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私の見ているサステイナビリティについての本を書こう

noteをはじめてから2年ほどが経ち、記事の数も38本になりました。ここまでを振り返ってみると、noteを書くことは自分の言葉をみつけていくことだったなぁと思います。

内容があちらこちらになってしまったので今日の記事にはタイトルをつけるのが難しかったのですが、これから「私の見ているサステイナビリティについての本を書こう」と考えていることについて書いておこうと思います。

1.わかりやすい言葉ってどんな言葉だろう

noteをはじめてから2年ほど経ちました。はじめの頃は読んだ本のレビューなどが中心でしたが、ここ1年ほどは「地域」と「サステイナビリティ」という2つのテーマについて主に書いてきています。

前者についてはフィールドワークを通して考えたこと、後者についてはひとつの考え方としてのサステイナビリティを紹介する内容を書いてきました。

振り返ってみると、地域についての記事はどちらかと言うと自分自身の内側に向けて書いてきたものでした。これは、研究を通して気がついたことを自分の言葉にする手続きだったなと思います

フィールドワークで色々なところを訪ねたときに自分にとってのホームグラウンドであり研究の軸でもある秋田のそれとは違う風土に触れたり、異なる世界観を持った人たちと出会ったり。これを通じて私の中に蓄積されきた感覚や気付きを、あまり深く考えすぎて筆が止まらないように気をつけながら、ひとまず収まりのよさそうな言葉や図を使って書き出す作業でした。

対照的にサステイナビリティについての記事は、世の中にもっとサステイナビリティという考え方を浸透させていきたいという気持ちが高まったときに書いていたので、主に自分自身の外側に向けて書いてきたものでした。

この動機の背景には、サステイナビリティという言葉があまりに浅い意味合いでしか使われていないことへの違和感がありました。

和訳として広く使われている持続可能性と伴にサステイナビリティという言葉が世の中で広く使われるようになっていますが、実際にこの言葉が使われるほとんどの場面において、その意味するところがとても曖昧で限定的です。例えば「持続可能な社会保障制度」のように、「続けていける」という言葉に置き換えても意味が変わらない程度で使われていたり、気候変動に関する社会運動や国連のSDGsのように、外から持ち込まれたものについて語る時に限って使われています。

このように浅い意味合いで使われている現状を越えていくためには、サステイナビリティがどういう考え方なのかということを、わかりやすい言葉で綴った本があるといいんだろうなと思っているところです。残念ながらこういう本は、私の知る限りにおいてはまだ世の中にありません。ならばそういう本を書いていきたいなと思っています。

このサステイナビリティについてわかりやすい言葉で綴った本を書き始める前に自分としては1つ確認しておきたいことがあります。それは、この「わかりやすい言葉」とはいったいどのような言葉なのか、ということです。

サステイナビリティという考え方についてより多くの方々に知ってほしいという気持ちはとても強くあるのですが、外来語や専門用語ばかりを使って書いていたのでは、いつまで経ってもこの目標は達成できないでしょう。別のテーマを扱うときにもこの状況はまったく同じで、やはり他所から借りてきた言葉だけを使っていたら、新しいアイデアというのは世の中に広まらないのだと思います。

2. わからないのは受け取り手のせいじゃない

これまでも何度かサステイナビリティについて、なるべく分かりやすい言葉を使って書いてみたいと思ってきました。企画書や序章を用意してみるのですが、実際に書き進めていくと、途中で他人の言葉を借りて書いていることに気付き、「あ、これじゃ伝わらない」と思って手が止まってしまいます。こうして書き始めて気がついたことですが、わかりやすい言葉や表現というのは、決して平易な言葉や簡略化した図だけで書いていくということではありません。

自分が大事だなと思うのは、「書き手自身が書いているテーマについて誰の言葉で理解しているか」です。

他人の言葉を借りてきて理解している状態で書いた文章は、表現として正確な言葉を使っていたとしても、どこかふわっとしてしまい、読んでも書き手の意図するところがなかなか頭に入ってきません。他人の言葉で語っていると意味的な説得力はあっても納得感がなく、結果としてまっすぐ伝わらないのだと思います。

逆に意味がすっと頭のなかに入ってきて、後々にも記憶に残るのは、書き手が自分の言葉を使って書いている文章であることが多いです。

そういう文章を書くには、書き手が自分の言葉を使ってテーマを理解していなければなりません。インプットが他人の言葉だとしてもアウトプットする時に自分の言葉に置き換えられるかどうかは、つまりはインプットしたあとに自分の中で十分に咀嚼できているかどうかなのかと思います。

自分の言葉で書かれているものの分かりやすい例が体験談です。それは書き手本人が実際に身を持って体験したことなので、自然と表現も自分の言葉でなされていきます。そういう文章は読んでいて面白いし、場面場面の映像も浮かびやすいです。

ここで少し芸がいることだなと思うのが、体験談や目に見える物事ではなく、アイデアについて言葉を用いて表現するときです。例えば多くの哲学や歴史を扱った文章が難しいのは、テーマとして扱われているものが体験できないし目に見えないことが多いからではないでしょうか。ここで扱われているものは言葉による説明を取り込まないと追体験できないし、内容を理解してイメージ図を描いたりしない限り目に見えることもないものです。

忍耐強くこの手続きを経た人にしかわからないものになっているとすれば、やっぱりその状況はもったいない。サステイナビリティも今この状況にあるのだと思うのです。

文章というのは不思議で、発する人が腑に落ちていない言葉を使うと読み手にもそれが伝わり、いつの間にか話が読み手の側からすーっと遠ざかっていってしまいます。この時、多くの場合には読み手が「自分にはこの文章の内容を分かるために必要な知識や賢さがないんだ」と思ってしまいます。

やがて「何か大切なことを書いてあるんだろうけど、自分にはわからない」と諦めて本を閉じる、ということがよく起きているのではないでしょうか。そうして次にそのテーマについて耳にしたときにも「あ、あの難しいテーマのことか」と感じ、そこには心理的な距離が生まれてしまいます。

私はこうしたわからないという状況は受け取りての側のせいということではないと思っています。とても複雑なことでも、ある種の閃きや体験を通じて知りえたことについても、そのことについて理解したいという気持ちを持っている他者に対しては、必ずその意味を伝えることができる言葉や表現方法があると考えています。

書き手として信じていたいのは、少しの芸があれば、世の中に広がって欲しいと思っているアイデアを多くの人にすっと理解してもらうことができるのだということです。この「すっと理解してもらう」ことができるかどうかの境界線は、書き手が自分の言葉で語っているのかどうかなのだと思うのです。

3.サステイナビリティについての本を書こう

さて、私の懸案であるサステイナビリティについて、すっと理解してもらえるような、わかりやすい言葉で綴った本を書きたいということについてです。

大学院生としてサステイナビリティ学という新しい分野に飛び込んでから、今年で11年目になります。まだ考えていることのすべてを自分の言葉で語れるかはわかりませんが、サステイナビリティという考え方について、これまで自分にインプットしてきたことから湧き出てくるものを、これから1年くらいかけて書いていこうと思います。

この時に「私の見ているサステイナビリティ」について書いていくということを大事にしたいと思います。

サステイナビリティについての書籍は専門書を含めて既に何冊か存在しますが、そのいずれもが議論のはじまりとして「サステイナビリティは人間社会が達成すべきゴールである」としています。これが出発点なので、話を環境、経済、社会という分野にわけ、そこから更に個々の分野にぶら下がる個別テーマに細分化していきます。

例えば、自然保護、生産と消費、再生可能エネルギー、というような具合です。これらの個別テーマについてその筋の専門家が1章ずつ担当し、詳述してもらった章をまるでホッチキスどめするようにしてガッチャン!と束ねて終わりというような書籍が多いです。

さて、このような個別テーマについての解説シリーズを見せられたあとに読み手はサステイナビリティをどう理解するでしょうか。私なら「要するに、サステイナビリティっていう名前の多項式を因数分解を使って解いていくみたいなことなのね」と思うことでしょう。

私はこの因数分解方式は、サステイナビリティに取り組むことの半分だと思っています。なぜなら、細分化された個別テーマについての解決の総和が全体の解決につながると考えるのは仮定であり、これが正しくないということを指摘しているところにサステイナビリティという考え方のひとつの大事な役割があるからです。

サステイナビリティという考え方を理解するためには、まずは細分化して詳述したものをガッチャン!と束ねるという方法を一度手放す必要があります

余談ですが、このような因数分解的にものごとを理解する方法は、実はよくわかっていないことについてもわかったような気分になってしまうという弱点があります。おそらくは議論の筋道が見えやすいからでしょうが、今の世の中はこの因数分解方式で物事を理解する傾向がとても強いですし、そのように考えられる人がスマートな人と扱われる傾向があると思います。この点についてもこの本で詳しく述べていきたいと思います。

4.誰に向けての本なのか

これから書き始めるこのサステイナビリティについての本は、主には次の3つの気持ちのどれかを抱いている方に向けて書いていきたいと思います。

1.興味があって色々読んではみたけど、まだつかめた感じがしない。
サステイナビリティは大事なコンセプトだと思うし興味もあるけれど、でも正直なところ雲をつかむような感じがしている。ネットで調べたり、本を何冊か手にとってみたけれど、それでもまだつかめた感覚がない。わかりやすく説明してくれる文章があるのなら、ぜひ読んでみたい!
2.サステイナビリティを大学で学びたい!
サステイナビリティを大学や大学院で学んでみたい。サステイナビリティは大事な概念だと思うけれど、扱う対象が広すぎてどう学んでいったらいいのかわからない。サステイナビリティを専攻できたら最高なのに、でもそれが具体的にどういうことなのか知りたい。
3.サステイナビリティなんて抽象的なこと言われてもリアリティがない。
サステイナビリティなんて言葉が世の中に出回っているけど、抽象的でリアリティがない。自分事として行動しないといけないとか言われるのも正直に言うと窮屈に感じる。サステイナビリティって本当にそんな大事なコンセプトなのかなぁ。

この本のゴールとしては、読み手が「サステイナビリティ」という言葉を聞いたときに、何か具体的なイメージが浮かぶような状態になることです。この具体的なイメージがまだないことが、サステイナビリティに対するつかみどころのなさを生じさせているのだと思います。

この本を通じて目指すところが明確になったところで、この記事を終えることとし、次の記事ではこの本の「はじめに」にあたるものを書いてみたいと思います。

では、不定期になりますが『私の見ているサステイナビリティ(書籍案)』をはじめたいと思います。


つづく。

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