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息子が兄で、娘が妹の理由

一人目を妊娠した時、お腹の子は女の子だろうという予感がしていた。


はじめての妊娠は喜びも束の間、とにかくつわりが辛くて大変だったのを覚えている。
よく言われる「ご飯の炊けた匂いにオェッとなる」はもれなく私もなってしまったし、食べられるものが日に日にどんどん少なくなっていった。
つわり真っ只中でよく食べていた(食べられた)のは「もずく酢」と「湯豆腐」。味気の無いもので何とかお腹を満たしていた。


妊娠して2ヶ月目の頃、私の夢に幼い子供が登場した。
その子は3歳くらいの髪の長い女の子で、私が寝室のベッドで横になっていると部屋の反対側に置かれた本棚の前に立ち、振り返った。笑顔がとても可愛らしい女の子だった。

あぁ、この子は私の子だなと直感でそう思った。


つわりがおさまった3ヶ月目のとき、もう一度夢を見た。
今度は生まれたてのような小さな赤ちゃんで、私は嬉しそうに抱っこをしていた。愛らしい女の子だった。


よく、つわりが軽い(短い?)とお腹の子は女の子と言われていたし(迷信だけれど)、その後もう一度夢に女の子が登場していたので。
私はすっかり「これは間違いなく、お腹の子は100%女の子だろうな」という自信に満ち溢れてしまった。母親の勘といえば聞こえがいい。


次の検診で性別が分かりそう、というある日。
私は当時外注担当をしていたので、社内で加工出来ない仕事を外注先に持っていくため車を走らせていた。

途中、会社と外注先との間に線路があり、運悪く踏切に捕まってしまうと数分は遮断機が下りたままの「開かずの踏切」が一ヶ所ある。
時間的にまだ電車が来ないだろうと踏んでその踏切へ向かっていると、おかしなことに警報音が鳴り響いていた。


こんな時間に電車通っていたっけ?


変だなぁと思いつつ、仕方なくその道を諦め遠回りをすることに。
しかしさらなる異変に気が付いた。

どの道を選ぼうとも、どの踏切も警報音を鳴らしっぱなしで遮断機が下りているではないか。


おやおや困ったぞと思いつつ、結局私は車で5分の外注先へ遠回りの遠回りをしてから20分ほどかけて到着した。

外注先では早速、近くの踏切異変を伝える。
聞き手の奥さまと旦那さまは「なにか事故でもあったんやないの?」「ほら、前もあったやん。なんか車とぶつかったとかで」と話を広げるから私はほうほうと頷きながら聞いていた。

再び20分かけて会社に戻ると、情報の早い総務部長や営業部長などが大声で会話をしていた。


「なんか、近くの駅で飛び込みがあったらしいで。人身事故や。電車停めて体の一部を探してるらしいわ」


数日後、飛び込んだのはまだ十代の男子学生だと聞いた。


当時、私は会社近くのアパートに旦那さんと二人で住んでいた。
先の話で出ていた外注先が目と鼻の先にある。
妊娠するまでは自転車で通勤していたけれど、妊娠してからはもっぱら歩いて通勤していた。
病院もスーパーもコンビニも徒歩圏内にあったので苦労することはなかったし、運動がてら休みの日もひとりでのんびり歩いたりしていた。


飛び込みのあった駅は、私が住んでいるアパートから歩いて7分程度。
季節は冬。お腹を冷やさないよう腹巻をしていたのを覚えている。

その日は日曜日で、私は昼前にひとりで近所のスーパーへ買い物に出かけた。
アパートから一直線で辿り着くそこは便利だったのでよく利用していたのだけれど、向かっている途中でふと足を止める。

何となく、件の駅に行ってみようと思ったからだ。


無人駅のそこはちょうど人が乗り降りする時間帯じゃなかったのか、人っ子一人もいなかった。
5段ほどしかないが段差の高い階段をのぼって駅のホームに立つ。
風が吹くたび寒さに震えたので、薄っぺらい座布団が敷かれたベンチに腰をかけた。薄っぺらすぎてベンチの冷たさがお尻に伝わってくるのを感じた。


この駅で、このホームから、顔も名前も知らない男の子が電車に飛び込んだ。

何か辛いことがあったのだろうか。
苦しいことがあったのだろうか。
何を思い詰めていたんだろう。

そんなことを考えながら、自然とお腹をさする自分がいた。


おいで。
ここにおいで。
次の人生は私がしっかり守ってあげるから。
大切にするよ。うんと愛すよ。幸せにするよ。
だからまだこの場所にいるなら、ここに、このお腹の中においで。


そして私は次の検診で、お腹の子は男の子だと先生に告げられる。



息子は小さい頃から電車をひどく怖がっていた。
確かにあんなにも轟音を鳴り響かせて走っていく乗り物は、小さい子にとっては恐怖なのかもしれない。
けれど、周りのお友達を見ると明らかに息子は人一倍電車を怖がっていた。
電車が走ってくる音が聞こえると慌てて耳をふさぎ、もしそれが間に合わなかったときは大声で泣いていた。
高架下を通るときは怖がってなかなか歩き出せなかったし、だから私が抱っこして走り抜けることが度々であった。

大きくなっても電車の音には敏感で、電車に乗ると必ず吐いた。どうにも相性が悪い様子だ。

だからといって、あのとき私が無人駅でしたことが現実となったと言ってしまうのは少々強引な気がする。


息子が2~3歳のとき。
従姉と一緒に地元で有名な占い師さんに会って話を聞く機会があった。
従姉曰く、とても当たるんだという。
行った先は大きな一軒家で、占い師さんは二児の母であった。

はじめましての挨拶の時は、息子を抱っこしたままだったけれど。
占うときは従姉が見てくれるというので私ひとり別室に移動した。


私の生年月日など基本データを話したあと、占い師さんが開口一番に言った。

「お子さん、女の子でしょう?」

一瞬ハテナだったけれど、どうやら息子が女の子に見えたらしい。
私は笑いながら違いますよと伝えた。従姉が当たると豪語する割に、外れているなぁと薄っすら思ってもいた。

「あら、男の子なの? おかしいわね……あなたは絶対女の子を産むはずなのに。まだあなたの流れになっていないのかしら」


実は息子を出産したとき、私は結構出血していたらしく。
私自身も意識が朦朧としている中で旦那さんは助産師さんから「今から胎盤引っ張り出すけどどうなっても構いません」的な内容の書類にサインをしろと迫られていたようだ。
結局無事胎盤が出てきたので事なきを得たけれど、それ以降旦那さんは「もう出産はいい。怖い」と言って二人目を望んでいなかったのだ。

だから私が女の子を産むだなんてあり得ない話だった。


私は息子をたっぷり可愛がり、色んな場所に行ってたくさん一緒に遊んだ。
彼は本当にユーモラスで、愛嬌があり人懐っこく、どこに行っても知らない人と仲良くなれるタイプだった。

けれど、彼はこっそり私に言う。兄弟が欲しいなぁと。

旦那さんは相変わらず「ひとりっ子っていいよ」と言っていたし、一人目を産んでからすでに5年。息子はこのままひとりっ子になるだろうなと思っていた。


息子が5歳の年に、私も息子もたいそう可愛がってくれた旦那さんのお祖母さんが亡くなり、その数か月後に旦那さんの家で飼っていた猫が亡くなった。
寂しくて悲しくてみんなが気落ちしていたとき、まさかの出来事が起こる。
第二子の妊娠が発覚したのだ。


一番驚いたのは旦那さんと私。
一番大喜びしたのはお義母さん。そして息子と旦那さんのお祖父さん。
私は思わず「タイミングがいい子だなぁ」なんて思ってしまった。

それだけじゃない。
ちょうど産休、育休時に息子の保育園卒業と、小学校への進学がある。はじめての夏休みも一緒に過ごすことが出来る。
タイミングがいいなぁと心底思った。


私の両親や姉にも連絡を入れようと思った矢先、姉からLINEで「昨日なちこちゃんが女の子の赤ちゃんを抱っこしてる夢を見たよ」とメッセージが届いた。
私は慌てて「女の子かはわからないけど、その通りだよ!」と妊娠検査薬の写真と共に姉に報告した。姉も驚いていた。


そのとき、私は再度思った。
まだ豆粒にも満たないお腹の子。この子はきっと女の子だろうと。

姉の夢も然り。
私は息子を妊娠中に夢で見た、あの可愛らしい女の子の姿が忘れられずにいた。
占い師さんから言われた「あなたは絶対女の子を産む」という言葉が忘れられずにいた。

もしかすると娘は、第一子として生まれるはずだったのかもしれない。
けれどその権利を息子に譲ったのかもしれない。
何かと病気が多く何度か入院する兄の姿を見て、もう少し身体が丈夫になったらまた来ようと思ったのかもしれない。
随分長い間待たせてしまったけれど、再び私を選んでくれたことが何よりも嬉しかった。


娘を出産したとき、私は旦那さんが呆れるほどずっと「可愛い」を連呼していたという。

娘が2歳になった頃、たまたま本棚の前でこちらに振り返った姿があのとき見た夢と瓜二つだった。
娘は周りの子よりも髪が伸びるのが早く、2歳にしてすでにロングヘアだったのだ。
デジャヴだ。私は感動して身震いした。


息子は誰の生まれ変わりでもないだろうし、娘もタイミングを見てお腹に宿ったわけでもないだろう。

それでも、色んな想いを巡らせてしまうのは全てにおいて特別な何かを感じたからかもしれない。


私には、愛嬌たっぷりな優しく頼もしい息子がいて。
愛らしく笑顔が似合う朗らかな娘がいる。

これからもずっと大切にするよ。愛する我が子たち。



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いつもスキ、コメントありがとうございます✨ 次はバイエンススーツ第二弾を目指します🥰笑