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あなたに人は救えるか

皆さんは人を助けたことはありますか?
道案内みたいなレベルではなく、救急車を呼んだほうが良さそうなものや心臓マッサージをしないといけないようなものを指しています。
多くの人が「ない」もしくは「見かけたことはあるけれど」と言ったところではないでしょうか。

いざ、と言った状況になった時に、あなたに人は救えますか?


少しイメージしてみましょう。

人通りの多い駅のホームで、1人の高齢者が辛そうにしゃがみ込み、壁にもたれかかっているとします。
周りの人は気付いていない、もしくは気付いてはいるがチラチラ見るだけで通り過ぎていく。誰も近寄ろうとしない。
「助けてくれ、助けてくれ」と大声で叫ぶときもあるが、それでも周囲の人は目線を向けるのみで、怪訝な顔をし通り過ぎていく。誰も近寄ろうとしない。


この状況でみなさんは自信を持って「私なら声をかける」と言える人はどのくらいいますか?
地域柄もありますし、都会ではこのような状況は日常的にみられる可能性すらあります。
勇気のある素晴らしい人は声をかけにいけるでしょうが、とても少ないと思います。
仮に誰かが声をかけているのを見かけても、われわれはそのまま見過ごされるのではないでしょうか?
ただ、私も自信はありません。
専門なので呼吸の仕方や見えている範囲の肌などの視覚情報を得ようとはしますが、自信を持って必ず声掛けができるとは言えないです。


では、次にもう1つイメージしてみましょう。

エレベーターにあなたを含め、数人ほどしかいないような状況、そのうちの1人の高齢者が息苦しそうにしゃがみ込んだ。「助けてくれ」と言っている。
その人以外は高齢者に目線を向けつつ、同じ空間にいる人同士の目を互いに伺っている。

このような状況であれば、前述の状況と比べ、どうでしょうか。
依然少ないかもしれませんが、先ほどよりは多くの人が声をかけるでしょう。
また、他の人のうちの1人が「大丈夫ですか?」と声をかけていたらどうですか?
おそらく多くの人が自分も何かできないか考えたり、声をかけたりするでしょう。


どうしてこのような話をしたのか。
「私は救急医だから助けるし、みなさんも助けよう!」なんてことを言いたいわけでは断じてありません。
以下の2点を知ってもらいたいためです。

人は思っているより社会的な生き物であるということ

特に日本人は多いかもしれないですが、人は思っているより社会的な生き物、つまり周囲の目や周囲の行動に影響をされやすいということです。
誰も声をかけていない状況だがら、
「もしかして当たり前の状況なのかな?」
「声をかけると自分だけ浮いてしまいそう」
「誰かが助けてくれるんじゃないかな」
と思う人が多いでしょう。
以上から、大きな声であったとしても、不特定の人に助けを求めても、見向きもされない可能性があります。
名著「影響力の武器」にも社会的証明の箇所に勉強となる内容が記載されています。

その状況が変わりうるのは、2つめのイメージにあるような、少人数でみんなが「この人大丈夫かな?」と思っているような時です。
1人が助けようとしたり声をかけると比較的他の人も協力してくれるでしょう。
ある意味、助けが特定の人に求められている状況だからです。

人にはこのような側面があることを知っておいてください。

自分が同じ立場になったとき、助けてもらえるようにするには?

じゃあ知っておいて何になるのか?
自分が助けてもらいたい時に活用できるからです。
本当に自分が助けが必要な時に、不特定の人に向けて助けを求めてもスルーされる可能性が高いでしょう。
1つめのイメージのような時でも、助けてもらわないと危険な状態であれば、特定の人に助けを求めるようにしてください。
例えば、「そこの赤い服を着ている女の人」「そこの緑のマフラーをしている男の人」など、その人と分かるように指を刺しながら発言してください。
それでも見過ごされることもありますが、不特定に言うよりは断然効果があります。
このことを忘れないようにしてください。


まとめると、人は社会的生物で周囲と影響をしあっていることを理解する、自分が助けを求める場合は特定の人を指す努力をすることです。

この文章を見てくれている人のなら、助けが必要そうな人を見かけると助けに行こうとしてくれるかもしれませんね!
私もそれができるように努めます!


最後まで閲覧いただきありがとうございます。
いつもとは少しテイストを変えて、読み物的な記事にしてみました。
ご意見、感想などあればいつでもどうぞ!
救急医 かたかた


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