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MBA合格までの道のり(後編)

Kamackです。前回まではクラウドファンディングでの起業のきっかけとなったMBAに出会うまでの話を書きました。MBAとの出会い編はこちら。そのあとのMBA合格までの道のり(前編)はこちらです。今回はこの後編になります。

今回の投稿では、本当の地獄の始まりから合格までの長い道のりを書いてみようと思います。今回も相当の長文ですが、ぜひお付き合いください。

TOEFL/GMAT受験で地獄の日々

社費留学の選考を無事通ったのが2017年3月。2018年の合格に向けて準備するとなると、各学校への応募は2018年の1月前後のため、受験勉強の期間は賞味10ヶ月しかありません。まぁそれでも1年弱もあるから何とかなるだろうと思っていました。


認識甘かったです。甘すぎました。


MBA受験にはスピーキング・ライティングも含めた英語力を図るTOEFLもしくはIELTSというテストと、数学を含めた学力を図るGMATもしくはGREというテストで一定の点数を取る必要があります。

その上で、各大学に小論文と面接があり、これらで合格水準に達した人が合格するというプロセスです。

大学受験をした方は、ざっくりセンター試験っぽいもの(TOEFL/IELTSとGMAT/GRE)で足切りがあり、そのあとの2次試験っぽいもの(小論文と面接)でセンター試験の結果も踏まえた上で合否が判定される、と理解してもらえれば分かりやすいかもしれません。

大学受験との違いといえば、TOEFL/IELTSは何回でも受けられることと、GMAT/GREはそれぞれ年5回まで受けられるという事です。

私は2月に受けたTOEFLが88点、4月に受けたTOEFLが97点と、ほぼすべての学校の足切りラインである100点まであとわずかなところまで来ていたので、楽観視していました。

しかし、このあと、9月まで1点も伸びないまま地獄のような日々を送ることになります

この試験、1回受けるのに235ドル(2万5千円)かかり、9月までに15回近く受けていたので、すでにTOEFL受験料だけで40万円近くかかっている計算になります。

これだけコストがかかった中で、どこの大学にも合格できないのではないかという点数しか出ていない。

毎日仕事後に3-4時間、土日は10時間以上勉強しており、友人の飲み会の誘いや遊びの予定は全て断っている状況で、これ以上の勉強時間確保は難しい。この時ほど絶望感を感じた時はありませんでした。

さらには、GMAT(学力テスト)の勉強も並行でしていて、9月に受けたテストの点数が570/800。これも受けたい大学のほぼすべての大学の足切りラインを満たしていませんでした。自分が受ける学校にはどうしても650以上取る事が必須でした。

私は8月に会社の上司に

MBA受験が本当にまずい状況なので、定時で帰らせて勉強に充てさせてほしいです。

と無茶なお願いをし、何とこの日から毎日定時で帰らせてもらう事ができました。本当に理解のあるいい職場でした。


この状況を変えてくれたのは神田にある某MBA予備校でした。

TOEFLから比較的日本人が取り組みやすいIELTSへの転向を提案してもらい、早速IELTSのListening/ReadingコースとGMATのRC(Reading)コースを取りました。そして、定時で帰らせてくれてた会社のおかげで確保できている定時後の時間もすべてつぎ込み、勉強を続けました

あれは忘れもしない、11月10日の事です。2回目のGMAT試験を某帝国ホテル上階の試験会場で受験していました。

GMAT試験はコンピュータで受ける試験なのですが、
・正答するとそのあとの難易度が上がる
・誤答するとそのあとの難易度が下がる
という試験なので、回答中に何となくどういう結果になりそうかが見えてきます。例えば前回の点数を取ったときは問題がどんどん簡単になっていったので、点数が悪いことが予見できていて、結果その通りになりました。

この日のGMAT試験、数学(Quantitative)は良く解けたので高得点が練らええそうでした。しかし、課題の英文法(Verbal)がやはり苦手で、解いていくうちにどんどん問題が簡単になっていきました。前述の通り、これは誤答が多く、そのために簡単な問題になってしまっている。すなわち、点数は伸びないであろう覚悟をし、絶望的な気持ちになりながらも何とか問題に取り組んでいました。

全ての問題を取り終えた後、画面に表示された点数を見て目を疑いました。

660 (※志望校足切りライン突破点数)

は???

志望校足切りライン突破?!?!?!!!

今まで自分が人生でやった事のないようなガッツポーズが自然と出ました。

ちなみに、この点数は、あくまで足切りを免れるギリギリの水準なので、志望校合格のためには実は心もとない点数でした

ただ、これでようやくスタートラインに立つことができたという安堵がありました。

合格に向けて小論文・面接対策を急ピッチでやらなければならないという焦りが入り混じった感情の中、この日から一気に小論文と面接対策に向けることになります。


小論文・面接対策も地獄だった

小論文・面接対策は比較的楽だろうと思っていたのですが、決してそんなことはありませんでした。というか、信じられないくらい大変でした。

有名なカウンセラーをつけて添削してもらっていたのですが、最初の500wordの小論文が完成するまでに1ヶ月かかりました。

小論文は各校ごとに別のテーマが用意されており、それごとに書いていくのですが、1校当たり多い学校で6つのテーマがあり、それぞれ英語で300word-500wordくらいの文を書くので、業務で英語メールやプレゼンを作る英語表現レベルでは全然太刀打ちできませんでした

小論文を完成するまでにかかった時間は約3ヶ月、しかも、9月末で上記の試験の結果が出ていないときから取り組んでいたため、9月からの2ヶ月くらいは精神的にも本当に地獄のような日々でした。

11月末にようやく上述の試験で光が差したので、12月頭の最初の学校の出願に間に合わせるために、急いで小論文とビデオレターを仕上げ、それと同時に面接対策を急ピッチで進めていました。

その後に取り組んだ面接対策も地獄でした。厳しいカウンセラーの模擬面接で、幾度となく蛇に睨まれた蛙のように脂汗を流す日々。ただ、この厳しい面接対策は後の面接で間違いなく生きました。

2017年は、前述の通り、平日は定時後3-4時間、休日は最低10時間を確保し、とにかく勉強しかしていませんでした。精神的にもギリギリな状況があった中で、本当に良く乗り切ったと今でも思います。


面接本番

私は5校受験し、ある1校だけアルムナイとの面接が2回あったので、合計6回の面接がありました。

カウンセラーの模擬面接で、事前にあらゆるケースを想定して準備をしていたので、本番の面接は各校拍子抜けするほどスムーズだったのを覚えています。なので、受験校は1校を除いて、おそらく合格できるのではないかという感触を得ていました

ただし、うまくいかなかった1校、それこそが本命としていた、今通っているIESEでした。面接官が終わった後での雑談で、その面接官から比較的ネガティブなフィードバックを聞いたとき、私は落ちたことを覚悟しました。

ただし、IESEにはアセスメントデーというものがあり、そこでの評価で逆転が可能という事を現役生や過去OBの方々から聞いて知っていたので、アセスメントデーでの逆転に賭けることにしました


最後の難関、アセスメントデー

IESEという学校は前述の通り、最後の試験として、アセスメントデーという総合試験を課しています。具体的には、実際にバルセロナの校舎を訪問して(シンガポールを選択する事も可能)、将来の生徒候補生たちとディスカッションと模擬授業を受け、一人一人の発言やチーム内での行動を観察、評価されるというものです。

大半の日本人が最も苦労するのが恐らくはこのイベントでしょう。ただでさえ英語での授業や議論についていくのが大変な中で、どのように貢献できるのを見られるのですから。

私は日本人の中では米国赴任経験から比較的議論には慣れているとはいえ、欧州の候補生から見たら見劣りする事は間違いありませんでした。

しかし、そこは切り替えて、自分が貢献できる部分で貢献するしかないと割り切りました。

チーム議論では主張がぶつかり合う中、私はホワイトボードを使って生徒の議論をまとめる役に徹しました。これは間違いなく、業務で米国のプロダクトマネージャとの議論の要点をホワイトボードに書き出すという事が役立ったのだと思います。

また、授業では反対意見に押されながらも、自分がなぜそう思うかという点を明快にはっきりと主張しました。これも、米国赴任時の経験が生きたのだと思います。


合否結果、そして

初めてのバルセロナ訪問は、海外在住経験が米国しかなかった私に、はっきりとこの街に住みたい、そしてこのIESEという学校で出会った生徒たちと一緒に勉強したいと道を示してくれるものになりました。

他校の合格発表が続々と出る中で、私は幸いにもIESE以外の4校から合格の連絡をもらう事ができました。

そして、最後の最後、3月20日にIESEのAdmissionの方から電話連絡がありました。

「〇〇さん(私の実名)、おめでとうございます。合格です。」※日本語でした。

この電話をもらった時、私のこの1年の苦労は全て報われたと感じました。そして、IESEに進学する事を決めました。

IESE入学後も勉強は本当に大変でしたが、それはまた別の機会に書きたいと思います。こうして何とか軌道に乗った結果、こうして今クラウドファンディングでの起業をさせてもらっています。


まとめ

こうして改めて筆を取ってみると、良くもまぁ諦めずに頑張り続ける事ができたなぁと思うとともに、妻を筆頭に家族や友人の支えがあってこそここまでやってこれたという想いが強くあります。

私の好きな言葉の一つに、「あなたはもっとも多くの時間をともに過ごしている5人の平均である。」という言葉があります。

厳しい状況の時に、もし「夢ばっかり見てないで、どうせ無理なんだからい現実見なよ」と声をかけてくる人たちに囲まれていたら、自分が今バルセロナでこうして勉強していることは無かったと思います。自分は本当にいい人たちに囲まれて過ごすことができていると実感しています。

これからは、私が与えてもらったものを少しでも多くの人に返していきたいと思っています。職場や会社には言うまでも無いのですが、それ以外に広げた活動の一つとして、大学向け講演(講義)を今はまだほんの少しだけですが、やらせていただいています。

(先日バルセロナからオンラインで講演させていだいたときの様子です。)

この活動を恩返しの第一歩として、そしてそれをどんどん広げていけたらと思っています。

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