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「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」という親孝行のスイッチ

正月休みにこの漫画の事について書こうと思っていた。

」という存在。この世に生まれた誰もに共通する存在。
一年の中で一番母がすぐそばにいる可能性が高いこの時期に、この作品について考える事をきっかけにして、自分の母について、そして自分について今一度立ち止まって考えてみたかった。この書評を読んでいただける方にとっても、本作の素晴らしさをお伝えすると共にそういった何か大切なものを考えるきっかけになってもらえればと思い、書いてみる事にする。

母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」は漫画家・宮川さとし氏の実体験を描いたエッセイ漫画だ。発表当時にネットで話題になっていたかと思うので、読んだ事が無い方もタイトルは聞いた事があるかもしれない。自分も当時はそのシュールなタイトルと表紙絵でいまいち手が伸びずスルーしてしまっていたのだが、単行本が出てしばらくしてからふと買ってみた。

結果・・・
読み始めてから読み終わるまで、ずっと泣いていた。涙が止まらなかった。

全編通して、ずっと。こんな作品は後にも先にもそうは無い。
このタイトルだからと少し斜に構えていたが、全然違った。ド直球の涙腺マンガじゃないか。。あまり泣く泣く言い過ぎると萎える言われそうだが、そんなハードル上げてどうのこうのの問題じゃないですわ。これが泣かずにいられるか、ですわ。

この話は末期の胃がんが見つかった宮川氏の母が亡くなる前、亡くなる時、亡くなった後の事が氏の目線で描かれて行く。母の死という受け入れがたい現実をつきつけられた宮川氏は、そうなってみて初めていろいろな大切な事に気付かされる。母の描写もがんになる前の強い母から末期状態の弱い母までいろいろな姿が描かれる。だが、どの場面の母も芯は「強い」ままだ。

また、本作はエピソードの時系列がバラバラに描かれている。この構成が絶妙なのだが、自分はここに主人公・宮川氏の心情がそのまま表れているのではないか、と感じた。宮川氏は母がいない世界を生きる意味について自分に問いかける。だが、母の死は1つの終わりではない。母がくれたものは自分の中で生き続ける。残った家族がいる。妻という支えてくれる人、守るべき人がいる。母がいな世界もとても尊いもの。母がいる時もいない時も全てのエピソードを通して母の偉大さ、愛おしさを感じる事ができるのだ。

終盤の「子供」に関してのあるエピソードで、大学生時代の宮川氏に対して、いつも笑顔で明るい母が真剣に怒る場面がある。これがとても胸につまる。この時の彼にこの事をきちんと言えるのは母親以外誰もいない。
これが子供に対する母親の愛情なのだ。母親とは絶対に裏切ってはならない、かけがのない存在なのだ。そう強く感じた。

これで本作の紹介は終わりだが、ついでにもう1作、「母」についての漫画「HaHa」(押切蓮介・著)を簡単に紹介。
この作品は押切氏が母親の半生を聞き出し、漫画化して自分のルーツを探す物語だ。話自体もとても面白いのだが、自分の母の若い頃の話を聞くというやれていそうでやれていない事を気付かされた、だけでもとても価値のある漫画だと思う。


以上、母にまつわる2作品を通して、今そこにいる母に感謝の気持ちを持とう。・・・と言いつつもそんな自分は、毎年正月は必ず実家に帰っていたのだが、実は今年の正月は諸事情により急遽帰省ができなくなった。
これはよくよく考えてみたらとても歯痒くて寂しい。親が生きているうちに一体あと何回の正月を一緒に過ごせるのだろうか。その貴重な1回を減らしてしまった、と。新幹線代もばかにならないので、そうそう帰れるわけではない・・

だが、親孝行の気持ちだけは常に忘れずに持ち続けようと思っている。
それは帰る回数なのか、物理的な贈り物なのか、自分が元気で頑張っている姿を伝え安心させる事なのか、親孝行の形はあいまいだが、とにかく持ち続けようと思う。

両親に親孝行ができるチャンスがまだ十分にあるうちに、読む度により後押しのスイッチを押してもらえるようなこの漫画に出会えたこと。
こういったことが本や漫画の素晴らしいところ。

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