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「家業を継ぐ」ということ

私は結婚を機に三次に来て嫁という立場から家業に携わることで
和牛の農家として自分の好きな牛に関わる
ことができています。
ただ、うちの経営者はご両親であり、継ぐのは旦那さんでした。
私はそれをパートナーとして支え続けることが使命だと考え、日々の仕事や現実と向き合っています。

みんなで出荷する子牛

家業と家族

家業は会社経営なので私は雇われの身で従事しています。
畜産に携わる者として学んだプライドを持って牛のことを考えたり
現場の作業者として仕事の内容を見直し効率化を図ったり
どれだけ短時間でより効率良く作業して多くのノルマを達成できるかに挑み
自分のスキルを活かしてできる仕事を増やすことで
使い勝手の良いアルバイト
として働き続けています。

私なりに家族として会社経営や今後のビジョンにも意見し
夫婦では二人三脚、子育てもしながら共に考えて進めてきました

しかし、先代とは家族の在り方や経営の考え方について相違が多々あり、
事あるごとに上からモノを言ってねじ伏せられ対話にならない。
理屈が通らないので納得できないまま愚痴として消化するしかない。
先に一言あるだけでその後の動きが変わるのに…という歯がゆさは日常茶飯事。

先代に嫁として敷かれたレールを自分が選んだ道として
沿って進んできました
が報われることはほとんどありませんでした。
時代遅れの考えや慣習に振り回されて
「よそはよそ、うちはうち」と唱えながらも
理想と現実のギャップにずっと苦しみ続けています。

私にとっては「家族なのに」がたくさんで
親子でも言葉足らずばかりで報連相もまともにできず
旦那さんまで私に愚痴る不思議な家族です。

家族総出でドナドナ

本当は幼い子供たちとの時間をもっと大切にしたかったのですが、家業の状況から私も家業の歯車とならざる負えなくなりました。

先代や現状、変えられないものの大きさは十分理解しました。
ただ、私が関わり家業としてこれからも働き続ける限りは
夫婦で子供たちに誇れる仕事にしたい
と思うようになりました。

家業の事業としての存在意義

最初から構想を練ってブランディングしていく方が自分のやり方、ペースで計画的に進められるので気楽でしょう。
しかし、ご縁があって三次で畜産ができるだけの地盤がある
それは周囲の理解を得にくい畜産業に従事し続けるためにはとてもありがたいことです。

しかし、繁殖和牛農家のお客様は肥育の牛農家さんです。
うちとして消費者に提供できるモノはありません。
生産者の先端で消費者との繋がりや関わりがあまり無いため、
自ら発信しなければ現場のことは周囲でも理解されにくく
農家として誇りや存在意義を実感しにくい仕事だと感じています。

肥育農家さんで育つうちの子

先代は周りに「迷惑かけない農業」で周りの目ばかりを気にしています。
それもある意味正しいのだと思いますが、従事する者としては
会社として目指すビジョンが誇れるものであるか、が大切です。

今のままの家業では「自分たちの生活のため」というエゴでしかなく、
ただ私達にあるのは、「牛が好きでこの仕事が好き」という想いと若さのみです。

そして、家業だけでなく集落の加工所や周りの農家さんで働く中で
地域の周りの方のうちに対する印象や想いに触れることで、
より「会社としてただ引き継ぐだけでは良くない、
変えて新たな価値を見出していかなければ」

という想いが芽生えました。

守りながら変えていく

うちの会社はお義父さんが大きくしたので業界や地域では
良くも悪くも名前が通っています。
しかし、「何を引き継げば良いのか」と問うと、
牛や機械、牛舎など資産として形あるモノばかりでした。

世代による考え方、方針の違いもあるので、
それはある意味ありがたいことなのですが…
ノウハウなど引き継いでほしいカタチが無いのはとても淋しく感じました。

私たちは先代の恩恵を受けて関係機関や周りの方との関係性を引継ぎ、
すでにある仕事や顧客、資産として在るものを活かしつつ
その裏で自分たちの家族や暮らしを守りながらも、
私たちの考えを示し独自の色を出していく必要があります

ただ、想っていても日々の作業に追われてなかなかできない。
「守りながら変えていく」のは、本当に難しい、と実感しています。

肉体労働に追われ、あっという間に終わる毎日

継ぐために必要なコト

家業も家計も旦那さんが大黒柱です。
私がいくら背伸びをしてもできることは限られています。
身体が資本の肉体労働で折れてしまったら同時に詰みます。

お義父さんは農業委員やセリの当番など外での仕事を受け、
家業の資金繰りはポケットマネーで補填する経営でした。
旦那さんには家業以外できる時間の余裕は無く、
家のローンや家計も支えながら会社も維持するためには
私がどれだけ外貨を稼げるかにかかっています。

私は家業ではただの最低賃金の作業者でしかないので
パートさんに代わりに入ってもらって穴を埋めながら
自分の時間やスキルを活かした仕事をしたい!
と考え事業化
するに至りました。

もっと本気で仕事を取りに行って稼ぎたいところですが、
今は家業との時間や労力のバランスを模索中です。
私1人でできることは限られているので
想いやできるコトに共感した一緒にできる仲間を増やして組織化し、
自分たちで自分たちを守っていける体制づくりを目指しています。

そして、家業は臭いし衛生的に汚いし機械も乗るので危ないしで
仕事か子育てかの二択になっているのがとても嫌でした。
母としてこれからの子供たちと居る時間でも仕事にしたくて
働く・稼ぐってこういうことなんだって
背中から学びお手伝いから一緒に仕事できると良いな
と思っています。

マルシェで子どもたちと販売

事業継承して

私が秋に宣言して先代の仕事を引き受けてから
冬から徐々にフェイドアウトしていましたが、
春になって先代が突然退き、旦那さんが代表者になりました。
継承すれば自分たちで思うように動けるようになるかと思っていましたが、
現実はそう甘くはありませんでした。

今まで4人でしていた作業を2人で賄うようになると
必然的に作業の内容や時間の使い方を見直し効率化を図りました。
それでも手の足りない部分はパートさんにお願いしながら
時間に追われながら話し合って日々作業にあたっていますが、
私が体調を崩したことで自分たちの限界を知りました

夫婦で家族も仕事もパートナーとして共に生きるためには
お互いの存在が必要でありながらも当然になってはいけない。
だからこそリスペクトや声かけ、話し合いが大切ですね。

旦那さんとの関係性についてはまた別でまとめます。

家業を続けるために

先代の飼い方を見直し、子牛の育て方はだいぶ軌道に乗ってきたところですが、
現在の飼料費や燃料費の高騰が続き、子牛の販売価格は下落しています。
がんばっても売上に反映できず成果を上げられないのは精神的に辛いところです。

市場の最高値で買って頂いた雌子牛をお掃除

この厳しい情勢下では資金繰りが危うく私達の自己資金にも限界があるので
生活を考えると正直いつ辞めるかという瀬戸際に立っています。

ただ、夫婦でその話題を出すと今後の仕事に支障をきたすと思い
不安を口に出さないようにしていました。
しかし、それが逆にストレスとなり体調を崩したため
ちゃんと現状と向き合い、夫婦でぶっちゃけて話し合いました。

規模拡大しても人手が足りなくなるばかりなので
自分たちの手に負える範囲の規模で無理せず続けることが先決だと至りました。

農家として生き続けるために

正直、家族や家業だけでは前が見えず逃げ出していました。
それを子育てや副業を通して身近な方からの思いやりを受けたことで
前向きに捉えて今も三次で暮らし続けることができています。

夫婦共に就く好きな仕事だからこそしんどくなったら終わりです。
家業もマルチな働き方も、この地域で生きることも楽しんで続けるために。

子育てをしながらキャリアを積み、若者が続けられる農業の仕事を増やし
多様な仕事や働き方が選べる地域の仕事を自分たちで創っていく。
若者が誇りを持って働き、次世代に継いで未来に繋げていく。

身近な人に支えられた分、家業も事業も続けることで
ちゃんと地域に恩返ししていきたいと思います。

笑顔で働き続けます

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