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隣のアパートの老夫婦の話

通路を挟んだ向かいに老夫婦が住んでいた。
顔も年齢も何も知らないけれど、わたしが窓を開けるとかなりの頻度でおばあさんの怒鳴り声が聞こえる。それに対して、呂律が回らないおじいさんの怒った声が聞こえる。

外の空気を吸いたいと思ってベランダに出ようとする度に、その声が聞こえてきてお腹のあたりがぎゅっとして、すぐに窓を閉める。それでも微かに聞こえてくる。
「違う建物でさえこんなに聞こえるのに、同じアパートの横とか下とか人はよくだな…」
といつも思っていた。
住んでいる部屋は気に入っているけれどそのせいで心がざわざわとした。
「はやく居なくならないかな」
なんて思っていた。

約1年経った冬にふと思う。
「そういえば最近、窓を開けていないせいか声が聞こえないな」

そこからまた少し経った頃、窓を開けるとその老夫婦の部屋の窓が開いていた。1度も見たことがなかったので不思議に思った。よくよく見てみると、何やら清掃員のような人たちが部屋を片付けていた。部屋の中のものが全てごみ袋に入れられ、外に出されていた。

その老夫婦はいなくなっていた。

どういった経緯でそうなったのかはわからないけれど、何だか切なく感じた。運ばれていく袋を見て、
「ちゃんと必死に生きていたんだよな」
「頼れる人はできたのかな」
そう思った。

上京して、アパートやマンションの密集している場所を遠くから眺めることが好きになった。それを見ていると、どんなに落ち込んだり辛く思ったりしても、私はこの沢山の建物の中の1つの部屋に住む1人でしかないことを強く感じる。壁を挟んだ向こう側には全然知らない世界が広がっていて、1部屋1部屋の暮らしがあって、1人ひとりの人生がある。希望をもてる。

それでも壁に囲まれたこの部屋にいると、ここが世界のすべてに思える。

「あの老夫婦は生きているのだろうか」
今も窓を開けると、空になったその部屋を見て思い出す。





今、この文章を書いていて
「果たして夫婦だったのか?」
と疑問を抱いた。私が勝手にそう思っていたのかもしれない。
なぜわたしは夫婦だと決めつけていいたのだろう。




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