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【掌編小説】ユトリロの飾ってあるあの部屋にもう行けない

※以前詠んだ自由律俳句を表題にして作成したエッセイです。


彼の背中に手で触れた時、もう違うのだと直感して、そこからは早かった。


感情に巻きついていたありとあらゆる色の紐がするすると解けていき、自分がどうしたいのかがはっきりと分かった。

つい半月前に彼から来ていたメールには、

東京の西荻窪で良い物件を見つけた事と、そこは駅近で、スーパーもあって、お花屋さんも、本屋さんも、食べ物屋さんもある、だからきっと君も気に入ると思うよ。

そんな事が書いてある。

私が暮らすわけじゃないのに「きっと気に入るよ」なんて言ってしまう彼の能天気な朗らかさも、心から好きだったんだと思う。


私達は10代最後の夏の始まりに付き合い初めて、多分、世の中にいる多くのカップルと同じような軌跡を歩いてきた。

春には奈良公園にお弁当を持ってピクニックに行ったし、夏には浴衣を着て宇治川に浮かぶ花火を見た。
秋には中之島に咲く薔薇をみて手を繋ぎ歩き、冬は寒いけど綺麗だねなんていいながら、神戸のポートアイランドの夜景を眺めた。

そんな一年を何度も繰り返して、4年の月日を過ごした訳だけれど、久しぶりに触った生身の肌に、私はもう何も感じ得る事が出来なくていた。
「あぁ、もう無くなってしまったんだなぁ」と小さく、自分しか聞こえない位の声で呟いた。

その日。

彼が明日、東京に旅立つ日の前夜。

引っ越しの片付けを終えて、住んでいたアパートを引き払った後、私のマンションに泊まりに来た。

窓を開けると、日中の陽気の名残を含んだ生暖かい風にのって、どこかの家の夕食の匂いがした。

また今度唐揚げ作ってよって
多分、もう分かっていたのに彼は言った。

ごめんね、もう君とは居れない。
東京で会うこともない。
西荻のマンションに私が行くこともない。

暫く空中に浮いた言葉を
深い深い深呼吸をして飲み込んでから

知ってたよ、と彼は言った。

年月が私と彼を少しずつ変えていった。
水が穿つ岩のように、川を流れる小石のように、一目見て分からなくても私達は確かに少しずつ変化していって、それは違和感となって積もっていった。

違和感と感じていたのは何方もだったのだろうか。
もう決まりきってきる結末に対して何かが起きることはなく、されど、私たちは最後になる夜を抱き合って眠った。


下から見上げる長い睫毛と、すっかり彼に染み込んでしまっているハイライトの匂いを、いつかは忘れてしまうんだろうと思っても涙は全然出なかった。

翌朝私は先に起きて仕事に行き、
淡々といつもの1日を過ごして、いつも通りの時間に家に帰った。

ポストには鍵とメモが入っていた。

僕の知らない絵や本をたくさん教えてくれてありがとう。
僕の青春は君との思い出ばかりだった。

簡潔な文章と角ばった文字は如何にも彼らしい。私は別れを今更に実感する。

そして思う。

ああ、あの、ユトリロの飾ってあるあの部屋にもういけない。



彼は私があげたユトリロのモンマルトルのポストカードを部屋に飾っていた。

その部屋はもうない。
きっと来月には違う誰かの部屋になる。

そしてあのユトリロの絵は、彼の西荻の新しい住まいに飾られることもないだろう。

私は別れを今更に実感する。
頬に一筋だけ涙が流れた。

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