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【歴史概要22】中華人民共和国・文化大革命

①中国は戦間期から国民党と共産党が対立をしていた。

戦間期の後半になり日本軍と戦うためにお互いに協力体制をとる。張作霖の息子である張学良が国民党の指導者蒋介石に協力要請をした。これが西安事件である。中国共産党は陳独秀らが樹立し毛沢東が継承した。

②第2次世界大戦で日本は敗北して撤退をする。国民党と共産党の内戦が再び勃発したが共産党が勝利した。そして共産党は中華人民共和国を樹立し、国民党は台湾に逃れ中華民国を樹立した。

③台湾に移った国民党政権とそのサポーターであるアメリカと対立するが朝鮮戦争が勃発して中国は朝鮮半島に目を向けざるをえなくなり台湾は棚上げになった。

④中華人民共和国は圧倒的な農業国だったがほとんどの農民が地主に隷属していた。中国共産党は地主制の解体をして農業の集団化が始まった。全国に拡大された人民公社は農民の生活すべてで協力する体制であった。

⑤人民公社は個々人の能力を無視し悪平等に走った点と共産党幹部による実状を踏まえない成果主義により失敗した。毛沢東は最高指導者から退き劉少奇が社会の建て直しに取り組んだ。

⑥台湾問題のみならず朝鮮戦争、ヴェトナム戦争との関係で
ソ連との対立も深刻化していった。

⑦毛沢東は文化大革命により巻き返しをはかった。1960年代半ばから1970年代まで10年にわたり中国社会は大混乱に陥った。1976年に周恩来や毛沢東など革命の直接指導者が亡くなった。

⑧文革の若手の指導者4人組(江青・張春橋・姚文元・王洪文)が逮捕され文化大革命は急速に終結した。

鄧小平が新指導者となり改革開放政策を採用した。社会主義の看板は外さず社会主義的市場主義をベースに資本主義を導入していった。経済力は飛躍的に発展したが、格差はより拡大したため羊頭狗肉状態が続いている。

⑨国民党が台湾に入った時は民主主義の原則よりも国家秩序が優先され民主勢力は厳しく弾圧されていた。蔣経国の時代から民主化は進み、李登輝は民主的選挙で総統に選ばれるまでになった。

⑩中華人民共和国の人民解放軍は「人民のものは糸一本とらない」という倫理観があった。しかし世界トップの経済大国になったため中国共産党の独裁体制がより強固となり基本的人権や言論の自由は抑圧されている。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 下』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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