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政治講座ⅴ313「在日3世の苦悩」

 最近の報道記事の論文には「後進国」の表現が多い。自虐的表現として「後進国」と思われる表現が散見される。「発展途上国」は「将来発展するポテンシャルを持つ国」の意味である。将来の展望さえ見いだせないのであろうか。
 徴用工問題で日本企業の資産が現金化されれば、日本から報復措置の一環として「日韓基本条約」の見直しで、日本は韓国を国家として承認することを「取消にするか解除」で対処することになる。
 約束を履行できない国には「信用状発行」「通貨スワップ」などの与信行為は即刻中止
後は支那の属国として生きろ!
恩を仇で返す国。仏の顔も三度。とうとう日本の逆鱗に触れた

もう助けない、もう関わらない、もう教えない非韓三原則で対応する。
「在日3世」の方々は歴史に翻弄されているが、捏造歴史教育、日本には何の悪さをしても反日無罪、同胞(韓国人)も蔑む上から目線の悪根性、韓国人でありながらその行動により韓国人全体の品位を貶めていることに気付かない。これが儒教国家とも思えない。今回は表題について報道記事から掲載する。
       皇紀2682年8月15日
       さいたま市桜区
       政治研究者 田村 司

はじめに

  韓国には捏造歴史教育で育った人が殆どである。しかし、その捏造歴史教育が虚偽であることに気付いている人も多くいる。気の毒な人々は「在日」である。祖国から受け入れてもらえずに日本に在留している人々である。なぜ、祖国に帰りたくないのかは、韓国政府の同胞への仕打ちであろう。反民族行為者として処罰され、親日罪として財産を没収される国には帰りたくないと思うのは当然であろう。在日3世の記事を見つけたので次に掲載する。


「在日3世」の私が、「先進国の日本」から移住してわかった「韓国=後進国」という残酷な現実

どんどん悪くなる「日韓関係」

 文在寅政権以降、日本でも急激に韓国に関心を持った人は多いだろう。
筆者が日本で暮らした1960年代から2000年代の中でも最悪の日韓関係に陥ったと、韓国にいても感じたものだ。
 そもそも日本では2002年、小泉純一郎元首相が訪朝し、拉致事件を金正日に認めさせるまで多くの日本人は朝鮮半島に“ほぼ無関心”であったのではないだろうか。
 それもそのはずである。慰安婦問題が持ち上がったのは90年代、徴用問題は2000年初頭なのだ。
 韓国に50年以上、不法占拠されている竹島問題も一部の人以外にはあまり関心を持たれてこなかったように感じる。
それが韓国の文在寅政権が慰安婦合意を覆し、徴用問題も再びクローズアップし始めたところから日韓関係はどんどん悪くなっていった。

韓国に住んだら“後進国”だとわかった

 それまでは年に約800万人が訪日してた韓国人も激減し、韓国では反日報道、日本では嫌韓的な報道が増えていったものだ。そこでよく在日韓国人、朝鮮人に対して日本で聞かれたコメントが「日本が嫌いなら帰れば?」である。たしかに居住した国が本人に取って不満、負担であれば、日本で外国人として暮らす我々は持ってる国籍に従い、祖国に帰れば良いだけである。 筆者の場合、すでに韓国にわたって10年ほど暮らすが、在日にとって韓国は実際はどんな国なのだろうか。果たして、日本より「暮らしやすい」のだろうか。まず筆者が日韓を行き来していた2009年頃、韓国は世界に先進国としてのアピールを最大限していた日本で耳に入る韓国の情報は日本と変わりなく住みやすいイメージだった。しかし、である。まだビジネスで数日滞在する間は感じられなかったが、実際に、韓国に住居を構えて、本格的に住み始めると日本とは比べようもない“後進国”だとわかった。

韓国で出くわした「現実」

 まず街並みだが、遠目では立派で綺麗に見えても実際には汚いシーンに多く出くわした。たとえば、歩道はガタガタビルなどの階段の段差の基準はなく均等ではない路地の道路には穴があって、暗い夜道を歩くと落とし穴に堕ちる感覚を味わったり、道路標識の一方通行はあってないようなもの……などと、言い出したらキリがない。
そんな韓国を、私は渡韓してくる日本人に「映画のセットのハリボテな国」と説明をする。実際、住んでみたら日本で得ていた情報はまやかしだったのだ。日本に長く住み、建てつけのしっかりした街並みに慣れている筆者には、韓国の建造物はストレスが多い

人付き合いでの「苦労」

私にとっては、人付き合いの面でも韓国では苦悩することが多かった。あれは2011年頃だったと思うが、筆者が韓国の大手新聞社の若手記者たちと会食をする機会があった。大手新聞社の若手記者といえば有名大学卒で、韓国ではエリートである。それが、筆者が在日だとわかると記者たちはこぞって「日本人は日韓問題(慰安婦、徴用、竹島)をどう思ってるのか?」と聞いてきたのだ。私は「日本人はあまり興味を持っていないのではないか」と話した上で、みずからの見解として65年基本条約から何度も日本は公式に謝罪をしていること、徴用は原告が韓国の左派弁護士団体の民弁の誘導で起きている問題であることを説明すると、もうそこに筆者の見解という前提がなくなって“日本大批判”となった。しかし、そんな記者たちが語る日本批判は、反日教育で得た知識を前提にしたものが多いことにもウンザリとした。今の時代、スマホでググればどんな情報も出てきて事実確認できるのに、すぐに調べればわかるような事実さえ間違っている記者がいたのには閉口した。

日本のように暮らすのは「100%無理」

当然、記者たちの話の事実誤認については論破できるのだが、結局、彼らは都合が悪くなると朝鮮王朝時代の話にまで遡ってうやむやにしてしまった。ここで一つ気がついたのは、筆者は事実確認をする際に日本語と英語で検索をするが、韓国ではネイバー検索が主流であるということである。そのため、ネイバー検索しかしない韓国人に筆者はよく英語か日本語Google検索することを勧めた。
 話を元に戻すと、こういった噛み合わない議論は記者たちに限ったことでは無く、当時もいまも筆者に対して日韓問題を提起して話す韓国人の多くが、論破されそうになると他の話にすり替えるので一度も発展的な議論ができない。この時の記者たちの事はよく覚えているが、日本を批判しながら時計はカシオカメラはニコンキャノン、靴はABCマートと“灯台下暗し”だった。つまり、韓国で日本のように暮らせるかと聞かれれば「100%無理」である。

「在日3世」の私が、韓国で「差別」されて直面した“祖国・韓国”への「強烈すぎる違和感」

8/12(金) 16:32配信
 在日3世である著者は、日本に住んでいる在日が日本の不満を語っているときに、「日本が嫌いなら帰れば?」と言われるシーンも何度も見てきた。

韓国の若者の「夢」が壊される

 韓国はソウル首都圏に全人口の約半分が集中している国である。  裸一貫から事業を起こす場合、日本は元手が少額でも金融公庫、銀行、信金など多くの金融機関で差別なく一定の金額の融資を受けられる。融資の審査でも、借り手の夢を聞き、事業内容の可能性を見てくれる場合がある。  事実、筆者も日本で会社を起こす場合、すべて金融公庫と付き合いのある金融機関から借入を何度かしている。  それが韓国の場合、現金、証券、不動産等の担保がなければ一切の融資は受けられない。  日本のように韓国の若者が夢を実現するには、その家庭が中流であっても無理なのだ。

韓国の「スーパー」「ガソリンスタンド」で驚いた

 また筆者の故郷は慶尚道の田舎にあるが、絶対にそこに住むこともできない。  日本も田舎の過疎化が進んでるというが韓国は日本以上だと思う。ソウルから郊外、地方に行くと観光地でない限りほとんど“人がいない”のだ。  筆者の故郷はそれでも少し街であるが、日常的に使えるスーパーは無いし、20~30坪ほどの小さなスーパーはあるが、そこに生鮮の魚は売ってない。  じつは現在、住んでいる近所の小型スーパーにも生鮮の魚は売っていない。大型スーパーに行ってこそ、生鮮の魚が手に入るので、日本のように小型スーパーでも生鮮の魚が買えることを期待してはがっかりしてしまう。  ちなみに、車を持っていても、ハイオクガソリン車だったとするとハイオクガソリンを売るスタンドがほとんどない。  ハイオクガソリンに関してはソウルの街中でも探し回ることになる。

「マンション」も「医療」も…

 私が韓国で暮らせないと思った、その圧倒的な理由は不動産だ。  
筆者は江南区に住んでいるが、ここで80平米の中古マンションが2億円はくだらない、それ以上なのだ。  
 チョンセと言う高額な保証金を入れて家賃無しで住むにしても1億2000万円以上する。故郷の慶尚道の田舎でも、購入となると4000万円ほどだ。  
医療も先日、首周りのMRIを撮ったら約5万円、もちろん3割負担の健康保険に入っているが保険適用外だった。
 そのため、韓国では実費保険という少額掛け捨て保険に入り60%ほどの返金を受ける。
 MRIの場合、日本では同じ条件で4000~5000円だったはずだ。  日常生活で日本と比べると、韓国は公共交通網の交通費の割安感以外は、日本以上に差別の多い国だ。  それだけではない。  
筆者は、韓国に住んでから、こんな露骨に差別を感じるとは思いもしなかった。

韓国で感じた「差別」

 在日は韓国で「パン・チョッパリ(半分日本人)」と言われるが、日本でも在日3世の外国人として暮らす筆者には、祖国であるはずの韓国でのこの雰囲気には違和感と矛盾しかない。  韓国では在日を韓国人と認めてないのか、と愕然とした。  住民登録カードの番号でもすぐわかるように海外在住韓国人は数字で分けられている。  言葉の壁も変にある。片言の韓国語を話す欧米、欧州人に韓国人は優しく対応するが、在日である私はハッキリと馬鹿にされた。  日本では片言を話す外国人の話を聞く場合、何とか理解しようとするが、韓国ではそれが在日とわかると態度が豹変するのだ。  一度、日本の雑誌で韓国でも出版されているファッション誌の韓国人編集長に「よくそんな片言で韓国人と名乗れるな」と言われたことがある。  ちなみに筆者の韓国語は日常会話には支障はなく、その編集長は私よりだいぶ年下である

在日3世として、韓国で直面した「違和感」

 日本での幼少時代、長屋に住み祖母、母親が漬けたキムチを近所へお裾分けした時、「こんな臭いもの」と目の前で捨てられたり、幼馴染の日本人に「朝鮮人! あっちいけ!」と小石を投げられたことがある。  それでもバブル以降、体験できる差別というものは日本で感じた事がなかった。それが韓国に行ったら、再び「差別」される感覚に直面したのだからたまったものではない。  筆者は高校時代まで北朝鮮籍を保有し、その後、韓国籍になった在日3世だが、日本での暮らしに何の不満もなかった。  もちろん日本人拉致事件を金正日が認めても、頑なに北朝鮮に固執する人もいる。それでも、仮に金日成主体思想、反日、反韓、反米教育を受けたとしても、日本で住んでいれば「なにかおかしい」と気づくはずだと思うのだ。  筆者は中学高校時代、事ある毎にデモに強制参加させられていた。デモ参加時に子供とわからない様、大人びた服装で来るようにとも指示を受ける。デモに参加しなければ翌日、学校で吊し上げられた。  それは全て従北思想の大人からの指示であった。

日本へ

 90年以降、日本に渡って、不満を叫んでいる韓国人を見かけることがある。  彼らも文句を言うのであれば、韓国へ帰れば良いのではないかと思うのだ。  帰れば、親兄弟も友人、知人も居るだろうに、何の責任感で日本にずっといて、海外生活の不満を叫ぶのかが理解に苦しむ。  事実、日本は韓国、北朝鮮以上の暮らしができるから日本に居るのではないだろうか。  そして、住むと決めた以上は、日本の法を守り、また日本の風習に馴染めなければ不満を垂れ流すより祖国に帰るべきだと筆者は強く思うのだ。  筆者は韓国の日本大使館で1度、自分の立場の確認をしたことがある。
 「韓国と北朝鮮の有事の際、我々、在日も日本人同様に引き上げてもらえますか?」  すると、即答で「もちろんです! ご心配なさらずに」と返事が返ってきた。  この時、年甲斐もなく涙目になっていた自分を思い出すのだ。豊 璋(在韓国コンサルタント)

2022.08.11
在韓国コンサルタント
豊 璋 HOU SHO
 63年生 大阪の朝鮮学校出身の在日3世。日本でいくつか事業を営む中で韓国へ日本製品を紹介するアドバイザー兼コンサルをする。2008年から日韓を頻繁に行き来、現在は韓国ソウルに住居も構え韓国内での活動をする。文在寅政権下で心底、政治によって左右される韓国の商業のあり方に疑問を持ち、生まれ育った日本への帰国を計画中。この国で、韓国人の知らない事実の日韓問題の正当性を韓国社会に訴えながら執筆活動を行なっている。


「在日3世」の私が驚いた「日本大嫌い、北朝鮮大好きな韓国人」への“強烈な違和感”

2022.07.24 豊璋 在韓国コンサルタント

韓国の教師が「金日成」を「将軍様」と…!

 7月7日に韓国メディアは、中学校で教師が授業中に北朝鮮の故・金日成(キム・イルソン)主席を「将軍様」と呼ぶなどしたとして、教育庁(教育委員会に相当)が監査が行われていると報道した。舞台となっている中学はソウルから南西に車で1時間半ほどの世宗市(セジョン)の学校だ。
 世宗市教育庁が6日、明らかにした内容によると、今年3月にある非常勤教師が中学3年生の科学(理科)の授業中に、「日帝強占期当時、独立軍が勝利した戦闘は鳳梧洞(ポンオドン)と青山里(チョンサンリ)の他にもう一つあるが、その戦闘(普天堡の戦いと推定)が教科書に出ない理由はこれを戦ったのが『金日成将軍様』だからだ」などと発言したという。1937年の普天堡(フテンホ)の戦いとは、北朝鮮が金日成による「抗日闘争の最大の業績」と宣伝している事件だ。しかし、韓国の学会では「殉死した5人が守っていた小さな村を襲撃した事件」「戦闘とは言い難く、金日成が指揮したかどうかもはっきりしない」との見方が多い。

学校には「北朝鮮関連の本」がたくさん…

今回は韓国の教師が「将軍様」と呼んだことが問題視されているわけだが、じつは文在寅政権下でこの手(左派、従北)の学校教育者が増えていたことも事実だ。
2019年12月に韓国、ソウルの仁憲(インホン)高校の三人の高校生が反日教育に疑問を持ち、学校を相手に反対運動を起こしたのは日本でも話題になった。彼らは大学に入学しても全国を周りながら反日教育の矛盾を叫び続けていた。当時、立ち上がった一人、崔君は先日行われた市議会選挙に当選、見事、市議の席を獲得した。筆者も当時から彼らを応援しており、何度か会う機会もあった。彼らと話す中で驚いたのは、学校の図書室の書籍の多くが「北朝鮮関連の書籍が多い」という話だった。
この件はその後、彼ら以外の高校生からも聞いている。
ソウルの学生街、弘大(ホンデ)で話した高校生も学校の図書室に驚くほど北朝鮮関連の書物があると話していた。

「反日」への高い支持率

 私は日本で朝鮮学校に通っていたので、学校の書物は朝鮮総連の出版社から出ている書物しかなかったがそれは納得できる。
 でも、韓国の学校の図書室の書物が北朝鮮関連であふれているという事実には驚くばかりである。
 そうした中にあって、韓国の第20代大韓民国大統領選で驚く結果が出た。期日前投票率が36.93%、最終投票率は58.0%だったが、左派候補の李在明(イ・ジェミョン)氏との票は「わずかな僅差」で、尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏が当選を果たした。 
 李在明氏は京畿道(キョンギド)知事時代には戦犯企業ステッカーを作成し、学校、役所の使用機器が日本のメーカーの場合はこの戦犯企業ステッカーを貼る指示を出したほどの“反日人物”である。
 
そんな候補者への投票結果に私が驚いたのは、韓国にこんなにも左派支持派が多いということである。

簡単には「変われ」ない

韓国で左派といえば北従思想のことを指し、また左派を革新派と呼ぶ。
今回の大統領選でも革新派の李在明の票をみると、全羅道(チョルラド),仁川(インチョン)と済州島は異常である。
李在明の全羅道の票獲得率が84%と驚異的な強さであり、仁川、済州島も似た感じであった。韓国では政治論を語る上で必ずといっていいほど、どちらかに決められる。中立的意見は通用しない
文在寅政権の5年、世界に恥をかき続けた時代を何とか乗り切り、韓国民にはいま自分たちの生活に本来何が必要か考える自由が与えられ始めてると筆者は思う。
今までは長年の反日教育を受けて、日韓問題は聖域扱いの中に閉じられていたように感じる。弱者という最強の鎧を羽織り、反日という剣と、愛国心という盾を持ったカリスマ的市民団体の言うがままに過ごした30年であったとも思う。何を話し合っても埒が開かないから、みずから考えて発言する気も失せるような空気があったと筆者はいつも感じている。

従北左派が「半分」

その証明が、韓国の第20代大統領選の結果だったのではないだろうか。
文在寅政権からの政権交代は起きたが、じつは従北左派が“約半分”も存在しているということもまた事実なのである。
尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が日韓関係の改善をいくら強く押し出しても、ここから韓国左派の牙城は簡単に崩せないだろうと思うのだ。
「在日3世」である私が韓国に対して抱く違和感はそれだけではない。



「在日3世」の私が、ある「韓国人の“寿司屋”での言い分」におぼえた「強烈な違和感」

ある韓国人の「寿司屋での言い分」が物議…!

 尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権誕生後、韓国では日韓関係改善のムードが広がる中、7月5日の中央日報で『日本居住韓国人女性、寿司屋で「お金を無駄使いした」差別に怒り』という記事が出て、話題になった。
この記事は、中央日報がネットコミュニティサイトで盛り上がっている問題として「銀座に位置した高級寿司屋」としながら、銀座のフランチャイズ寿司店を訪問した経験談をもとにしたものだ。まずは銀座という立地は高級だが、フランチャイズ寿司店は銀座にあれば高級寿司屋になるのか?と素朴な疑問を持ちつつ、記事を読んでみた。
 ネットコミュニティサイトに投稿をした韓国人当事者の言い分は、「最初はそうでなかったが、お寿司を食べる途中で私が外国人であることに気付いたのか、その後から出てくる寿司は突然わさびの味が強くなって塩だらけになり舌の感覚が消えた」。
さらには、「お皿のそばに虫の死骸があるのに、ある従業員はそれを見てもすぐに片づけず突然お皿を変えるとしてお皿で虫の死骸を覆って巧妙に虫を片づけた」というものらしい。
それだけではない。「最初は私が左利きであることを知って漬けものを左側に置き、虫が出てきた後には私が使いにくいように右側の隅に置いた」というのだ。

これが「日本の現実」だって…?

また、「同行した人々には『塩が良いか、醤油が良いか』としてお任せに似合わない質問をした」とも話しているが、そもそも『塩が良いか、醤油が良いか』とのお店側の質問に対してはこの話を投稿した本人の知識不足であるように思える。
最後に「シェフは『なぜこのようにゆっくり食べるのか』としてまるで早く食べて出て行けという態度を見せた」「私たちのテーブルには最後のデザートも提供されなかった」と、お店の感想を述べながら、着物姿の女子職員1人がAさん一行をあざ笑ったと主張しているのだ。
この投稿があがったコミュニティサイトでは反日的な意見も多く出ている。いずれにしても、この投稿者の主観があたかも「日本の現実」であるかのような印象を与えてしまうことには、違和感を禁じ得ない
そんなことをいえば、筆者が韓国でラーメン店に行った際、客が話すことに夢中でのびたラーメンになっていることも頻繁にみている。
つい先日もミシュラン・ガイドで紹介されたソウルの蕎麦屋に行った際、隣のお客が話に夢中で蕎麦がのび、その蕎麦を箸で遊びながら会話をする韓国のOLを見たばかりだ。
それで「蕎麦がのびていた」などとクレームされれば、店としてはたまったものではないだろう。

ひよこ饅頭、白い恋人、堂島ロール…

筆者は韓国で日本の製菓、加工食品、飲食店のアドバイザー、コンサルティングをしていた。
韓国では朴槿恵元大統領の政権下で日本製菓、食のブームがピークとなり韓国の3大百貨店は日本ブランドの誘致争奪戦が繰り広げられていた。訪日する韓国人が日本で食したものを、韓国内でも求め始めたわけだ。
2010年韓国人で訪日した数が244万人、2016年には509万人と本来の韓国人の親日ぶりはこの結果からもよく理解ができる。そもそも韓国内での日本ブランド製菓、飲食の大きなきっかけは2013年に韓国の現代百貨店に大阪堂島ロールの進出で、そこから百貨店はこぞって日本ブランドを取り入れた。
当時、ケーキはバタークリームが主流だった韓国で消費者に生クリームの美味しさを広めたのが大きいだろう。
日本では百貨店の地下食品売り場で製菓ケーキとして月に300万円程度売り上げれば成功と話すバイヤーが、韓国の堂島ロールは1店舗あたり1千万円以上の売り上げを叩き出し韓国の新聞ニュースにも取り上げられていたことに驚いていた。
そんな中、今も韓国人に愛される製菓は日本でも代表的なひよ子本舗吉野堂の「ひよこ饅頭」、石井製菓の「白い恋人」、ロイズのチョコレートだ。反日、不買運動と言いながらも、コロナ前は韓国人、中国人たちが訪日の帰り空港で買い漁り売り切れている場面を何度も目撃している。

日本が大好きな韓国人

そういった訪日が盛んだった頃、韓国人の多くが日本の食に対して「醤油辛い」と言っていた。
それがコロナになって訪日ができなくなると、韓国内では「日本の味」を求める韓国人が増えた。そんな一例として反日、不買運動の最中、一番増えた飲食店の一つが鮨屋である。
その鮨屋の単価は一人昼は1万円以上、夜は2万円以上でも予約が中々取りづらい。また、本格焼き鳥店も増えた。以前は冷凍で串刺しされた材料を使う店が多かったが、いまでは韓国でも、しっかり鳥を解体して、串で刺す仕込みをしている店が驚くほど増えている。中には、焼き鳥店で予約が3ヵ月待ちというお店まで出てきている。
また、コロナ禍で外食を控える中で、宅配専門で増えたのが日本の丼メニューである。人気なのが天丼を筆頭にサーモンの海鮮丼、鰻のひつまぶしだ。天丼に限っては、路面の専門店も増えている。

韓国メディア「反日、不買はどこへいった…?」

韓国で日本から進出して成功を収めているラーメン店もある。豚人(ぶたんちゅう)はソウルで大人気。「麺屋はなび」の混ぜそばも、韓国のビビンバ文化に見事ハマった。この「麺屋はなび」の行列にコロナ禍で並んだ筆者は、出てくるお客が「日本と同じ味だったね」と話すのを聞き思わず声をかけてしまったほどだ。
コロナ禍で増えた韓国での日本料理店。もちろん営業が苦しくなり、お店の方向性を日本食にこだわらず変えたり、閉店してしまうお店も少なくない。そういったお店を分析してみると、お店を閉める多くの日本食店は料理技術がともなってないお店の場合が多い。
韓国でも日本をより深く知っている韓国人が増えて、いままでのように看板だけ日本式を謳っても通用しなくなっている。
コロナ禍で生き残った日本食のお店や、反日、不買運動の最中にオープンしたお店は、確実な料理技術、知識でこの難局を乗り越えたとみえる。2022年の韓国ミシュランガイドが発表された時に、韓式レストランより日本食レストランの多さに注目が集まり、韓国のメディアからは「反日、不買はどこにいった?」と揶揄されるほどだった。
余談ではあるが筆者が後輩の招待を受けて、韓国ミシュランガイドでも星がついてる鮨屋に行った時、そこで出された漬物に髪の毛が入っていたが、副料理長は失笑しながら漬物を交換しただけで、指摘してるにもかかわらず謝罪もなかった。招待してくれた後輩に気をつかってこの件は1年後に話したが、いまだにその店に再び行く気は起きない。

もう「文在寅の罪」を繰り返してはいけない

韓国でも「お客は神様」と同じ言葉はあるが、筆者は「お客は神様」という概念を韓国で感じたことはほぼない

一例として「タクシーの運転手が私的な電話、簡単な食事をしている」、「コンビニ店員が電話しながらレジ打ちをする」、「食堂に入っても声をかけるまで対応しない」などと、あげ出したらキリが無い。

もちろん日本のように過剰なサービスを望むわけでもないし、神様扱いを望んでいるわけでもないが、いったいどうしてなのだろうか。

ある韓国食堂で、メニューにないキムチチャーハンを頼んでみたら、頑なに断ってきた。私はその店の常連なので、材料はそろっていることはわかっている。ある日、「お客の簡単な要望に応えるのがそんなに難しいのか?」と聞いてみたら、答えは簡単で「めんどくさい」の一言であった。これでは「お客は神様」という概念からはほど遠い

政治的な関係は別にして韓国人が日本の繊細さを学び、ビジネスに活かそうとする動きは大歓迎である。今後、新しい尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の政権下のもと、文在寅のように再び「反日」を煽るようなことだけはしないで欲しいと願うばかりである。

2019年10月11日17:00

在日韓国人3世に「永住権」なし 日韓基本条約で受け入れ義務なし

1965年、日韓基本条約に調印したが、この時受け入れたのは1世だけ

引用:http://fightforjustice.info/wp-content/uploads/2013/06/%E6%97%A5%E9%9F%93%E6%9D%A1%E7%B4%84.jpeg


日本と韓国の関係がかつてないほど悪化していて、原因は韓国政府が日本と交わした条約や合意を守らないからです。
1965年に韓国は「すべての請求権を放棄する」約束をし、引き換えに日本は在日韓国人の永住を保証し韓国のGDPを上回る経済援助をした。
だが日本に居住資格がある在日韓国人は1世と2世だけで、3世以降は日韓条約による永住権が無いのは知られていない
日韓条約で在日3世は帰国する事になっていた

在日韓国人は日本国民と同じ権利があるとして、日本での参政権や公職に就く権利などを訴えている。だが在日韓国人3世はそもそも条約に基づかな滞在者であり、日本政府が方針転換すれば強制送還されてもおかしくない立場です。日本が条約に基づかない韓国人を取り締まらないのは、国際問題に発展するから面倒だからであり居住させる義務は無い。
欧州では2015年頃シリア移民が300万人以上押し寄せて、受け入れたり追い返したり対応に苦慮していました。
在日韓国人3世の国際法上の立場もシリア移民と同等であり、受け入れ義務はなく本国に送還しても良いのです。
「韓国」という国が誕生した後に朝鮮戦争が起きたので、多くの韓国人は帰国するのを拒否し日本に止まった。
この時政府は一人一人に詳細な調査を行い、全員が自分の意思で日本に居るのを確認している。
有名なパチンコチェーンの創業者や巨大ITグループ創業者の一家は、日本に密入国したとメディアで公言していました。
このような戦前・戦後に密行してきた人たちは、日韓条約で定めた在日韓国人に該当していない
日韓条約の在日韓国人とは1945年以前から、合法的に日本に居住していた人とその子孫を指しているからです。
日韓基本条約では密航者の受け入れを認めておらず、密航者の子孫には条約上の永住権も存在しない
条約上の永住者では無い在日韓国人3世にも「特例措置」として在住資格が与えられたが、日韓条約に基づく条約永住者ではない。

在日韓国人が日本に居住した経緯

1945年8月(アメリカから見ると9月)に第二次大戦が終わったが、朝鮮半島は米軍とソ連軍の占領下にあったので、暫くそのままになった。
1948年に韓国と北朝鮮が建国し150万人が帰国したが、1950年に南北で朝鮮戦争を始めた。
1952年に日米(など50カ国以上)はサンフランシスコ講和条約を締結し、米軍の占領が終わり日本は独立国家になった。
の時点で日本に残っていた韓国朝鮮人は外国人と定義され、全員を半島に帰国させる事になった。
だが戦争中で韓国、北朝鮮ともに受け入れを拒否し、米国も事実上困難として帰国を拒否した。
1953年に朝鮮戦争は終了したが、朝鮮半島は焦土と化しており、帰国を望むものはほとんど居ませんでした
ここで登場するのが小泉純一郎元首相の父の純也法務次官で、1955年「在日朝鮮人全員に帰国を促したが帰りたいという者が一人も居なかった。」と国会で証言している。
それどころか半島から密航などでどんどん日本に渡ってきている」「強制送還するべきだが韓国政府が拒否している」とも証言しました。
小泉父が言っていた「半島から密航などでどんどん日本に渡ってきた」人は30万人も居て、そのうち10万人はそのまま日本に永住している。
1955年に朝鮮半島出身者全員が不法滞在者であり、早期に強制送還することが国会などで取り決められました。この後在日の立場を一変させる出来事が起こり、それが「日韓国交樹立」と「日韓基本条約」でした。
1965年、日韓基本条約が締結され国交が樹立され、この時在日韓国人1世だけに条約上の永住権が認められました

日韓基本条約は既に効力を失っている

1世だけだった理由は韓国政府が在日の受け入れを拒否したからで、日韓で押し付けあって「1世だけ」日本が受け入れました
終戦後20年経過していたので1世の多くは中年以降であり、やがて居なくなると日本は考えたようです。
後に追加事項として在日2世にも永住権が認められましたが、3世以降は協議すら行われていません。
日韓基本条約は25年ごとに改定する事になっているが、韓国側が一度も協議に応じていないからです。
日本側は「韓国人の帰国」を協議したいが、韓国は絶対受け入れ拒否の立場を取っている。
1990年は改定の年に当たっていたが、韓国側は従軍慰安婦や教科書問題などで大騒ぎして協議そのものを拒絶しました。
さらに25年後の2015年の改定でも、竹島や従軍慰安婦で大騒ぎして、やはり日韓基本条約改定交渉を拒否しました。
国際条約は双方の合意によって成立するものなので、国際法では既に日韓基本条約は、韓国側の不履行によって効力を失っている
もし日米安保条約の改定をどちらかが求め、どちらかが拒否したら、日米安保は消滅する、そういうものです。
日本政府は在日3世以降に『滞在を許可しているだけ』で、密航者の子孫は日韓基本条約で定めた「在日韓国人」にすら該当していない。
日韓基本条約は韓国が「すべての請求権を放棄」日本は経済支援在日韓国人受け入れの交換条件になっている。
日本は全ての約束を守っている韓国は全ての約束を破ったので、こんな条約はもう効力がないのです。

My  Opinion.

なぜ、韓国人は同胞に冷たく差別するのか」について考察した。
李氏朝鮮時代の両班制度における差別意識に起因する悪い因習の一つではなかろうか。と吾輩は考える。
一般的に両班中人常人賎人僧侶、胥吏女官妓生医女男寺党奴婢白丁など)の4つに大(されている。厳密に明らかにして見れば、同じ身分層にもさまざまな差等があっただけでなく、階級と階級の境界を定めるにも曖昧な場合が多かった。両班身分の世襲による彼らの数的膨脹は、限定された国家政治機構への参与を取り囲んで、互いに利権と理念を異にする派閥を作るようになり、士禍党争という血なまぐさい対立抗争を起こすようになった。奴婢らは一種の財産と見なされて売買・相続などの対象になった。奴婢は公賎と私賎の2つに大別することができたが、彼らの中にも多くの階層があった。この外に娼妓巫堂広大なども賎人に属したし、仏教の没落とともに僧侶も賎人の待遇を受けた。賎人中でも最も賎待を受けた身分層は白丁で、彼らは人間以下の待遇を受けたし、特殊部落を成して一般人とも隔離された中で、屠殺・柳器匠などの作業を世襲しながら暮した。要約すると被差別者は差別者になると言われている。上の身分から差別されている者は下の者を差別してうっぷんを晴らすのである。そのような悪い因習を500年李氏朝鮮時代に行われてきたのである。差別意識の塊である。その片鱗が同胞をも差別する行動に出るのである。同様の問題は日本も近年まで存在していた。同和問題、部落問題などとよばれ、人権意識の高まりで、解決の方向にあり、あまり問題化されることが少なくなってきている。
 翻って、韓国人は同胞間でも差別意識を持つのは、人を見下して、上位の立場を維持しないと自尊心を保てない悲しい性であろう。
 仏教の慈悲の心を捨てて、孔子の論語ばかりを読んで、『論語読み論語知らず』の両班が増えたためであろう。
 蛇足であるが福澤諭吉著『学問のすすめ』にも「論語読み論語知らず」が出てくる。実学を学べと諭している。東洋が西洋に後れを取った原因は実学の軽視にあると説く。        どんとはらい!

参考文献・参考資料


「在日3世」の私が、韓国で「差別」されて直面した“祖国・韓国”への「強烈すぎる違和感」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

「在日3世」の私が、「先進国の日本」から移住してわかった「韓国=後進国」という残酷な現実(豊 璋) | マネー現代 | 講談社 (gendai.media)

「在日3世」の私が驚いた「日本大嫌い、北朝鮮大好きな韓国人」への“強烈な違和感”(豊 璋) | マネー現代 | 講談社 (gendai.media)

「在日3世」の私が、ある「韓国人の“寿司屋”での言い分」におぼえた「強烈な違和感」(豊 璋) | マネー現代 | 講談社 (gendai.media)

在日韓国人3世に「永住権」なし 日韓基本条約で受け入れ義務なし (thutmosev.com)

日韓法的地位協定に基づく協議の結果に関する覚書 - Wikipedia

李氏朝鮮の身分制度 - Wikipedia

論語 - Wikipedia

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