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大日本帝国崩壊の流れ

1867年に大政奉還により江戸幕府が滅亡し翌年王政復古の大号令により明治政府が発足する。戊辰戦争により東北軍を倒し長州・薩摩・土佐・肥前が中心となり明治維新を進めた。

富国強兵、殖産興業を国策として推奨し1894年の日清戦争、1904年に日露戦争に勝利し日本は国際列強の仲間入りを果たすこととなる。

日清戦争によって台湾を獲得し、前々から干渉していた朝鮮を1910年に併合し南樺太を植民地として広げていった。

1931年の満州事変を契機として中国東北部を不法に占領し清朝のラストエンペラーであった愛新覚羅溥儀を元首とした国際的に違法な傀儡政権を建設した。主に日本軍はここでアヘンの密貿易で中国東北部を支配していった。

1937年に北京郊外での盧溝橋事件がありこれをきっかけに日中戦争が勃発する。

宣戦布告なしに南京や上海などを占領していくが、中国の予想以上の抵抗とアメリカ・イギリス・ソ連による中国への支援もあり戦争は長期化していった。

日本は枢軸国のドイツ第3帝国ナチスとイタリア王国と三国同盟を結び、仏印進駐を非難された腹いせにルールを無視した真珠湾攻撃を行いアメリカ合衆国と開戦することになる。

開戦時は優勢であった日本軍は次第にアメリカ軍に圧倒され、敗北を重ねた。大戦末期には主要都市に対する爆撃を受け、1945年8月には広島と長崎に原子爆弾を投下された。

1945年7月26日にアメリカ大統領のトルーマンとイギリス首相チャーチルと中華民国の蒋介石国民政府主席の共同声明として日本の無条件降伏を求めたポツダム宣言が発表された。

日本は原子爆弾を落とされた後に同宣言を受託し、第2次世界大戦は終結した。太平洋戦争が休戦となった1945年8月15日、国民は昭和天皇による玉音放送により、自国の無条件降伏を知ることとなった。

■参考文献
『滅亡から読み解く世界史』 関真興 実業之日本社

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