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「おもしろい」とは何なのか

「おもしろいデザイン」とか、「おもしろい絵」とか、「これはおもしろい!」となる体験や褒められた経験は、何かを作ったり見たりする中でよく経験する。クリエイティブの分野で、「おもしろい」とは一体何なのか。

私の中で「おもしろい」とは、見たことがないもの、自分の頭の中には全くなかったもの、予想もしていなかったこと、表現が斬新なもの、発想が斬新なもの、などと思っている。これはわりと共通しているのかなと思う。

私は大学時代、ぱっと見た印象が面白いのが一番大事だ、と思う人間であった。ビジュアル重視。結局それが全てだ、と思っていた。しかし、専門のとある課題で、自分なりにかっこよく、おもしろいものができたと思ったものの、講評の結果はボロボロで、そのデザインしたものが「何なのかビジュアルでわからない」限り、何も意見はもらえないのだった。

おもしろいじゃん!かっこいいじゃんこれ!と我ながら嘆いてしまうのであった。悔しく、なぜ意見もしてもらえないのか、全くわからなかった。そこで私は思ってしまった。「自由な表現に重きを置かれる場では、評価されていたのかもしれない。」つまり、その場とは、私にとって大学のことである。やめたくせに何を思うんだ、自分で決めたことだろう、覚悟はしていただろう、と自分を叱った。

それから思うのであった。「もしかしたらこれは、これからデザインや作ることをやっていく上で重要な壁なのでは?」と。

自由な表現に重きを置かれる考え方も、何なのかわかることを大切にする考え方も、どちらが正しいとか悪いとかではなく、どちらも大切な考え方だ、と思う。この二つの考え方それぞれの、「おもしろさ」とは何なのか考えてみた。

●表現に重きを置かれる、主なおもしろさ

迫力、何なのかちょっとだけわかる、何なのかちょっとわからないけれど響く何かがある、絵、 またはグラフィック的に印象が強い、個性がある、大胆、表現している「こと」も含め個性がある、表現方法

●何なのかわかることに重きを置かれる、主なおもしろさ

「何」の部分のモノと表現が合っている、 または「何」なのかわかる範囲での表現の斬新さ(ギリギリを攻める)、親近感がある、既存の概念が新しく見える、共感性

いろいろ羅列してみてわかったが、この2つは違うようで似ていると思う。主な、ということで分けて羅列してみたが、わりとどちらにも当てはまるやつも多かった。

気づいたことは、自分が「どちらを目指すか」によって作るものも変わってくるということだ。絵的なものを重視する場合、何なのかわからなくてもいい!と潔く捨ててしまうのも、ある種のデザインなのでは?と思うのであった。それはアートだという意見もわかる。だが一周回って「意図的にアートを作る」というのも一種のデザインなのでは、と思うのであった。

私は、この2つの考え方の間を行きたいと思う。何なのかギリギリわかって、絵的に面白いもの。でも、たまには思いっきりアートやったり、バチバチにわかるデザイン作ったりしていきたい。

自分の中のモヤモヤを、こういった形で残せてよかったと思う。あのとき、講評で褒められていたら、もしかしたら私は何なのかわかることについて、これほど考えていなかったのかもしれない。何事もポジティブに変換して生きていきたいと思う。

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