学びと身体

昨日から、ちょっとした時間に、懐かしい音楽を聴いています。
夏になると、懐メロが聴きたくなるのは、なぜだろうといつも思うのですが、暑さと相まって気分が良くなります。

さて本題です。自分にとって、学びとはなんだろうと考えているのですが、マクロとミクロで話を分ける必要があるなと思っています。

マクロの学びは、想像しやすいし周囲とも共有しやすい一般的な知識を学ぶことみたいな意味合いになるかと考えています。教科書や一般書で扱うのは、こちら側の学びでしょう。

一方でミクロの学びは、共有できなかったり、属人的な性質を持つ固有のものを学ぶことみたいな意味合いでしょう。こちらは、固有のことを引き出す必要のある学びです。

これまでの人生を振り返ると、ミクロよりもマクロの学びが重要度が高く評価されていきたのではと少し感じています。どちらかというとマクロの学び、すなわち一般的な知識の方が大事だと思う人が多いでのはないかと思っています。

マクロもミクロも大事なのですが、おそらく自分の人生で役に立つのは、ミクロの身体を使った学びをいかに自分の中に蓄積しているかではないか。一般論は、他者とほとんど差異が生まれない。

My Little Loverの「ALICE」を聞いていたときに、”体がハートに何か、伝えたがっている” という歌詞があって、これは学びという観点から聞くと、至言だなと。この身体の感覚に敏感になって、それを掴むこと。それがここでいうミクロの固有性のある学びであると感じています。

日常の、目の前の事象や関係性から学びを無理矢理でも見つけて、身体に刻もうとする姿勢、それこそが大人の大事な学びなのではないかと、ようやく気づき始めた夏になりそうです。

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