皆さんの”幸せの定義”は何ですか?

不幸は幸福を味わうための種であり、幸福は不幸の始まりである。 
ていう話です。

幸福を感じたいのならば、不幸を知らないといけない。

なぜか。

人間は変化に対して感情的な評価を下してるのだ。超裕福な家庭に生まれてお金に対して不自由な思いを一切したことない人が5億宝くじ当てて喜ぶ度合いと、生活保護で毎日カップラーメンしか食べない貧困層の方がそれを当てた時の喜ぶ度合いは(雲泥の差)× 100倍 くらい違うのである。

であれば、一喜一憂をする意味はあまり大きくないと個人的に感じてるのである。

意味ないと言っても、我々人間はドーパミンという物質を脳内で分泌してるのは紛れも無い事実である。しかし、これが分泌された時は短期的に幸福ですが、これを経験した時、実は同時に物事に対しての標準が上がってるんです。普段SNSでいいねが100あったのに、もしある日いいねが5しかないと人は不満を感じるんです。

不満を感じるのは 基準が高いからであって、その高い基準は過去にあった幸せだった出来事が形成したものである。故に、幸福は不幸の始まりである。

であれば、幸せの定義は考え直すべきだと考えてます。

人生において何が最高の幸せなのか。
この哲学的な問題を解けた人は未だ嘗ていないのかもしれない。

答えは十人十色のはずである。


現時点での僕の答えは、幸せとは、”比較から生まれる安堵感である”と答える。起業する人は、苦しんだ後に大量の報酬を得て 嬉しい、幸せだ と感じる。比較してるのだ。かつての自分と成功した後の自分を。結婚も一緒。

しかし、比較から幸せを求め続ける限り、本当の幸せは訪れないと考えてる。

幸せが存在する限り、不幸も同時に存在するからだ。

それを踏まえた上で、強引に幸せの定義を述べるのなら

本当の幸せは、すべてに感謝することなのかもしれない。

文字通り全ての出来事を受け止め、感謝をする。
自分が騙されても、殴られても、裏切られても 感謝するのだ。

果たしてこの答えが正しいかは知らないが、現時点でこれが一番しっくりくるのである。

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