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政治講座ⅴ610「文革みたいな社会の中国。憲法第9条で日本は滅ぶ」

  情報隠蔽する中国のSNSに「文革」がでるとは!知っている人もいるのかな?そこで文化大革命の中国共産党の悪行について記す。数々ある悪行の中に、人を殺して食う虐殺が数えきれないほど報告されている(広西虐殺)。もし、これが過去の事件だからと言うのであるなら現在行われているジェノサイドはその過去からの延長線上にあることになる。法輪功に対する生体臓器移植摘出、ウイグル人に対する強制収容上でも不妊治療や生体臓器移植摘出も言われている。許されざることを組織的に行っているのである。あと人身売買も報道されている。人身売買され妻にされ、子供を産ませ、監禁していた報道があった。中国社会はどうなっているのであろうか? 中国は台湾の次は尖閣諸島、沖縄と虎視眈々と日本への侵略をも狙っているのである。この様な世界情勢なのに憲法第9条があれば襲ってこないと幻想を抱く左派勢力は中国の回し者か。抵抗されずに領土侵略できるので中国にとっては憲法第9条様様であろう。この様な策略にのる左派勢力は売国奴と言わざるを得ない。

        皇紀2682年11月21日
        さいたま市桜区
        政治研究者 田村 司

「まるで文革のよう」…広州で防疫担当者と口論の女性2人、後ろ手に縛られ拘束

読売新聞 - 昨日 18:13

 【北京=比嘉清太、広州=吉岡みゆき】中国・北京市で新型コロナウイルスの感染が拡大し、人口約350万人の同市朝陽区は18日、住民に週末の自宅待機を呼び掛けた。感染を徹底して封じ込める「ゼロコロナ」政策に基づく当局の指示で飲食店が店内飲食を停止する動きも広がっている。


北京の新型コロナウイルスのPCR検査場で、感染リスクを知らせる
アプリ「健康コード」を提示する人たち=片岡航希撮影© 読売新聞


 当局は「感染を食い止める重要な時期だ」としている。北京市は今年5月にも感染対策として市内全域で店内飲食を禁じており、住民から不満の声が出ている。市内では18日、新規感染者が515人確認された。

 一方、感染拡大が続く広東省広州市の警察は18日、10月末からPCR検査をしていなかったため、路上で防疫担当者と口論になった女性2人(いずれも23歳)を秩序を乱したとして拘束したと発表した。SNS上に拡散した動画では、2人は担当者に取り押さえられ、後ろ手に縛られている。「やりすぎだ」「まるで文化大革命のようだ」と批判の書き込みが相次いだ。

中国・北京 新型コロナ感染拡大で店内飲食一時停止など対策強化

TBS NEWS DIG - 昨日 18:31

厳しい「ゼロコロナ」政策が続く中国。北京でも新型コロナの感染が拡大していて、店内での飲食を一時停止する店や、カラオケ店などに営業停止の通知が出るなど、対策が強化されています。

記者「この区域は封鎖されているので、近づくなと書かれています

北京では、きのう新たに確認された新型コロナの市中感染者が500人を超えるなど、感染が拡大していて、感染リスクが高いとされる団地などが封鎖されていますが、歯止めがかかっていません。市内では、店内での飲食を一時停止する措置を取る飲食店や、店内飲食を取りやめたため、店先で弁当を売る店も出ているほか、カラオケ店や劇場など、閉ざされた空間の店の営業停止を通知された地区もあるということです。

北京市は18日の記者会見で、「感染を予防する重要な段階にある」と強調、この週末を家で過ごすよう求め、区をまたぐ移動も控えるよう呼びかけるなど、警戒感が高まっています。

悪名高き『文化大革命』の解説

中華人民共和国で1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言がなされた、中国共産党中央委員会主席毛沢東主導による「文化改革運動」を装った劉少奇からの奪権運動、政治闘争である。
全称は無産階級文化大革命(簡体字: 无产阶级文化大革命、繁体字: 無產階級文化大革命、プロレタリア文化革命)、略称は文革(ぶんかく)。「造反有理」(謀反には道理がある)を叫ぶ紅衛兵に始まり、中国共産党指導層の相次ぐ失脚、毛沢東絶対化という一連によって、中国社会は激しく荒れ乱れ、現代中国の政治・社会に大きな禍根を残して挫折した。

名目は「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という文化の改革運動だったが、実際は大躍進政策の失敗のために国家主席の地位を劉少奇党副主席に譲った毛沢東共産党主席自身の復権を画策し、紅衛兵と呼ばれた学生運動大衆を扇動して政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための官製暴動であり、中国共産党内部での権力闘争だった。

旧文化の破壊

  • 紅衛兵らは旧思想・旧文化の破棄をスローガンとした。そのため、中国最古の仏教寺院である洛陽郊外の白馬寺の一部が破壊されたり、明王朝皇帝の万暦帝の墳墓(定陵、1956年〜1957年発掘)で批判会が開かれ保存されていた万暦帝とその皇后・皇妃の亡骸がガソリンをかけられ焼却されたりした

  • 陶磁器や金魚や月餅など、古い歴史を持つ商品の生産や販売まで「旧文化」とされ、職人や関係者は帝国主義者として吊るし上げられた。芸術性よりも実用性が重視され、景徳鎮の窯や浙江省の養魚場は破壊された(一方で毛沢東などの指導者層は景徳鎮産の陶磁器を愛用した)。

  • 古くからのしきたりも廃止されたほか、麻雀や象棋、闘蟋(とうしつ)などの賭博を伴うゲームも禁止された。一方で処女を重視し、婚前交渉で妊娠した女性が自殺に追いこまれたり、多情な女性が軽蔑・攻撃されるなど古い倫理観は残ったと、ユン・チアンは著書で指摘している。

  • 博物館の館員や美術店の店員は、文化財を破壊活動から守るために、文化財に毛沢東の肖像画や語録を貼り付けて回ったという。そうすることで、紅衛兵も破壊活動に出られなくなったという。

吊るし上げ

  • 批判闘争大会」と呼ばれる吊し上げは、町の広場やスタジアムで大勢の群衆を集めて行われた。批判される者に対して「反革命分子」のプラカードと三角帽をつけさせ、「ジェット式」という椅子に立たせて上半身を折り曲げる姿勢を数時間とらせた。その間に罵詈雑言を浴びせたり、墨を頭からかけたり、頭髪を半分剃りあげるなど肉体的精神的に痛めつけた。中には長時間の暴行に及ぶこともあった。また、辱めをあたえることもあり、1967年4月、劉少奇夫人の王光美は外国訪問の際に着用した夏用の旗袍を無理やり着せられた上にピンポン玉のネックレスを首からかけさせられ、ブルジョワと非難された。

  • 当時の中華人民共和国の新聞は、毛沢東語録の引用や毛沢東の写真に占領され、その新聞を焚き点けに使ったり尻に敷いたことで吊るし上げられた者が多数いた。


少数民族地域の文革

周縁とされた辺境地帯の文革に関する研究は世界各国で盛んとなり、「周縁の文化大革命から文化大革命のフロンティアへ」変わりつつあるのが目下の状況である。政府公文書も含む1次資料による研究成果として、文革の被害者が最も多かったのは広西チワン族自治区と内モンゴル自治区であり、広西では「階級の敵」とされた者が共産党幹部らに食される「革命的食人」が横行、内モンゴルでは中国人によるモンゴル人虐殺が発生した事実が明らかにされた。

ウイグル人とモンゴル人は、近代以降、宗主国の中国からの独立を獲得すべく日本やロシアの協力を得ようとし、両民族は中国からの独立か、ソ連邦内の自治共和国になろうとしたが、それらはヤルタ協定により葬られ、民族自決を目指したウイグル人とモンゴル人の民族主義者達は、1957年の反右派闘争と文革で全員粛清され、中国政府は文革を利用して対日歴史の清算と対ソ連との国際政治を勝ち抜くという戦略を練っていた。

南モンゴル出身の楊海英は、「私が生まれた内モンゴルや新疆ウイグル、チベットなどでの文革は『虐殺』だった。私の周囲でもどんどん罪のない人が死んでいった 」「弾圧は現在も続いており、我々にとっての文革は終わっていない」として、少数民族地域で何が起こったのかは総括されず、「新疆ウイグルでは同化政策が強まりウイグル語で教育を受けることを禁止され中国語を強要」されるなど抑圧が強まり、文革は少数民族地域では民族間紛争として発生したことから「虐殺のような悲劇が再び起こらないようにしなければいけない」「過去の大虐殺を総括しない限り、現在の民族問題の解決にもつながらない」と述べている。

内モンゴル自治区の文革

内モンゴルでは、文革勃発後に内モンゴル人民革命党粛清事件などのジェノサイドが発生し、モンゴル人は自治権を完全に剥奪された。当時の内モンゴルのモンゴル人の人口約150万人のうち、34万6000人が逮捕され、2万7900人が殺害され、12万人が暴力を受けて障害者にされた。文革でモンゴル人に着せられた「罪」は二つあり、「第一の罪」は、1930年代に日本が満洲国を建国し、内蒙古に蒙古聯合自治政府を樹立したのをモンゴル人が協力したという「対日協力」であり、「第二の罪」は、敗戦により日本が内蒙古から撤退した後にモンゴル人は中国に属することを望まず、モンゴル人民共和国との内外モンゴル統一を要求したことである。この二つの「罪」により、漢人入植者は「民族分裂の歴史」だと断じて34万人を逮捕し、2万7000人以上を大量虐殺した

北京在住の作家の啓之(元北京電影学院)は、文革中の内モンゴル自治区で行われたモンゴル人大量虐殺事件を、漢民族による抑圧がモンゴル人虐殺の直接的原因だと指摘、モンゴル人と漢民族との和解が成立していないのは、真相究明が遅々として進んでいないこと、民族間紛争をもたらした漢民族に問題を解決しようとする真摯な態度が欠如し、責任を回避してきたことを挙げている。

南モンゴル出身の楊海英によると、内モンゴルでは文化大革命が勃発すると、漢人たちはモンゴル人に対し、真っ赤に焼いた鉄棒を肛門に入れる、鉄釘を頭に打ち込む、モンゴル人女性のズボンを脱がせて、縄でその陰部をノコギリのように繰り返し引く、妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を子宮から引っ張り出すなどの凄惨な性的暴行・拷問・殺戮を加えた。内モンゴルのジャーナリストや研究者たちによると、当時内モンゴルに居住していた150万人弱のモンゴル人のうち、文革による犠牲者は30万人に達し、その後、内モンゴルではモンゴル人の人口250万人に対して、漢人の入植者は3000万人に激増した。楊海英は、事件をきっかけに「19世紀以降に満洲、モンゴル、新疆へと、彼ら漢人(中国人)が領土拡張してきた方法」により、内モンゴルは植民地開拓され、「内モンゴル自治区ではモンゴル人の人口がたったの250万人にとどまり、あとから入植してきた中国人はいつの間にか3000万人にも膨れあがり、その地位が完全に逆転してしまいました。中国人による植民地開拓のプロセスは基本的に同じです」と述べている。

アルタンデレヘイ(中国語: 阿拉騰徳力海)は、文革時のモンゴル人ジェノサイドで「50種以上の拷問」が考案されたことを紹介しており、「中国共産党はまず、ウランフの例でわかるようにモンゴル人の指導者と知識人たちを狙った。文字を読める人は殆ど生き残れなかったと言われるほどの粛清が行われた。50種類以上の拷問が考案され、実行された。たとえば、真赤に焼いた棍棒で内臓が見えるまで腹部を焼き、穴をあける牛皮の鞭に鉄線をつけて殴る。傷口に塩を塗り込み、熱湯をかける。太い鉄線を頭部に巻いて、頭部が破裂するまでペンチで締め上げる。真赤に焼いた鉄のショベルを、縛りあげた人の頭部に押しつけ焼き殺す。『実録』には悪夢にうなされそうな具体例が詰まっている。女性や子どもへの拷問、殺戮の事例も限りがない中国共産党の所業はまさに悪魔の仕業である」と批判している。

文革終息後、中国政府はジェノサイドをおこなった漢人入植者を処罰しなかったことから、1981年にモンゴル人大学生による大規模な抗議活動がおこなわれたが、当局の厳しい弾圧に遭い、抗議活動を支援したモンゴル人幹部や文革を生き延びた人々は全員粛清され、モンゴル人大学生も辺鄙な地域へ追放されて公民権を剥奪された。

広西チワン族自治区の文革

文革は、北京において、南モンゴルにおいて、チベットにおいて、広西においては相違があり、宋永毅(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)が発掘した文革終了後、広西の党委員会組織が10万人の人員と4年をかけて、「文革遺留問題」処理にあたり、党委員会が作成した処理についての上級機関への報告書「広西文革檔案資料」によると、広西では、文革期に約20万の冤罪約8万9000人の不正常な死行方不明2万人名前不明の死者3万人以上、少なくとも15万人が虐殺され民間の調査では20万人以上が殺害されたという。資料によると、文革中、302人が殺害後に心臓・肝臓を摘出食人が横行していたことが明かされている。資料により、名前が判明している殺人者は200人以上、うち6割が武装部長、民兵指揮員、民兵及び幹部であり、食人を働いた84%は中国共産党員・幹部であり、広西の5万人近い共産党員が虐殺、殺人に加担しており、文革の混乱に乗じた民衆の事件ではなく、中国共産党が組織的に行った虐殺・食人であることが裏付けられている

武宣県の報告には以下の記述がある。 「(1968年)6月17日、武宣に市の立つ日、蔡朝成、劉鳳桂らは湯展輝を引きずりながら町を行進し、新華書店前まで連れていくと、龍基が歩銃で湯を打ち据えた。王春栄は刃渡り五寸の刀をもって腹をさばいて心臓と肝臓を取り出すと、野次馬が蜂のように群がって、それぞれ肉を切り取って奪った肉が切り取られた後、ある老婆が生殖器を切り取り、県の服飾品加工工場の会計の黄恩范が大腿部を一本切り落として、職場に持ち帰り、工場職員仲間の鐘桂華とともに骨から肉を削り落として煮物にして食べた。当時、この残虐な現場にいた県革命委員会副主任、県武装部副部長の厳玉林は、この暴虐行為を目の当たりにしても一言も発さなかった。当時、招集された四級幹部会で、会議参加者のそれぞれの代表は人肉を食べ、非常な悪影響を与えていた」

欽州の報告書には以下の記述がある。 「1968年9月7日から17日にかけて、上思県革命委員会が四級幹部会を招集し、上思中学で、群衆による公開殺人大会を開いた。このとき幹部、群衆12人が殺害されたが、一部の死者は腹をさばかれ肝臓を取り出され、県革命委員会の食堂で煮て食べられた。食人には県の幹部らが参加した。

同県の思陽公社武装部長・王昭騰は大隊に殺人を命令し、その晩、鄧雁雄を殺害、肝臓を取り出して煮て、部下らと一緒に食べた。彼は部下らに、人の肝臓を食べると、大胆になると言って勧めた。翌日、王昭騰は、さらに四人殺し肝臓を取り出し、二、三の生産隊ごとで、一人分の肝臓を食べるように命令を出した」

宋永毅は、広西では食人以外に、軍の師団が組織的に民衆に対して殲滅を行う、女性に対する性暴力が行われたことを指摘している広西の農村では、父親や夫を殺害して妻や娘を凌辱する行為が常態化、資料によると、225事件1000人以上の被害者が記録されている。資料には、「1968年4月25日、浦北県北通公社で、大隊が四度にわたり24人を殺害肝臓を取り出して煮て酒とともに食べた。この公社では180人が殺害された。…主犯の劉維秀、劉家錦らは、劉政堅を殴り殺したのち、17歳に満たないその娘に対し輪姦後、殴り殺し、肝臓と乳房、陰部を切り取った」という記述がある。

父親や夫を殺害後、犠牲者の妻や娘が、殺害当事者の妻にされることがあり、それを「改嫁」という。資料には、「浦北県北通公社の旱田大隊革命委員会主任は計画的に22人を殺害、殺害前に、犠牲者の財産を調べており、殺害後にその妻と娘四人が幹部らに嫁がされた。その時、改嫁証明費、出嫁費用として894元が支払われた」という記述がある。

宋永毅は、広西の文革の特徴として以下の4点を挙げている。

  1. 地方政府が意図的に作り出した無政府状態

  2. 高度な組織化による虐殺

  3. 虐殺の目的が階級の敵の生命を絶つことから、殺戮に伴う官能と快楽を得ることになっている

  4. 一族郎党を絶滅させるという方式が採られているが、これはその一族の財産(女性も含む)を奪うという動機が潜んでいる

宋永毅は、文革とは「共産党が文革以前に実施した17年間の政策の結果である」と証言しており、これに対して福島香織は、文革についてはタブーが多く、その誤りが検証されなければ、中国共産党に対する批判が許されない現在の中国では、再度大虐殺を伴う動乱が起きても不思議ではないと示唆している。

チベット自治区の文革

チベット人作家のツェリン・オーセルは、文革を「シヤアジェ(殺劫)」と表現、チベットではもともと近代的な「革命」を指す言葉もなかったが、中国共産党の侵略を受けて、新たに「サルジェ」という語が創設され、中国人がもたらした「革命」を意味する「サルジェ」は、漢語の「殺劫」と類似した発音であり、「人類殺劫」となり、文革の本質を表した概念として定着していった。

中国は「ヨーロッパの中世よりも暗黒な政教一致の農奴制からチベット人民を解放した」と宣言したが、それを認めないダライ・ラマは「叛乱」、文革中も「解放」されたチベット人は度々武装蜂起したが、それらは造反派と保守派の対立による武闘か或いは再叛乱なのかをめぐり論争があるが、オーセルは「共産党のいう『革命』や『解放』は、雪の国を根底から揺り動かし、その大地に深く根づいたチベット民族のルーツ(根)を根こそぎ掘り返し、伝統、文化、信仰、価値などを喪失させ、貧困に突き落とした。そして、抵抗すれば残酷に鎮圧した。かくしてチベット人は物質的にも精神的にも追い詰められ、『再叛乱』を起こさざるを得なくなった」として、文革中のチベット人の抵抗をダライ・ラマに続く「再叛乱」と位置づけ、「チベットの近代史において最も暗黒の時期であった文革期における光輝であった」と述べている。楊海英は、「『解放者』からの抑圧に対して武装蜂起し、そしてその蜂起が『再叛乱』だと解釈されて鎮圧された歴史を民族の近現代史における『光輝』と呼んだところに、チベット人にとっての文革の悲劇性が認められるのではなかろうか」と評している。

中国で8人の子供を産んで鎖につながれていた女性は人身売買の被害者

宮崎紀秀ジャーナリスト

2/23(水) 20:45

女性の事件は五輪期間中も報じられた(写真は閉会式2022年2月20日北京)(写真:ロイター/アフロ)

 中国で8人の子供の母親とされる女性が鎖につながれていた事件。捜査の結果、この女性が何度も転売された人身売買の被害者であったことが分かった。中国当局としては、これで事件の幕引きを図りたいところだが、同時に、農村で「嫁を買う」という習慣が、現代中国でも続いていた実態を浮き彫りにした。

なぜ女性は鎖につながれた?

 この事件は、江蘇省の豊県歓口鎮にある農村で、8人の子供の母親とされる女性が、首に鎖をつながれて自由を奪われていたとみられる状態に置かれていたもの。女性の映像が1月下旬にネット上に流れ、真相究明を求める声が上がっていた。

 当初、地元政府は「女性に精神疾患があり、子供や老人に暴力を振るうため」などと説明していたが、女性が誘拐されて連れて来られた可能性や、夫以外の男の子供を産まされていた可能性も疑われていた。国内での関心の高さに加え、北京冬季五輪の期間中にこの事件を外国メディアが取り上げたこともあり、当局も捜査に本腰を入れざるを得なかったのだろう。江蘇省当局は調査結果を本日2月23日に発表し、国営中国中央テレビなどがそれを報じた。

10代で一度目の結婚に失敗した後、売られてしまい...

 結論から言えば、女性は何度も転売され、最後は今の董という夫の下に売られて来た人身売買の被害者だった。

 女性の出自については、様々な憶測が出ていたが、調査結果によれば、女性は雲南省福貢県の出身。1977年生まれで現在44歳。

 女性は、1995年に一度結婚して雲南省内の別の都市に行くが、2年後に離婚して地元に戻った。親戚や周囲の人の話によれば、その頃、女性の言動に異常が出たという。

 女性は離婚の翌年、同じ雲南省福貢県出身の女に、療養目的や相手を紹介するなどという口実で、その女の夫の出身地である江蘇省の東海県に連れて行かれた。女性はそこで徐という男に売られてしまう。徐が女の夫に対し、結婚相手を探してもらう代わりに、金を払うという約束をしていたのだ。女は徐から5000元(当時のレートで約7万5千円)を受け取った。

 女性は徐の下で3、4か月暮らしたが、ある朝、どこかに行ってしまって2度と戻って来なかった。徐は女性を連れて来た女に対し、2000元(同約3万円)の賠償金を要求したという。

宿泊先のホテル経営者が売人?

 女性が徐の下から姿を消したのは、1998年5月上旬。今の夫、董の下に売られて来たのはそれから1か月足らずの同年6月だった。

 なぜ再び売られてしまうような事態が起きたのか。

 女性は、徐の下から姿を消した後、河南省の夏邑村にあるホテルで過ごしていた。女性に目をつけたのは、そのホテルを経営する夫婦だった。

 夫婦は、近くの工事現場で働いていた2人の男にこの女性を売ったという。この男たちが、女性が最終的に見つかった江蘇省歓口鎮の出身。2人の男は、同郷の別の男を介して、女性を董の父親に売ったという。

次第に精神に異常をきたし...

 女性は、董の下に売られて来たばかりの頃は、目が虚ろだったり、にやけたりするようなことはあったが、生活や他人とのコミュニケーションに問題はなかったという。1999年7月に第一子を出産するが、その長男によれば幼い頃には、母親に学校の送り迎えもしてもらったという。

 だが女性は、2012年に第三子を出産した後から精神疾患がひどくなっていったという。そして2017年以降、女性は精神疾患を発症すると、夫の董によって縄でしばられたり鎖でつながれたりするようになった。

 今回、悲惨な境遇が発覚した後、女性は保護された。その後に行われた診断によれば、女性は統合失調症を患っており、現在は正常なコミュニケーションが難しい状態だという。

8人の子供たちの父親は...

 女性は、1999年に第一子を出産した後、2011年に第二子を出産。その後は1〜2年おきに2020年まで出産を繰り返し、男7人女1人、合わせて8人の子供を産んだ。DNA鑑定の結果、いずれも女性と董との間の子供だと確認できたという。

 また女性の歯が欠損している点なども注目されていたが、検査の結果、歯は長い間の不衛生状態による歯周病によって抜け落ちたのであり、外傷によって抜けたという証拠は見つからなかったという。

女性の夫は逮捕

 警察は女性の夫、董を拘束し調べていたが、2月22日、虐待の罪で逮捕。誘拐された婦女を購入した疑いでも調べを進めるという。女性を雲南省から連れ出して、徐という男に売った女とその夫についても、婦女を誘拐売却した罪で同日逮捕した。

 また、最初に女性を妻として買った徐や、宿泊客であった女性を売った河南省のホテル経営者の夫婦、その夫婦から女性を買い受け、転売した男2人や仲介した男についても調べを進めている。

 さらに女性が見つかった豊県のトップである共産党書記など、党や行政部門の関係者、合わせて17人が処分された。

 中国の農村などでは、女性は嫁、子供は後継として売買されてきた実態がある。農村における女性売買の問題を描き、2007年に公開された中国映画「盲山」では、騙されて農村に売られた主人公が、逃げないように鎖でつながれるシーンがある。そのシーンと今回の女性が置かれた境遇とがあまりに似て見えたのは、この事件が、必ずしも特異なケースではないという悲しい現実をおそらく示している。


宮崎紀秀

ジャーナリスト

日本テレビ入社後、報道局社会部、調査報道班を経て中国総局長。毒入り冷凍餃子事件、北京五輪などを取材。2010年フリーになり、その後も中国社会の問題や共産党体制の歪みなどをルポ。現地取材歴は10年以上。映像作品をNNN系列「真相報道バンキシャ!」他で発表。寄稿は「東洋経済オンライン」「月刊Hanada」他。2021年春に帰国。著書に「習近平vs.中国人」(新潮新書)他。調査報道NPO「インファクト」編集委員。

参考文献・参考資料

「まるで文革のよう」…広州で防疫担当者と口論の女性2人、後ろ手に縛られ拘束 (msn.com)

文化大革命 - Wikipedia

中国・北京 新型コロナ感染拡大で店内飲食一時停止など対策強化 (msn.com)

広西虐殺 - Wikipedia

中国で8人の子供を産んで鎖につながれていた女性は人身売買の被害者(宮崎紀秀) - 個人 - Yahoo!ニュース

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