いもよらない一言を告げた。

「あなたのことですよ」

その言葉の意味がわからず永谷さんが医師に「何のことですか?」と聞き直したところ、医師は、「支離滅裂がありますね」「ふわふわしていますね」と矢継ぎ早に言葉を並べた。
不穏な雰囲気を感じた永谷さんが、「ちょっと話がおかしいので、ほかの医師に診察をお願いできますか」と病院スタッフに話しかけると、この医師は大きなハンコを取り出し、紙のカルテにドンと音を立てて判を押して、こう告げたという。

「はい、入院です」

抵抗する間もなく、両手、両肩を2人の男性看護師につかまれて、診察室から閉鎖病棟内の隔離室へと連れられた。隔離室内ではいきなり鎮静剤を注射されそうにもなった。

「夫の診察に付き添ってきただけのはずが、なぜか私が入院、しかも隔離室に入れられたという現実が、当初まったく理解できませんでした」

医師からは入院の必要性もその形態の説明もなかったが、退院後にカルテの開示を受け、医師が押したハンコに書かれていた入院形態が「医療保護入院」だということがわかった。

医療保護入院を悪用する親族

永谷さんの医療保護入院に同意したのは夫だ。自らの強制入院の経験に加え、身内に精神科医のいる夫は、同制度を熟知していた。

「夫とその親族が、離婚や息子の親権の取得を有利に進めるために、この制度を悪用したのではないでしょうか」

と永谷さんはいぶかる。
法律上、夫婦間が係争中の場合などには同意権限は認められないが、この2人のように夫婦仲が悪かっただけでは欠格事由には該当しない。離婚調停を申し立てている場合であっても同様だ。
私物の持ち込みが一切できず、布団と便器だけがある隔離室の中で、永谷さんがひたすら不安に思っていたのが、引き離された生後9カ月の息子のことだ。

「精神状態が悪化した夫のもとに子どもを残して、本当に心配でした」

永谷さんは結局、3カ月後の退院時まで隔離室で過ごした。病院側は「攻撃性、多弁、多動、易刺激性(ささいなことで不機嫌になる性質)が認められた」ことなどを、その理由として挙げる。
だが、永谷さんは憤る。

「必要性や理由が何ら説明されないまま、突然強制的に入院させられ、しかも隔離室に入れられたら、誰だって強く反発するに決まっています」

カルテなどによれば、診断名は入院中の3カ月間で、統合失調症、双極性障害、自閉症スペクトラム障害、広汎性発達障害などへと、たびたび変遷している。
永谷さんは、いまは地元を離れ息子と2人で暮らしている。夫とは離婚調停中だ。向精神薬の服用はいっさいしていない。

「看護師として精神病床のある総合病院でも働いたことがあり、あんなことがあるまで精神医療はかつてとは比べものにならないぐらいよくなっているものだとばかり思っていました。ですが、実際被害に遭ってわかったのは、健常者でさえも精神医療の被害に遭っている現実でした」

DV被害者支援と加害者更生に取り組む、一般社団法人エープラスの吉祥眞佐緒代表理事によれば、離婚を有利に進め子どもの親権を得るために、この医療保護入院が悪用される事例の相談は、ほぼ切れ間なくコンスタントに寄せられるという。
いま吉祥代表が支援しているのは次のようなケースだ。
首都圏在住の30代派遣社員の松岡薫さん(仮名)は、夫からの数年にわたるDVで不安定となり、精神科クリニックに通院していた。あるとき言い争いの末のショックで、精神安定剤などをオーバードーズしたことで、夫の同意で精神科病院に医療保護入院となった。
松岡さんは、入院から3カ月経って、ようやく一時帰宅が許された。自宅に戻ると、すでに自宅はもぬけの殻で、夫と子どもの行方がわからなくなってしまった。住民票にも閲覧制限がかけられ探す手段がなく、途方に暮れているという。

「数日間で出られれば子どもを奪われずに済んだはず。医師はその時々の症状をちゃんと診断し、社会での生活能力があれば退院させるべきです。家族の意見ばかり聞くのではなく、本人の意見もしっかり聞いてほしい」

吉祥代表も実情を語る。

「DV加害者の夫はたいてい外面が非常によく、病院関係者だけでなく、行政職員や警察も松岡さんのようなDV被害者の妻を、虐待加害者だと欺く話術を持っている。ヒステリックな妻と穏やかな夫というイメージの演出に長けている」

医療保護入院制度は、そんな彼らには格好の「武器」となっている。

大型クラスターが多発

こうした強制入院をさせられた患者が、外部との連絡を遮断されて生活する、閉鎖空間の多い精神科病院では、表立って報じられることは少ないが、新型コロナウイルス感染症の大型クラスター(集団感染)が多発している。
2021年7月、沖縄県うるま市の精神科病院「うるま記念病院」で、大規模なクラスターが発生した。病床数270床の同院で、患者と職員ら合わせて200人、入院患者の6割超が新型コロナに感染した。
さらに死亡した患者数は実に71人。国内のさまざまなクラスターでも最大規模の死者数となった。地元紙の報道によれば、クラスター発生後もコロナ感染者と陰性の入院患者が同じ部屋に混在していたり、感染症の専門医がいないどころか常勤の医師も少なく、マンパワー不足で適切な病床管理ができる状態になかったとされる。
実は同院では、その年の1月にも76人が感染するクラスターが発生しており、7月は2回目だった。関係者からは、適切な再発防止策が講じられていなかったのではないかといぶかる声も上がる。
沖縄県内の精神医療関係者が不安視するのは、2回目のクラスター発生で、しかも国内で最大規模の死者数が出たにもかかわらず、病院側の記者会見もなく、感染拡大の経路や理由など詳細な情報が当事者たちにもまったく届いていないという点だ。
同年10月、沖縄県精神保健福祉会連合会(沖福連)と県自立生活センター・イルカは「沖縄県障害者人権センター」を立ち上げた。沖福連の山田圭吾会長は危機感をあらわにする。

「精神科病院に入院している患者の家族から、病院からは感染したとの連絡以後はいっさい情報が届かず、病院に行っても玄関口で追い返されて不安しかなかったとの相談があった。収束後も病院で何が起こったのか、まるでわからないままいまに至っている。今回のような状況で情報がまったくないことが大きな問題だと思う。
コロナ禍以前から、家族であっても入院している患者に会えるのは病院の面会室だけで、病室など精神科病院の中での具体的な生活状況が知らされることがなかったことも、不安に拍車をかけている」

認定NPO法人大阪精神医療人権センターの有我譲慶理事による、病院ホームページの公表情報や各種報道など公開情報を基にした調査によれば、精神科病院でのコロナ感染は、146病院で感染者は患者4667人、職員ら1359人の計6026人、死亡患者数は141人に至っている(2021年6月10日時点)。
感染を公表している病院は限定的とみられるが、それでも精神科病院の入院患者の感染率は国内感染率の3.6倍、死亡率は実に5.9倍に上る。
こうした驚くべき感染率の背景には、日本の精神医療の現状の問題点が集約されていると有我理事はみる。

「三密状態で収容される精神科病院はコロナ感染にとてももろい。窓は10センチメートルしか開かない閉鎖病棟という密室状態で、エアロゾル感染にさらされる。精神科病院は特例で医師・看護師は他科より少なく、防護具や感染症対策訓練も不十分だ。
 さらにコロナ感染対策で、外出も面会も従来以上に制限されて退院促進を行うことも難しく、人権状況も危うい。今回のパンデミックは日本の精神科病院の収容政策という本質的な問題をあぶりだしている」

日本精神科病院協会も同年9月、精神科病院に入院中にコロナ感染が確認され、転院できず死亡した患者が235人に上ったとの調査結果を発表した。専門的な治療機関への転院要請が受け入れられにくい状況に、「極めて由々しき事態」としている。
そうした環境の精神科病院に実に40年もの入院を余儀なくされた男性が、ついに声を上げた。

精神科病院に40年入院

「福島県内の精神科病院に約40年入院して、その間、退院できると思われるのになぜかできない人や、あきらめて退院意欲を失った人をたくさん見てきました。そういう人たちをなくすために、裁判を決意しました」

精神科病院への長期入院を余儀なくされ、憲法が定める幸福追求権や居住、職業選択の自由を侵害されたとして、群馬県在住の伊藤時男さん(69歳)は2020年9月30日、国に3300万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。精神科病院の長期入院について、国の責任を問う訴訟は初めてとみられる。

「退院までの努力は、並大抵のものではありませんでした。退院できず人生の大半を失った自分のような人間が、これ以上生み出されてはなりません」

提訴後の会見で、伊藤さんはそう力を込めた。
訴状などによると、伊藤さんは統合失調症と診断され、1973年に福島県内の精神科病院に入院。2011年の東日本大震災で、県外の病院に転院するまで一度も退院することなく、入院継続を余儀なくされていた。
伊藤さんは高校中退後、親戚のレストランで働いていた16歳のときに発症した。最初は都内の病院に入院したが、父親の意向でこの福島の病院へと転院した。
転院当初は、「模範的な患者として過ごせば、早期で退院できる」と信じていたという。
そこで、病院近くの養鶏場で鶏糞の処理作業をしたり部品工場で働いたりなど、院外作業に積極的に参加した。また入院患者への配膳手伝いや厨房での給食準備など院内作業でも活躍していた。
こうした作業を通じて症状も改善していった。
ところが、10年経っても20年経っても、病院側からは肝心の退院に関する話は一向に出なかった。

「自分より後から入院した人が次々と退院しているのを見ると、働ける人のほうが退院できないようで矛盾していると感じていました。でも何もしないのは嫌だったので、働き続けました」

この病院はなんだかおかしいとわかったときには、長い年月が過ぎ、齢を重ねていた。

「車の免許もないし、社会に出て生活できる自信もない。もうここに一生いるしかないと思うようになるなど、『施設症』に陥っていました

伊藤さんは当時をそう振り返る。
転機となったのは東日本大震災だった。病院が被災したため茨城県の病院に転院し、翌2012年には退院することができた。転院先の主治医から勧められたグループホームでの生活を経て、いまは群馬県内で一人暮らしをしている。
1人でも普通に家事をこなすなど日常生活に支障はなく、精神疾患の患者を支援するピアサポーターとしても活動する。絵を描くことが好きで、2年前には地元で個展も開いた。いまは、「自由な日々をのびのびと過ごし、60歳からの青春を楽しんでいる途中です」と話す。
だが、長期入院の結果、婚期は逃した。

「もっと早く退院できていたら、彼女もできたし、結婚もできた。この齢だとなかなか結婚までは難しい。子どものいる家庭をつくることが夢だったけど……」

伊藤さんによれば、入院していた福島県の精神科病院には30年以上の長期入院の患者が10人以上はいたという。

国際機関からの指摘相次ぐ

厚生労働省によれば、日本の精神病床の平均在院日数は265日(2019年時点)。500日近かったかつてに比べれば短縮傾向にはある。
だが、ドイツは24.2日、イタリアは13.9日など、定義が異なるとはいえ、数十日程度がほとんどの諸外国と比較すると、非常に長い。OECD加盟国の多くが40日を超えておらず、やはり日本の現状は突出して長い。
また精神病床への入院者約27万8000人(2017年)のうち、5年以上の長期入院者が約9万1000人(約33%)、10年以上は約5万4000人(約19%)となっている。さらに約27万8000人のうち、受け入れ条件が整えば退院可能とされる、いわゆる「社会的入院」状態の人は約5万人に上る(厚労省「患者調査」)。
1950年代には向精神薬であるクロルプロマジンが開発され、統合失調症は薬物による治療が可能となった。これを契機に、欧米諸国では人権尊重の観点から入院治療から在宅での地域医療へと大きく舵を切った。
ところが日本では同時期、精神科病床数を大幅に増加させる政策を次々と打ち出した。一つは、入院患者数に対する職員配置が、精神科病院は他の診療科と比較し医師は3分の1、看護師は3分の2で足りるとする「精神科特例」(1958年)だ。人件費削減が目的であることは明らかであり、医療の提供よりも長期療養を重視した人員配置といえるだろう。
もう一つが資金面での優遇だ。従来の公立の精神科病院への国庫補助に加え、民間の精神科病院の新設および運営経費についても国庫補助を行うようになった。医療金融公庫が設立され、低利長期の融資によって精神科病院の設置を容易にする政策誘導がなされた。
その結果、精神科病床数は急増し、1970年の時点ですでに25 万床に達している。
世界的にみて異例な日本の状況を、国際機関も問題視してきた。
WHO(世界保健機関)顧問のデビッド・クラーク博士が1968年に日本政府に行った勧告(クラーク勧告)では、精神科病院には非常に多数の統合失調症の患者が入院患者としてたまっており、長期収容による無欲状態に陥り、国家の経済的負担を増大させているとして、精神医療の転換の必要性を訴えた。
また1985年には国連調査団による調査がなされ、そこでも入院手続きと在院中の患者に対する法的保護の欠如、長期にわたる院内治療が大部分を占め、地域医療が欠如しているという懸念が示され、日本の精神医療制度の現状は精神障害者の人権および治療という点において、極めて不十分とみなさなければならないと勧告されている。
こうした点から、原告側は国がこうした人権侵害行為を故意または過失によって放置した不作為は、国家賠償法1条1項に該当するものであると主張している。

「私は35年間、精神医療福祉の世界で働きましたが、当事者や家族などあまりにも多くの人が苦しんでいます。日本の精神医療は、人間の顔をしていない。裁判を通じて国民にわが国の精神医療の実態を知ってほしい」

伊藤さんもメンバーである精神医療国家賠償請求訴訟研究会の東谷幸政代表は、今回の提訴の狙いをそう語る。研究会は新たな原告の候補や情報提供を求めている。
現在も日本の精神医療に対する国際機関からの指摘は厳しい。
日本は国連拷問禁止委員会から繰り返し勧告を受けているが、2013年の総括所見では、非自発的治療と収容に対し、効果的な司法的コントロールを確立すること、収容されている患者数を減らすことなどが求められた。
国際的にも強制入院制度の廃止に向けた動きが強まっている。2017年の国連の報告書では、日本を含む加盟国に対し、「あらゆる強制的な精神科治療および強制入院を終わらせることに向けた活動を促進することに目標を定めた具体的な方策を取ること」を要請している。
欧州評議会も2019年6月に、強制的な精神科医療の廃絶に向けて加盟国が直ちに行動を開始するよう要請する決議を採択している。
日本では戦後まで長らく、精神障害者を家族が自宅の座敷牢に閉じ込める「私宅監置」が行われてきた。精神科病院がそれに代わり、隔離場所としての役割を今後も果たすのだとしたら、偏見と差別を助長する存在だと見られかねない。

国家賠償請求訴訟での意見陳述

2021年3月1日、第1回の口頭弁論で、原告の伊藤時男さんは法廷で意見陳述を行った。強い思いを込めた陳述内容は次のとおりだ。
私は福島の病院に入院中、自分自身のことを思いながら「夢」という詩を作りました。その一部を朗読します。

外に出たい かごの鳥
毎日えさを ついばむ かわいそうだ
しかし 私もかごの鳥
私も同じ運命 毎日食事をし いつものスケジュールをこなす
早くこの病棟から出たい
(中略)
新しい生活 病院にない
空気を思いっきり吸いたい

私は、10代後半から入院生活をさせられることになりました。私の入院生活は、本当に長かったです。東京での入院期間を含めると40年を超えます。
入院中の生活は、かごのなかの鳥のような生活でした。
病院から外出しようとしても許可が必要でした。自分の意思だけで好きなように外出することはできませんでした。
外出できたときも、近所の目は冷たかったです。近所の人から「うちの前を通らないでもらえますか」と言われたことは、ショックでいまも覚えています。
病棟内でも、何をするにも看護師などから監視される生活でした。自分ひとりの自由はありません。
福島の病院では、院外作業として、養鶏場でニワトリのふんを処理したり卵を洗ったりする仕事をしました。プラスチックの部品工場でも働きました。その後、院内作業として、病院内の厨房で皿洗いや盛り付けをしたりもしました。それらの作業をして、私がもらえるお金はわずかでした。
それでも私は、ここで一生懸命働いていれば、いつかは退院させてもらえると思って、まじめに働き続けましたが、一生懸命働いても退院させてくれませんでした。私から退院したいという気持ちを伝えたことは何度もあります。それでも退院が実現することはありませんでした。
不自由な生活の中でも、父親だけは面会に来てくれていました。幼いころに実の母親と死に別れた私にとって、大切な存在でした。父親が病院に来てくれることは私の入院生活での楽しみでもありました。しかし、私はそんな父親の死をすぐには知らせてもらえませんでした。1年以上も後になって、義理の母から父親の死を伝えられました。私は、大事な父親の死に目にも会えず、葬式にも立ち会えなかったことに呆然とするしかありませんでした。
長期入院は、私だけの問題ではありません。私は入院期間が10年以上の人たちをたくさん見てきました。なかには、退院したいと言ったら看護師にダメと言われたことで絶望して常磐線に飛び込んで自殺した女の人もいました。その人は入院期間が13年でした。開放病棟にいた人で、自殺は病気が原因ではありません。退院できないことの絶望感です。
私は自殺という手段を選ぶことはしませんでしたが、その人の気持ちはよくわかります。もうこれ以上、そういったことは起きてほしくありません。だから、私は、裁判を起こすことを決心しました。
私はたまたま東日本大震災が起きたことがきっかけで、60歳を過ぎてからやっと「かご」から出ることができました。いまは、自由に自転車で出かけて、自由に買い物ができる、人間らしい生活が送れるようになりました。しかし、まだ「かご」のなかから出られない人はたくさんいます。この裁判で少しでも日本の精神医療が変わり、そういった人たちの役に立てるようになればと願っています。

「パイプカットしないと一生入院させておく」

長期強制入院の結果、子どものいる家庭をつくるという夢を断念させられた伊藤さんに対し、より直接的な措置によって同様の希望を奪われたのが、岩手県在住の片方司さん(71歳)だ。
2020年1月30日、片方さんは日本弁護士連合会に人権救済の申立書を提出した。申し立ては旧優生保護法下での強制不妊手術の救済策が議論される一方、条項の削除後も、精神障害者などに不妊手術が行われている実態を告発するものだ。

「パイプカット(精管結紮)手術をされたとき、私は子どもを失った気分でした。残念でした。障害者は結婚も、子どもをつくることもだめなものでしょうか」

片方さんは高校時代に同級生のいじめに遭い、失恋なども重なって調子を崩し、統合失調症と診断され精神科病院に初めて入院した。その後は入退院を繰り返しながらも、家の自営業を手伝ったり、地元企業に就職したりするなど仕事に励んでいた。
40代のころに付き合った女性とは結婚を考えたが、兄夫婦から、「籍は入れるな。子どもはつくるな」と言われて、不本意ながらも内縁関係を続けざるをえなかったこともあり、結局、別れへと至った。
その後、再度症状が悪化して精神病床への入退院を繰り返す中で、兄夫婦は退院を認める条件として片方さんに課したのが、パイプカット手術を受けることだった。同手術を受けることは何とか避けたくて、長期にわたって悩み続けたが、最終的には2003年に受け入れた。

「精神病床からの外出・外泊も認められない環境の中で、兄夫婦や主治医、ケースワーカーから強く迫られ、『パイプカットしないと一生入院させておく』とまで言われると、もはや抵抗しようがありませんでした」

片方さんが30代のころに建てたマイホームの2階には、2部屋の子ども部屋がある。

「子どもは2〜3人欲しかったから部屋も準備していたけど、結局実現しませんでした。パイプカット手術が決まったときは、これでずっと空き部屋になってしまうと、ショックは大きかったです」

日本では「不良な子孫の出生防止」を目標に掲げた旧優生保護法(1948年制定)の下で、遺伝性とされた疾患や障害のある人に対して、強制的な不妊手術(優生手術)や人工妊娠中絶が行われてきた。
1996年に障害を理由とした優生手術等を認める条項が削除され「母体保護法」に改正されたが、実態としてはその後も片方さんのケースのように、精神障害者や知的障害者らに対する優生手術は行われ続けてきた。
実際、片方さんに手術を迫った兄も、その当時すでに削除されていた優生保護法の規定に基づくものだと主張していた。
特に精神障害者に対しては、精神科病院への長期強制入院が日常的に行われる体制とも相まって、結婚や退院の条件として優生手術が隠然として実施され続けてきたとみられる。
2018年以降、旧優生保護法のもとで手術を強いられた被害者たちが全国各地で国家賠償請求訴訟を提起したことを契機に、詳細な事実が明るみに出るようになった。また2019年には旧法下での優生手術等の被害者への一時金支給が法制化され、その運用も始まっている。旧法は違憲とする地裁判決も出ている。
一方で、現行の母体保護法のもとでの強制的な不妊手術や中絶の被害者は、被害は同様であるにもかかわらず、一時金の支給の対象とされていない。
片方さんらを支援する「母体保護法下の不妊手術・中絶被害者と歩む会」の設立趣意書には、力を込めてこう謳われている。

「現在に至るまでの日本における優生政策の全貌とその実態、これを推し進めてきた国、自治体、医療・福祉・教育機関等の責任を明らかにすることを求めます。そして、優生政策による被害として、母体保護法の下での被害者にも等しく補償を求めます」

ここまで見てきたように、本人の望まない、精神科病院への長期にわたる強制入院が、いまも多く行われている。それでもこうした病院にさえ近づかなければ、そうした憂き目に遭うことなどはないと感じるかもしれない。
だが、残念ながらそうではない。先に触れたDV夫のような、ある人を精神科病院に入院させたいと思う家族が一人でもいれば、ある朝突然、屈強な男たちがあなたの自宅に上がり込み、無理やり精神科病院へ移送されることになる。
男たちが所属するのは、「民間移送会社」だ。

ーーーーー第1章 終ーーーーー

第1章では主に、精神医療における長期強制入院について取り上げました。自分の意志では退院できない恐怖や、その制度が悪用する恐ろしさ。続く第2章以降は、病院への強制移送、身体拘束、薬漬け・・・などその闇にさらに迫っていきます。

執筆の経緯などを綴った「エピローグ」はこちらから。






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