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ヘイト・サウンズと、この国の行く末

個人的にこの3月は特に、教授にして世界のサカモトこと坂本龍一氏の曲を聴き続けていた。



昨年の今の時期に訃報が届けられ、そこから一年を迎えたということも一理ある。ゆえに此処noteで文字を綴っている時もイヤホン越しに両耳を、教授が遺した音楽で塞ぎ込むようにしながらひたすら垂れ流していた。

今年に入ってからも、今日までの日本を支えてきた著名人の訃報が、息継ぎする間も無く相次いで届けられている。

もしかしたらこの先もとどまることなく、この身が抉れてしまいそうな悲しい知らせが、立て続けに入ってくるかもしれない。

そう思うと日に日に、筆舌に尽くし難い感情がさらに昂りつつある。日常は取り戻せても、過ぎ去った時は元に戻せない。

今もなお、絶えることのない悪循環が取り巻いている中、なんとしてでも穏やかな心持ちで描きたい。

そう思いつつも、昨今の哀に満ち溢れた事情があちこちで飛び交っているのを鑑みると、心の底に宿った過激的なるものラディカルが抑えられない。



教授が愛した私たちの国日本は、教授自身が去ってからも日に日に状況は良くなるどころか悪くなる一方だ。

今年に入ってから、いや…自分が見る限り、平成から令和の時代に突入してからも、かつて体験したのことない冷酷な出来事が、次々と私たちに襲いかかってばかりいる。

仮に結婚や快挙達成などといった、私たちを勇気づけたり励ますような明るい話題が割り込むように入ってきたとしても束の間、やがて突然巻き起こった「憎しみ」という濁流に飲み込まれ、いつしか記憶の淵にまで追い込まれてしまう。

それもそのはず。利他の心に一切の関心を示すことなく、富と名声の保身のために能書きを並べてばかりいる能無し共が、民の命と未来を案ずることなくこの国の先陣を切っているようでは、私たちに繁栄と安寧を齎す約束なんてまずない。

そうした血の通わない人ならざる者には、いずれ取り返しのつかない事態と化してしまう前に、一刻も早く退場してもらいたいところだ。

しかしこの国でははるか昔から、臭い物に蓋をするという悪しき習慣が長いこと深く根付いてしまっている。

どれだけ少数で声を張り上げようと、自分達にとって都合の悪いことに関して、まったく耳を貸そうとしない姿勢を貫いている以上、彼ら彼女らが物見遊山ものみゆさん気分で胡坐あぐらをかき続ける非行を止めないだろう。

加えて、今まさに注目すべきものに対して、一切の興味や注目を寄せない人の割合が大きく増えてきているのも事実だ。

1つのゲームを攻略するための関連した本やサイトなどに依存しているような人々や、義務教育によって施された教科書通りでないと動けない人々にとっては、変えていくことのハードルの高さと、己自身の非力さを痛感しているのかもしれない。


未来はすぐには変えられない。けれど、変えるためのきっかけはすぐに作れる。


どれだけ努力を費やしてもすぐ結果に反映されなかったり、賞賛などに報われないこともあっただろう。

けれど、いつまで経ってもその痛みに逃げ続けてばかりいては、また必ず何かしら起こりうる災いを乗り越えることは叶わないと思う。

そのために、ほんの少しだけでも変えていく方向に心を傾けることが、今の現代に生きる私たちがこれからも生き続けていくために、もっとも求められている一つの動きではないだろうか。

そして、この国で生まれ育ったうちの一人として、美しい形を未来永劫のこし続けていくためには。


最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!