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シン・ゴジラが、やっぱり一番スキ!!!


ちょっと前に『ゴジラ−1』を見てきたのだけれど、やっぱりぼくは『シン・ゴジラ』が一番スキだ。

というよりも、庵野秀明監督の作品がスキだ。(小説とはまったく関係ないけど、ぼくの庵野愛を語って行こうと思う……)

エヴァシリーズも(テレビシリーズから旧劇もシン劇も)全部制覇してるし、ナディアも彼氏彼女の事情も、トップをねらえ!もラブ&ポップも、シン・シリーズは、まだゴジラとエヴァしか見れてないけど(そのうちウルトラマンも仮面ライダーも見ようと思ってる)、なんなら庵野秀明監督が学生時代に作った『帰ってきたウルトラマン』も見たことがある。

全部の作品が素晴らしいとまでは言わないけど、「オレの作る作品の良さが分からないヤツには、べつに見てもらわなくても結構です!!」的なスタンスで、SFの世界間の中に現実味を追い求めて、ベクトルを全振りして制作しているスタイルが、なんとも言えないマニアックさがあり、庵野ファンとしてはツボにハマってしまうのだ。

自分のスキに対して、すっごく忠実で、ゴジラの制作の際も東宝側から「人間ドラマや恋愛の要素をストーリーに入れてくれ!!」と、頼まれたのに、それを全部蹴って「いや、オレはそういうのやらないんで!!」と、独りよがりにわがままに作ってる姿が、すごく素敵だし〝自分もそんな生き方をしてみたい〟って、ある意味、憧れの気持ちを込めて、庵野秀明監督のファンなのである。チームワークはないし、周りのスタッフは振り回すし、樋口真嗣監督はその尻拭いに奔走しなくてはいかなくて、ものすごく大変だと思うけど(庵野さんの一番の被害者……)、それでも端から見てるぼくとしては、庵野さんの作る作品を見たいって思うし、これからも彼のファンでいたいって思ってしまう。

もう、ここまで来ると『シン・ゴジラ』がスキっていうより、『庵野秀明』がスキなのではないかと思えてしまうけれど、ここからは『ゴジラ−1』より、『シン・ゴジラ』が、如何に優れているか、について語って行こうと思う……。

もちろん見せ物としての『ゴジラ』としては、『ゴジラ−1』は素晴らしい。迫力もあるし、映像はリアルだし、ストーリーは面白いし、主人公に感情移入はできるし、浜辺美波はかわいいし(これは関係なかった……)、ワダツミ作戦で浮力の原理を応用してゴジラを海底に沈めるシーンなんかは、「その当時の時代背景や科学力などまで考えて脚本に落とし込んでいるな」と、ある意味、感心させられたし、最後に熱戦を吐こうとするゴジラの口に、戦闘機で突っ込むシーンなんかも、ジーンとくるモノがあった。

庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』は、人間ドラマもなければ、主人公に感情移入もできないし、『ゴジラ−1』のときほどの、画に迫力もないし、総合点だけで言ってしまえば、『ゴジラ−1』に劣る点はいくつもあるのかもしれないが、それでも現代社会に「もしゴジラが現れたら?」という、着眼点に基づいて究極まで設定やストーリーに、リアリティが追求されて制作されており、『ゴジラ−1』が怪獣映画としてゴジラを制作しているとしたら、『シン・ゴジラ』は庵野映画として、ゴジラが作られているのだ。

劇中で使用されている音楽も、すべてこれまで庵野作品で使われてきた音楽ばかりだし、ヤシオリ作戦で使われている音楽も『DECISIVE BATTLE』という、エヴァのヤシマ作戦で使われていた音楽だし、余談だが『踊る大捜査線』でも使われていた(そもそも『踊る大捜査線』もテレビシリーズのエヴァに感化されて制作されているので、間接的に言えばあれも庵野作品のDNAが受け継がれている)。そのほかにも自衛隊の出撃シーンや新幹線がゴジラに突っ込むシーン流れていた音楽は、庵野が学生のときに作った『丈夫なタイヤ』というアニメーションで使われた『宇宙大戦争』という音楽だったり、蒲田くんが登場するシーンで流れる『Persecution of the masses』という音楽や、ゴジラが東京の夜景のなかで、熱線を吐くシーンなんかで使われている『Who will know』という音楽は、数々のエヴァ音楽で作曲を担当されていますし、過去に庵野作品で使われた音楽が劇中でたくさん使用されているわけです。


『DECISIVE BATTLE』


『宇宙大戦争』


『Persecution of the masses』   蒲田くん(ゴジラ第二形態) ↑


『Who will know』


まあ、音楽の話はさておき、映画の話に戻るわけですが、『ゴジラ−1』が大衆受けするSFや怪獣映画として作られた万人受けする作品だとするなら、『シン・ゴジラ』は、庵野秀明の世界観に落とし込んだ〝東宝ゴジラ〟とは、まったくべつの世界線の『ゴジラ』として描かれており、エヴァの世界観ともリンクした〝神話としてのゴジラ〟を、新しく構築しようとしていることから、『シン・ゴジラ』という作品は、庵野による庵野のための『ゴジラ』なのである。

つまり、『シン・ゴジラ』というのは、〝庵野監督のオナニー作品〟でしかなく(ぼくら庵野ファンは、それがスキで見ているわけだが、その世界観がわからない者にとっては、ただの苦痛でしかないのかもしれないが……)、ほかのゴジラシリーズとは、まったく別物なのである。

劇中の最後に『ヤシオリ作戦』により冷却されたゴジラの尻尾の先から、〝人型の姿をしたエイリアンのなり損ないのような小型ゴジラ(巨神兵を彷彿とさせる)〟が生まれてきていたことを考えると、もしあと少しでもゴジラの冷却が遅くなっていたとしたら、あの無数の小型ゴジラが街を襲い〝世界を滅亡しようとしていた〟のではないかと、庵野秀明の頭の中で裏設定として、すでに伏線が描かれていたのではないかと考えると、そのシーン一つ一つに込められた庵野の思いが垣間見えて、庵野作品の奥深さを思い知らされる。


ゴジラの尻尾の先


巨神兵の幼体?


『巨神兵東京に現わる』のワンシーン(樋口監督・庵野脚本)


映像一つ、音楽一つ、セリフ一つ、俳優の演技一つ、シーン一つ、小道具一つ、画作り一つ、どれをとっても、庵野の頭の中に描かれた設定や世界観と繋がっており、その一つ一つが矛盾なく構成されているのだと考えると、彼の天才性は興行収入だけでは語り尽くせない。

『シン・ゴジラ』の国内興行収入が、82.5億円。

『ゴジラ−1』の興行収入が、全世界で140億円(国内50億円)。

この数字を見ても分かるように、興行収入的には『ゴジラ−1』のほうが、たしかに上なのだが、それは単純に『ゴジラ−1(山崎ゴジラ)』が映画として、大衆受けする作品だったからであり、パイの大きい国外に輸出することが出来たからに他ならない。

『シン・ゴジラ』が小難しいと批判する人も多くいるかもしれないが、それでもぼくは庵野作品としての『シン・ゴジラ』の世界観がスキだし、小難しいと言われようが、マニアックすぎて意味が分からないと言われようが、ゴジラシリーズの中で『シン・ゴジラ』が、一番お気に入りなのである!!!


体内で放射エネルギーを貯め……


一気に口から熱線を吐く!!!


背中や尻尾からも、熱線を放射する!!!


カッコイイ!!!


やっぱ、庵野ゴジラが一番サイコー!!!


もし、『シン・ゴジラ2』が劇場公開されたら、真っ先に見に行こうと思う!!!


きっと、東宝側が庵野さんのことを毛嫌いしてるだろうから、次はないと思うけど……。







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