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政治講座ⅴ1455「大東亜戦争敗戦の新聞報道」

近年、「すべて日本が悪い」という自虐史観から脱却してきた。当時のアジアは西欧列強の植民地として支配されていた。西欧列強の植民地でない国は大日本帝国とタイ王国だけであった。日本の戦争目的は、欧米列強のアジア植民地支配の解放され、アジアが共に繁栄することを実現するための(大東亜共栄圏)目的であった。だから、大東亜戦争と命名したのである。米国との太平洋をまたいで両者の覇権争いが戦争目的ではない。だから太平洋戦争は日本の戦争目的を矮小化した自虐史観が生み出した米国が押し付けた歴史観であることに注意が必要である。日本は物理的な敗戦を期したが、戦争目的は達成したのである。そのような内容が次の著書には書かれている。イギリス人が公平な立場で戦争の歴史を評価して、日本人は自虐史観に堕ちる必要がなく、大東亜戦争は戦争目的を達成したので日本の勝利であると評価している。そして、焼け野原になった日本の国土は数年で復興で来たではないか!と日本を称賛し、反対に英国は植民地をほとんど失った。負けたのは英国であると説く。
大東亜戦争は日本が勝った 英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る「世界史の中の日本」 「太平洋戦争」はアメリカの洗脳だった 普及版

  • ヘンリー・S.ストークス(著)/ 藤田 裕行(訳・構成)

  • 1章 日本が戦ったのは「太平洋戦争」ではない!
    2章 「太平洋戦争」史観で洗脳される日本
    3章 日本は「和」の国である
    4章 世界に冠たる日本の歴史
    5章 オリエントにあった世界の文明と帝国
    6章 侵略され侵略するイギリスの歴史
    7章 アメリカの「マニフェスト・デスティニー」
    8章 白人キリスト教徒による太平洋侵略
    9章 マッカーサー親子によるフィリピン侵略
    10章 大日本帝国と西欧列強の帝国主義の違い
    11章 大日本帝国は「植民地支配」などしていない!
    12章 日本は中国を侵略していない
    13章 アメリカによる先制攻撃の「共同謀議」
    14章 大統領がアメリカ国民を欺いた日
    15章 大英帝国を滅ぼしたのは日本だった!

この様な書籍を読んだうえで、次の報道記事をご覧なることをすすめる。
蛇足:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program)により日本人は戦後、洗脳されてきたことから覚醒して、日本の大東亜戦争の歴史的意義を理解いただきたいと考える。

     皇紀2683年10月27日
     さいたま市桜区
     政治研究者 田村 司


「太平洋戦争」敗戦直後、新聞が報じた「あまりにも荒唐無稽なフェイクニュース」 終戦直後、新聞は戦争をどう伝えたか

神立 尚紀 によるストーリー • 

昭和20(1945)年8月、戦争に敗れて連合軍に進駐された日本は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による間接統治を受け、その占領方針と指示をうけて政策を実行、農地解放、財閥解体、日本国憲法公布などを行った。日本が軍事的にふたたび脅威となることのないよう、陸海軍は徹底的に解体され、また、9月19日に発布(施行は21日)したいわゆる「プレスコード」で、かつての日本軍を称揚したりGHQの政策に異を唱える言論は厳しく統制された。

ここでは二度に分け、終戦直後の日本の新聞はなにを報じたのかを振り返ってみたい。第二回は、昭和20年8月15日から翌昭和21(1946)年2月に掲載された終戦直後の「世相」ついて振り返る。(なお、当時の新聞記事は旧漢字、旧仮名遣いだが、ここでは現用漢字、現代仮名遣いに直す)


機密情報だった新兵器が明かされる

それまで国民に知らされることのなかった新兵器の記事も、ときおり掲載されている。

朝日新聞でいえば、たとえば10月6日、〈グラマンと酷似する紫電1改(原文ママ)は、極めて高い性能を有していた〉とはじめて海軍の局地戦闘機「紫電改」の存在を公にし、10月16日には「のっそりと現れた “海底空母”の正体 世界最大の日本潜水艦」のタイトルで、〈わが海軍の降伏に伴いつぎつぎと公表される秘密兵器の中に「大和」「武蔵」にも比肩すべき世界一の巨大潜水艦、最大航続距離八万キロで、飛行機三機を離着艦させるという海底の空母「四〇〇号」があったことが判明した。〉と、大戦末期、パナマ運河を爆砕するために水上攻撃機「晴嵐」(せいらん)とともに開発された「伊号第四百潜水艦」の存在を明かしている。


昭和20年10月16日朝日新聞、「海底空母」伊号第四百潜水艦の存在がはじめて明らかになった© 現代ビジネス

パナマ運河攻撃計画は、大西洋の米艦隊が太平洋に出てくるのを封じるためだったが、伊四百潜と同型艦伊四百一潜が実戦配備についたときにはすでに作戦はその意味を失い、太平洋の米艦隊拠点・ウルシーに攻撃目標を変更し、航行中に終戦を迎えた。

10月20日には、「白金はかく使われた 新鋭戦闘機の威力 『秋水』戦に間に合わず」と題し、B-29邀撃のため開発された、高度1万メートルまでの上昇時間3分半という驚異的な性能を持つと見込まれた日本初のロケット戦闘機「秋水」の燃料生産のため、大量の白金が使われたことが記されている。

世界最高水準だった日本の最新鋭戦闘機

同じ日の紙面には、「還らぬ豪華船」の見出しで、海軍に徴用され、輸送船として、あるいは仮装巡洋艦や空母に改装されて戦場に沈んだかつての豪華客船「浅間丸」「新田丸」「あるぜんちな丸」「報国丸」などを追悼する記事が掲載された。


昭和20年9月20日朝日新聞、「還らぬ豪華船」の見出しで、海軍に徴用され、戦場に沈んだかつての豪華客船を追悼する記事が掲載された。© 現代ビジネス

新兵器の記事でひときわ目を引くのが、10月22日の毎日新聞で大特集された「秘密の翼 終戦期の海軍新鋭機」である。

生産競争に惨敗 質は世界の最高水準」と、いささか負け惜しみ的な見出しがつけられたこの記事は、前述の「紫電改」をはじめ、四発エンジンの陸上攻撃機「連山改」、日本初のジェット機「橘花」(きっか)、哨戒機「東海」、人間爆弾とよばれた特攻機「桜花」の写真がズラリと並び、〈国民は勿論のこと、連合軍側でさえ驚嘆するほどの優秀機数々が見出され〉と、「日本は技術では負けていなかった」ということを強調している。


昭和20年10月22日毎日新聞。「秘密の翼 戦期の海軍新鋭機」と題し、極秘とされていた海軍の新鋭機を紹介。「生産競争に惨敗 は世界の最高水準」とある© 現代ビジネス

フェイクニュースの極み「ヒトラー救出計画」

終戦直後、情報が錯綜していたせいか、ガセネタ、フェイクニュースの類の記事もある。10月20日から21日にかけ、米紙の記事をもとに各紙が報じた「ヒトラー救出計画」の記事はその最たるものだろう。ドイツの最新兵器の情報と引き換えに、日本海軍がヒトラーを救出するための潜水艦をドイツに派遣した、というものである。


朝日新聞は20日の一面で「ヒットラーの脱出に日本潜水艦欧州に だが到着前に伯林(ベルリン)陥落」の見出しで次のように述べている。

〈ヒットラー総統およびその女秘書エヴァブラウンをドイツから“救出”する計画を決定した東京における秘密会議(本年三月三日といわれる)に参加したという日本海軍参謀が、特にロイター特派員に語ったその「真相」――十九日の「星条旗」(注:米軍の準機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」)には概要次のように報道している。

◇(前略)当時ヒットラーはドイツにおいて何人をも信用できない心境におかれていたので日本へ逃亡するのにドイツの潜水艦を使用せず特に日本潜水艦の回航を求めている。

◇三月五日黎明、一隻の日本潜水艦は九十日分の糧食を積んで横須賀の軍港を出港、一路ハンブルグに向かった。艦長以外の乗組員は誰一人としてその与えられた使命を知る者はなかったが、しかしヒットラー及びエヴァ・ブラウン乗艦の際に備えてしつらえた豪華な敷物を布いた一室から、ただごとでないことだけ想像できた。〉

昭和20年10月20日朝日新聞。ヒトラーをドイツから脱出させるため日本から潜水艦が派遣されたという記事。いまでいうフェイクニュースだが、当時はそれなりに信憑性が感じられたのだろう© 現代ビジネス

そして潜水艦は14日後、インド南岸沖で油槽船から燃料の補給を受け、ドイツへと急いだが、到着前にベルリンが陥落、ヒトラーはエヴァ・ブラウンとともに死亡したことが伝えられたのだという。

〈この驚くべき物語を記者に伝えた某参謀は彼の身許を秘匿するのに慎重な心遣いを払っていた。〉

記者は日本政府某高官を通じて交渉し、日本人運転手が運転する自動車で東京郊外のうら寂しい場所へ連れていかれ、そこで「某参謀」と会ったのだという。「某参謀」は名を名乗らず、運転手に記者をホテルまで送り届けることを命じ、自身は別の車で記者とは反対の方向に去っていった、とある。朝日新聞の記事はここまでだが、別の新聞には、「潜艦派遣説は事実無根 日本海軍声明」と、当時まだ存在していた日本海軍が発した声明を掲載したものもあった。

真珠湾攻撃の真相

昭和20年3月時点で残存していた日本海軍の戦力や戦況からみても、ヒトラーを亡命させるために潜水艦を派遣するような余裕はなかったし、参謀と称しながら名も名乗らない人物が語った内容だけが頼りのファクトなき記事について、問い合わせを受けた海軍もさぞ困惑したことだろう。

戦中、技術や物資の交換のため、日本からドイツへ派遣した潜水艦があったことは事実である。だが、それらはいずれも昭和19年以前のことで、しかも派遣された5隻の潜水艦のうち、無事に日本に還ることができたのは2隻めの伊八潜だけだった。なお、朝日新聞はこの記事に続いて同じ紙面で、「千万人の殺戮 恐怖の記録 ナチス起訴状」と、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を伝えるベルリン発AP通信の記事も掲載している。

戦争の真相を暴露する記事も相次いで発表された。なかでも、多くの旧軍人に衝撃を与えたのは、10月27日の朝日新聞に掲載された「遅らされた宣戦布告 真珠湾攻撃に断 真相を語る永野元帥」の記事だった。AP通信から配信されたこの記事は、開戦時の軍令部総長・永野修身元帥へのインタビューをもとにしたものだが、真珠湾攻撃30分前に米側に伝えられるはずであった宣戦布告が、「ある不明の理由によって」遅らされ、攻撃開始後になってしまったという話である。

昭和20年10月27日朝日新聞。永野修身元帥の談話として、真珠湾攻撃が対米宣戦布告に間に合わなかったことが記されている© 現代ビジネス

筆者はかつて、真珠湾作戦に参加した十数名の元攻撃隊員や機動部隊乗組員にインタビューしたが、誰もが攻撃当時から戦中にかけて、宣戦布告後の攻撃だったと信じていて、アメリカで「宣戦布告なきだまし討ち」とされていることなど知らなかったのだという。

世界に知られた日本の撃墜王

進駐軍とともに来日した海外の記者たちは、精力的に旧日本軍人を取材した。なかでも先述のAP通信東京支局長ラッセル・ブラインズは、上層部のいわゆる戦争責任者だけでなく、第一線で戦った将兵へのインタビューも行っている。

たとえば12月19日の静岡新聞に掲載された「普通の復員軍人 嘗ての撃墜王 酒井中尉」(酒井は坂井の誤記)の記事は、のちの高度成長期に湧き上がった「戦記ブーム」にもつながるものとして特筆できよう。

酒井(坂井)三郎中尉は何故か未だ勲章も与えられない。(中略)この日、酒井(坂井)は会談を終わるに際して、立ち上がり、シャチホコばった敬礼をしていった「自分は自分の殺した人々の肉身(親)の方々におわびします」〉

記事中、坂井は戦闘記録(飛行時間か?)は1500時間で、ノートを見ながら、昭和13年以来、17種類63機の敵機を撃墜、うちB-26を6機、B-25を4機、B-17を5機などの米軍機を撃ち墜としたと語っている。

〈自分は日本では二番目の操縦士で、第一位の岩本哲三(徹三)海軍中尉は確実に百機以上の敵機を撃ち止めましたが、その場所は不明で、この人は未だ生きている筈です〉

「日本の撃墜王に会いたい」というブラインズの要望を受けたのは、当時、海軍省が名を変えた第二復員省史料調査部に勤めていた奥宮正武・元中佐だった。奥宮は同じく第二復員省で海軍の後始末にあたっていた元戦闘機乗りの中島正・元中佐に相談、中島はかつてラバウルで部下だった坂井を推薦したのだ。東京在住で、そのとき連絡がとれたのが坂井だけだったという事情もある。ずっとのち、平成9(1997)年に坂井は、筆者のインタビューに、

「アメリカの記者から会談を申し込まれたときは緊張しました。まだ戦犯の詮議の真っ最中で、アメリカの飛行機を何十機も墜とした自分も戦犯に問われるんじゃないかと。戦友も『サブちゃん、危ないぞ、そんなとこに行ったら捕まるよ』と心配してくれましてね」

と、そのときのことを回想している。

坂井はその後、奥宮正武の紹介で知り合った出版協同社の福林正之が書いた『坂井三郎空戦記録』(昭和28年)がベストセラーになり、AP通信記者のフレッド・サイトウが書き、マーティン・ケイディンが脚色した『SAMURAI!!』(昭和32年)が世界中で売れ、光人社の高城肇が書いた『大空のサムライ』(昭和42年)でその名を不動のものにする。いずれも筆者は別の本だが、著者の名義は坂井三郎になっている。


昭和20年12月19日静岡新聞。AP通信のラッセル・ブラインズ記者が、のちにベストセラー本で有名になる元零戦搭乗員・坂井三郎中尉にインタビューした記事。「酒井」とあるのは「坂井」の誤り© 現代ビジネス

撃墜機数は『SAMURAI!!』以降、ブラインズに語ったより1機増えて「64機」として定着するが、これは、マーティン・ケイディンが宮本武蔵の真剣勝負の回数になぞらえて脚色したものだ。もっとも坂井自身は、「じっさいに何機墜としたかを検証するのは不可能。64機よりずっと少ないかもしれないし、あるいは多いかもしれない」と、筆者に語っている。

復員軍人による治安悪化の真相

さて、終戦直後、食糧難、物資不足に加えて大量の失業者が街にあふれ、日本の治安はかなり悪かった。復員軍人のなかには拳銃を所持したままの者も多かったからなおさらである。

朝日新聞の見出しだけを拾っても、12月20日には「十人組の強盗 航空服を着用」の見出しで、航空服を着た一団が埼玉県の住宅に押し入り、住人を銃剣で脅して現金を強奪、12月26日には「特攻隊員、辻強盗に転落す 悪友に誘われて 泣いて語る”罪の心境」「三十分間にピストル強盗六件 亀有で自警団をも脅迫」「Xマス前夜、狂暴犯三十件」「木炭泥(泥棒)、MPに射殺される」……などと殺伐とした記事が並ぶ。

12月27日には「百鬼夜行の亀有に MP二小隊出動 “魔の辻”に更に十五件」「主魁は復員軍人 強盗団の首謀三名逮捕」などの記事とともに、「素質低下も多い『特攻隊』に第一復員省談」との記事も掲載された。

〈治安の乱れと共に復員軍人についてとかくの噂を生んでいる。殊に『特攻隊くずれ』といういまわしい言葉すら流行している。(中略)終戦前の航空隊員は急速に膨張し、素質も低下していたし、だから特別に特攻隊などといっても一般と別段変わったところはない。〉


東京の治安悪化を伝える昭和20年12月27日の朝日新聞。「特攻くずれ」という言葉が使われている© 現代ビジネス

筆者の調査では、犯罪集団と化したいわゆる「特攻くずれ」と呼ばれる者のうち、犯人として新聞に名前が載っている者は、ほとんど全部と言っていいほど旧軍の名簿に記載がない。あっても大戦末期に入隊し、飛行機に乗るどころか特攻隊に配属さえされないまま数ヵ月で敗戦を迎え、焼け跡の街に放り出された者が大半である。

本物の元特攻隊員のなかには、ヤクザから俳優に転身した安藤昇や、戦後最大のネズミ講組織「天下一家の会」を率いた内村健一のような者もいるにはいたが、終戦直後、世間を賑わした「特攻くずれ」はたいてい、ただの街の不良グループ、当時でいう愚連隊が、闇市で手に入れた旧陸海軍のツナギの航空服と半長靴を手に入れ、その姿で街を闊歩し、元特攻隊員を自称して犯罪を行っていたものだ。

ついでに言えば、彼ら愚連隊のスタイルが、現代の暴走族やいわゆる「ヤンキー」がイキがって着る「特攻服」に繋がっている。

そして現代に続く

12月29日の朝日新聞には、「強盗は士官候補生」と、自称海軍兵学校の元生徒が強盗を働いた事件が掲載されたが、12月31日には、29日に報じた記事について、「候補生は嘘」との訂正記事がひっそりと載っている。記事を見た親が警察署を訪れたことから、犯人の経歴詐称が明らかになったという。同日、「失業340万」との見出しで、陸軍290万人、海軍50万人の復員軍人が失業していることが報じられた。


「太平洋戦争」敗戦直後、新聞が報じた「あまりにも荒唐無稽なフェイクニュース」 終戦直後、新聞は戦争をどう伝えたか© 現代ビジネス


「太平洋戦争」敗戦直後、新聞が報じた「あまりにも荒唐無稽なフェイクニュース」 終戦直後、新聞は戦争をどう伝えたか© 現代ビジネス

昭和21(1946)年1月5日、「軍国主義者を官公職より追放」と、「望ましからざる人物の公職よりの罷免排除についての覚書」、いわゆる「公職追放令」についての記事が出た。

1月14日、「人民戦線の急速結成 封建的勢力を一掃」「民主戦線結成に全身の努力傾注 野坂氏東上の車内で語る」と、朝日新聞が急に日本共産党の代弁者となったかのような記事が一面を飾る


昭和21年1月14日朝日新聞。「人民戦線の急速結成 建的勢力を一掃」「民主戦線結成に全身の努力傾注 坂氏東上の車内で語る」と、日本共産党の代弁者となったかのような記事が一面を飾った© 現代ビジネス

そして1月30日には、「中国解放地区の実情 愛される中共首脳者 民衆の部隊『八路軍』」と、中国で急速に勢力を伸ばしつつある中国共産党と八路軍(共産党軍、現在の人民解放軍の前身の一つ)を賛美する記事を掲載、以後の朝日新聞の論調は戦中の裏返しのように共産党、共産主義色を強めてゆく。このときのDNAが、現在の朝日新聞にも脈々と受け継がれていると感じるのはうがちすぎだろうか。


昭和21年1月30日朝日新聞、中国共産党と八路軍(共産党軍、現在の人民解放軍の前身の一つ)を賛美する記事© 現代ビジネス

中国ではこののち、毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民政府の間で内戦となり、昭和24(1949)年には共産党が中国のほぼ全土を支配し中華人民共和国を建国、国民政府(ポツダム宣言に名を連ね、日本が降伏した相手はこの国民政府である)の中華民国は台湾に逃れることとなった。それから74年が経ったいま、中台の関係は中華人民共和国の覇権主義により、ますます緊張の度を強めている。

参考文献・参考資料

「太平洋戦争」敗戦直後、新聞が報じた「あまりにも荒唐無稽なフェイクニュース」 終戦直後、新聞は戦争をどう伝えたか (msn.com)

タイ王国 - Wikipedia

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム - Wikipedia

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