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表現者としての葛藤の物語 モモコグミカンパニー・解散ノート

僕は今、京都でLaughterというコーヒーショップを運営しています。

先日、元BiSHのメンバーで現在は執筆活動やメディア出演を中心に活動されているモモコグミカンパニーさんのエッセイ「解散ノート」が発売されました。

所属事務所代表から突然の「解散宣告」を告げられた2019年11月22日から、東京ドームを超満員にした2023年6月29日のラストライブまでの約3年半の日々を綴った一冊です。

解散宣告をされたその日に、新しいノートを引っ張り出して表紙に「解散ノート」と記したそうです。
その時その時の感情の揺れ動きを記録するために、書き溜めはせず全てリアルタイムで書いていたとのこと。
立て続けにやってくるライブや執筆活動の合間を練って綴られた生の言葉は、時に胸が締め付けられるような苦しいものも沢山あります。

しかし、その苦しさこそが、華やかなだけではなかった解散までの道のりをより鮮明に映し出しています。

・解散後にしか明かせないエピソードが盛りだくさん

まずはここが一番の読みどころです。
「今日も楽屋でメンバーが泣いていた」
「久しぶりに親の前で泣いた」
小さなライブハウスから、幕張メッセ・横浜アリーナなどでのライブを経て、最後は東京ドーム。
舞台の上ではいつでも華々しく、私たちに笑顔と感動を届けてくれていたメンバーたちも、その裏では様々なものと戦っていました。
”こんなにどうしようもない自分なのに、ライブでは「光」とか「生きて」とか良いこと言って、あーあ。”

活動中に聞いていたら、思わず「もう無理しないで…」
と言ってしまいたくなるくらい心身ともに限界まで戦い続けたメンバーたちの姿は、「解散」というゴールがあるからこそ、儚くも美しく見えました。

・「BiSH」と向き合う日々、葛藤

前作のエッセイや今作の中でも綴られているのは、
「こんなちっぽけな私が、スポットライトを浴びて何が届けられるのか?」というモモコさん自身の中での葛藤。
モモコグミカンパニーとして舞台に立つ自分と、ありのままの自分のギャップが随所に登場してきます。

歌も、踊りも他のメンバーよりも苦手。だからこそ、モモコさんは誰よりも「BiSH」というグループに向きあい、自分の生きる場所を探していたんだと思います。

そこに加えて、今作では
「『BiSH』という肩書を失った自分に何が残るのか?」という葛藤が綴られています。
解散=BiSHではないそれぞれの活動が始まる。
「BiSHじゃない自分は何者なんだ?」
他のメンバーとソロ活動の仕事量に差が生まれたことでの悩みや、事務所代表から「ソロになったらファンは今の1000分の1になると思え」と伝えられたエピソードなどから、BiSHと向き合ってきたからこそBiSHじゃなくなることへの葛藤の日々が綴られています。

・BiSHとファンは繋がっていた!と改めて感じさせてくれる

3年半の日々の物語には「ファンレターでこんなことが書いてあった」「特典会でこんな言葉を掛けられた」「Twitterに今日のライブを楽しみにしている人が沢山いる」など、ファンとの交流が随所に登場します。
僕がBiSHというグループを好きになった理由の一つが、いつも音楽だけではない言葉や感動を届けてくれることでした。
ライブのMCや日々のSNSなどで。いつも私たちファンに力強いメッセージを届けてくれていました。
そんなメンバーたちに少しでも届け!というファンの気持ちは確かに届いていたんだとなんだか嬉しくなりました。
一方で、SNSなどに書かれた心無い声が届いていたのもまた事実。
「今日もモモカン全然歌ってなかった」「歌が下手」
最後に
「不安や怒りが時に原動力となった」と振り返っていたモモコさん。
モモコさんやBiSHにとっては、そういった声を力に変えて前進してきたのは事実。一方で、そういった声が心のどこかにのしかかっていたのもまた事実。

「声が届いてしまう」時代に、私たちファンのあり方も問われているんだと感じました。

3年半の物語で一貫して書かれているのは
「周りのことなんか気にせず、自分が今やりたいこと・やるべきことをやり続けることの大切さ」だった気がします。
小さなライブハウスから武道館という壮大な夢を掲げてスタートしたBiSH。

嫌というほど色んな声を受け止めてきたBiSHが最後に東京ドームにたどり着いたのは、まさに自分たちの表現を届け続けたからこそだと思います。

表現者として舞台に立ち続けた葛藤の物語。
全ての表現者を愛する人々に届けたい一冊です。

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