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ポン酢のポン(11月8日)

喉が腫れていたので、歯を磨いて顔を洗ってリンゴ酢を飲む。殺菌作用があるとかないとかで2号がやたらとすすめてくるのである。美味しいから飲むのだが全く喉に滲みる事はなく本当に喉がガラガラしているのか怪しい。

外が晴れていたので、寝巻きと枕カバーを洗って朝食を作る。俺はトロロご飯にういんなー、2号はトーストにういんなー。2人分のオムレツを作る。
ご飯を済ませて洗濯物を干し、仕事にかかる。頼まれていたトートバッグのデザインがなかなかな決まらない。いくつかの案を出すも、これぞ待ち望んだものだ! というデザインではなく大体及第点という感じで踏ん切りがつかない。そのままあれやこれやとしているとトートの次はマグカップということにもなり、こちらも悪戦苦闘。1円も稼ぐことなく本日も奮闘していると物理的に時すでに遅し、夕刻である。
そんなばかな、こんな時間の進み方があっていいのかと自問自答をする頃合いには2人とも空腹になっており夕飯に取り掛かることとした。
土鍋に昆布、にんにく、生姜をいれ大根、長ネギ、白菜、豆腐を入れた鍋を作る。塩など入れない滋味あふれる鍋だ。あとは鮪の刺身、キャベツと豚肉のサブジなどを作る。
毎日のことだが、実に俺は我々の味覚を熟知しており最高の夕飯だなと絶賛。
その勢いでハイボール2杯、麦焼酎のお湯割3杯を飲んだ頃、ふと頭に疑問がよぎる。
食卓に並ぶポン酢。これは一体何なのだろうか? もちろん醤油と柑橘の汁を混ぜ合わせた万能調味だということはろくでなしの俺も知っている。問題なのはポン酢のポンだ。
ポン……全くなんだか分からない。しかし、このポンと酢を混ぜ合わせる事でポン酢になるのだから醤油なのだろうか。その昔、本醸造をポン醸造などと言っていれば大きく可能性が見えてくるが、そんな話は聞いた事がない。
では、事の真相は一体どうなのかといえば、これはあくまで俺の仮説なのであるのだが、その昔、愛媛県の現在の波方町に位置する所に竹汐村という小さな集落があった。竹汐村は海沿いに面した急な山林を切り開いて作られた村であり、海と山の恩恵をそれぞれ受けている小さくも豊かな村であった。そこに住む百姓である糀谷錦之助という青年が山林の奥で成人のこぶし大の黄色い果実を見つける。これは珍しいと錦之助はこの実を持ち帰り神棚に供えた。錦之助の暮らしは裕福ではないものの静かに暮らすには事足りないものであり、妻である鶴と2人穏やかに過ごしていた。今日もいつもの通り、1日にあった出来事を話しながら2人仲睦まじく夕餉をつついていた。献立は近海で取れた鯛のアラを使った鍋に、オカラを使った丸ずしなどを食していた際に小さな地震が起きた。神棚に置いてあった果実は錦之助の額にポンと落ち、鍋にそのまま混入した。もったいないなと、そのまま鍋を食べてみると果実の酸味がいい塩梅で魚に味をつけ、実に鮮烈かつ豊かな味になり2人とも大層驚いた。これが後のデコポンであり、このアクシデントがポン酢の原点なのであると、ここまで書いたんだけど、ここまで書いて驚くなかれ、ちょっともう眠いし酔っ払ったので寝ます。ははは。

どうもありがとうございます。 今晩のおかずが増えまっす。