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政治講座ⅴ1181「ロシアの動乱と権力の奪還」

  政治研究者にとって、不謹慎であるが、研究材料としては最高にワクワクするできごとである。
 歴史を俯瞰すると、政権を奪取出来た要因はほとんどが武力背景としてある。そして、民衆の支持(含む旧軍人)と武力維持のための経済基盤(財力基盤)である。
 中国を例に出すと、後漢の丞相・魏王で、三国時代の基礎を作った曹 操孟徳は私兵(武力)と財力基盤を持っていた。そのために、後漢の皇帝から譲位をうけるように仕向けるのである。
 旧ソ連が共産j党内のクーデターの失敗で軍から支持をうけたエリツインはロシアの実権を握ってソ連は崩壊した。
 今回のロシア内の動乱は新たな政権の発足に繋がる政変になる可能性がある事件である。
 翻って、ロシアにおけるプリゴジン氏はロシアのオリガルヒ(新興財閥)の一員である。このように経済基盤と軍事利権を持つ人物である。
2014年にプリゴジンはウクライナのドンバス戦争に戦闘員を派遣するために民間軍事請負業者ワグネル・グループを設立。中南米やアフリカ諸国にも傭兵を派遣するなど様々な活動に関わった。
2018年2月、ワグネル・グループは油田の奪取を目標にとアメリカが支援するシリアのクルド人勢力を攻撃したが(ハシャムの戦い)、アメリカ空軍が応戦しワグネルとロシア同盟国は何十人もの死傷者を出している。
この様な国家権力とは別の利権で動く武力集団であることが次はロシアの国家そのものの利権を収奪することを目標に定めているならば、ロシア人のプーチン大統領の支持が無ければ、簡単に転覆できる可能性が出てきたのである。展開が楽しみである。権力と権力の衝突の結果は如何になるのであろうか。乞うご期待!

     皇紀2683年6月25日
     さいたま市桜区
     政治研究者 田村 司

後漢の滅亡(魏の曹操の子曹丕に献帝は禅譲により滅びる)

前漢は王莽により簒奪されたが、呂母の乱が勃発したのを皮切りに全国で反乱が起こり、最終的に南陽(現在の河南省南陽市)の皇族傍系の地方豪族である光武帝により平定された。しかし後に皇帝が若くして亡くなると権力は真空となり、皇帝の権力を利用できる宦官と外戚による権力争い、それに儒教の振興による地方豪族出身の知識人官僚の反抗が展開された。政局の混乱に耐えかねて民衆叛乱が頻発するようになっても、地方軍備の欠如が裏目に出て為すすべがなかった。

光武帝と第2代明帝を除いた全ての皇帝が20歳未満で即位しており、中には生後100日で即位した皇帝もいた。このような若い皇帝に代わって政治を取っていたのは豪族、特に外戚であった。第4代和帝以降から、外戚は権勢を振るうことになった。宦官の協力を得た第11代桓帝が梁冀を誅殺してからは、今度は宦官が権力を握るようになった。宦官に対抗した清流派士大夫もいたが、逆に党錮の禁に遭った。

外戚、宦官を問わずにこの時期の政治は極端な賄賂政治であり、官僚が出世するには上に賄賂を贈ることが一番の早道だった。その賄賂の出所は民衆からの搾取であり、当然の結果として反乱が続発した。その中でも最たる物が184年の張角を首領とした黄巾の乱であり、全国に反乱は飛び火し、実質的支配者であった10人の大宦官(十常侍)はその多くが殺され、混乱に乗じて董卓が首都洛陽を支配し少帝弁を廃位して殺害、この時点で後漢は事実上、統治機能を喪失した。

その後は、曹操や劉備らが争う動乱の時代に入る。後漢は一応存在はしていたが、最後の皇帝献帝は曹操の傀儡であった。220年、曹操の子曹丕に献帝は禅譲して後漢は滅びた。献帝が殺害されたと誤った伝聞を受け、劉備が皇帝に即位し、以降三国時代に入る。

プリゴジン氏がベラルーシに出国へ、「反乱」収拾か…衝突回避でプーチン氏譲歩の可能性

読売新聞 によるストーリー • 

24日、ロストフ・ナ・ドヌーの軍事施設から撤収するワグネル戦闘員=ロイター© 読売新聞

 タス通信によると、ロシアの大統領報道官は24日、露民間軍事会社「ワグネル」の創設者エフゲニー・プリゴジン氏に対する武装反乱を扇動した容疑での捜査が中止される見通しを明らかにした。プリゴジン氏はベラルーシに出国するとも述べた。ロシアの同盟国ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領が仲介役を務めたという。

 報道官の発言に先立ちプリゴジン氏は自身のSNSで、ワグネルの戦闘員に対し、モスクワへの進軍を停止するよう命じたと明らかにしていた。

関連するビデオ: ワグネルがロシア南部の都市掌握と主張、「プリゴジンの乱」にプーチン氏は断固たる対応(字幕・24日) (Reuters)

Reuters

ワグネルがロシア南部の都市掌握と主張、「プリゴジンの乱」にプーチン氏は断固たる対応(字幕・24日)

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 ワグネルの部隊は24日、南部ロストフ州の州都ロストフ・ナ・ドヌーの軍事施設を掌握し、モスクワに向け前進していた。プリゴジン氏による反乱は収拾する見通しになった。

 プーチン大統領は24日、国民向けのテレビ演説で、武装蜂起の開始を宣言したプリゴジン氏を「裏切り」と非難し、厳しく処罰すると宣言していた。プーチン氏がモスクワでの本格的な武力衝突を避けるためプリゴジン氏に譲歩した可能性がある。

 露軍側はワグネルとの戦闘でヘリコプターなどを撃墜され死者も出ているとみられており、プーチン氏の対応に一部で不満が噴出している。ロストフ州のメディアによるとワグネルの部隊はロストフ・ナ・ドヌーから撤退準備を進めているという。

参考文献・参考資料

プリゴジン氏がベラルーシに出国へ、「反乱」収拾か…衝突回避でプーチン氏譲歩の可能性 (msn.com)

劉邦 - Wikipedia

曹操 - Wikipedia

ロシアのオリガルヒ - Wikipedia

エフゲニー・プリゴジン - Wikipedia

ドンバス戦争 - Wikipedia

ハシャムの戦い-ウィキペディア (wikipedia.org)

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