見出し画像

【日本史7】鎌倉史備忘録36

鎌倉時代の学習を深めていきます。

本日の学習は、

①幕府の支配に従わない悪党と呼ばれる人々が台頭した。悪党は諸国で夜討、強盗、山賊、海賊などの悪行を繰り返した。

成人が被るであろう烏帽子をあえて被らないなど明らかに異形であった。

②初期悪党は10人から20人程度の小集団を結成して犯罪を繰り返した。悪党は城を構えて社会的存在だとアピールした。幕府は悪党の禁止や取り締まりの法令を出した。

③西国では暴力的な犯罪者であった悪党に変化が訪れた。悪党たちは良い馬と武器を持って集団の数も50人から100人となった。行動の目的は強盗から土地制圧に移った。

悪党は明白な反幕勢力となった。

④御家人の困窮や徳政令が出たので自力で土地を奪取する動きが大きくなり御家人や地域社会の有力者が悪党化していった。とりわけ御家人の悪党化は幕府の支配体制を揺るがした。

⑤悪党問題は幕府のみでは対応不能となった。朝廷が管理する荘園や村落は自立して制御不能となっていった。

⑥北条貞時(9代目執権)と伏見天皇(92代目)は手を組み朝廷が悪党を逆賊と認定して六波羅探題がこれを逮捕するという悪党対策を行った。

⑦諸国では悪党は正当存在という認識が生まれていたため幕府の形勢は悪くなっていった。悪党は勢力を拡大し14世紀には楠木正成や平野将監(しょうげん)入道など鎌倉倒幕運動で活躍する悪党が台頭していった。

⑧悪党の背後には悪党を使い権利確保しようと目論む人々がいた。醍醐寺(京都府)座主の定済や金剛寺院(大阪府)主代の清弘といった大寺院の大僧侶であった。

⑨大寺院は朝廷や幕府のみに頼らずに自力で寺領を経営していた。武力を活用して規模を拡大するなかで手を組んだと云える。

⑩悪党を駆使した著名な人物といえば1318年(文保2年)に即位した後醍醐天皇(96代目)である。鎌倉幕府が手を焼いた悪党が朝廷側で活躍することで正当存在になっていく。

■参考文献 『1冊でわかる鎌倉時代』 大石学 河出書房新社

この記事が参加している募集

日本史がすき

学習教材(数百円)に使います。