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親愛なる少女小説たちへ

 突然ですが、私は少女小説と呼ばれるジャンルが大好きです。更に細かく言うならば、大正から昭和に書かれたような、品行方正・清廉潔白な少女たちの関わり合いを描いたものから、一転、糖衣錠の劇薬のような癖の強い少女像も、そのどちらも愛しています。
 少女という、奥深くも摩訶不思議な存在を描いた物語を好むものの端くれとして、本日は私の偏愛する少女小説をご紹介させて頂きます。
 前置きが長くなりましたが、同じ趣味を有する方はもちろん、興味があってこれから読みたいという方の選書のお手伝いになれば幸いです。




少女小説とは


 今回はあくまでも私の考える「少女を主役とした物語」を少女小説と定義した上で、紹介を進めさせて頂きます。(ちなみに、ここで言う少女とは年齢ではなく魂の有り様を指しておりますので、成人している場合も多々ございます。)
 なお、所謂エスや百合的な描写の有無は問わないものとさせて頂きます。

吉屋信子作品といえば格調高い美文


〈花物語〉
 まずは少女小説界の代表格にして、金字塔とも言うべき「女学生のバイブル」から。こちらはもう何十回読み返したか分かりません。おそらく生涯読み続けることと思います。『ミシン2/カサコ』(嶽本野ばら著)の中でも、傘子がミシンの家に引っ越す際に「花物語は私のバイブルなので」と持ち込んでおりますが、私も仮に同じ状況になったら、同じことをすると自信を持って言えます。
 本作に限らず吉屋信子先生の作品はとにかく文章が美しく、読むだけで心が洗われる思いになります。清く正しく美しく生きる、健気で儚い少女たちの世界が、和歌の如くたおやかに叙情的に描き出されています。
〈からたちの花〉
 この作品が印象的な理由として、主人公の麻子が“綺麗ではない”という、この時代における少女小説にしては、有りそうで無い設定が大きいのではないかと思います。吉屋信子先生ご自身にとっても、忘れられない主人公であるという旨が、冒頭に書き添えられています。
 生きる上で大切にすべきことは何か、真に尊いものとは。そういった普遍の命題に触れている清い物語です。地の文がすべて、ですます調で書かれていることも美しさに拍車をかけているのではないでしょうか。
〈他、『帰らぬ日』『暁の聖歌』『わすれなぐさ』『小さき花々』など〉

宮木あや子作品に息づく少女たち


 宮木あや子先生の描く少女の世界は、等身大の生きた人間としての少女のあがきが、歪で痛々しくも美しく、胸に迫るものが多い印象があります。
 思春期という時期に磔にされた少女から、年齢的には成人していても、永遠に少女という役に留まることを選んだ魂まで、実に広い意味での少女の姿をみることが出来ます。
〈雨の塔〉
 美しい停滞期間を共に過ごすのは、出自や家庭環境などに何かしら問題を抱えた少女たち。寮への「ラプンツェルの塔」という呼び名に始まり、テーマパークのような町並みや、白い貝殻を灰皿にするなどの小物の描写に至るまで、とにかく可愛さが煮詰められています。ただし、あたかも塩とスパイスで出来た繊細なケーキのように、甘そうな見た目通りではないのでご注意を。
〈官能と少女〉
 年齢を問わず少女と呼ばれる生き物が背負わされる“官能”とは、かくも辛く重いものかと胸が痛みました。タイトルやメルヘンチックな表紙から受ける甘やかな印象を、顔を背けるように華麗に裏切ってくれる珠玉の短編集。身一つで毅然と世界に立ち向かう、少女たちの孤高の生き方と気高さは、ときに悲哀をはらみつつも、やはり美しいのです。
〈他、『ヴィオレッタの尖骨』『春狂い』『あまいゆびさき』など〉

リトルプレス本という秘宝


 七木香枝先生の作品をご存知でしょうか。私にとってそれは、まさに運命の出会いでした。探し求めていた理想郷がここにあったのだと、心の底から歓喜しました。リトルプレスだからこその趣向を凝らした装丁が美しく、つい時間を忘れて眺めてしまいます。
〈爪先に、結んだリボンをひっかける〉
 少女にとっての世界は与えられた小さな部屋であり、そこには秘密という名の透明なリボンが幾筋もたゆたっている、という設定だけでも、あまりの甘美さにため息が出ます。加えて世界を支えるために、特別な血をひく少女たちが踊ることが必須であるという、世にも耽美なお伽噺。仮想大正浪漫のような世界観や、リボンの描写が大変美しく、読みながら色彩に溺れそうになりました。
〈とある寄宿舎のビター・スヰート〉
 こちらは上記の作品の後世のような雰囲気を纏う、地続きの世界を舞台に、「花園」と呼ばれる寄宿舎で暮らす少女たちの連作短編集となっております。鳥籠を模した四阿や、舞踏室での踊りと踊りのための特別な靴、踊ったあとの心身を癒やすお茶と豪華なお菓子など、美しい箱庭的な要素を楽しむことができます。最後に驚き、また最初に戻って読み返したくなる構成です。

一癖も二癖もある分、魅力も倍増


〈TUGUMI 吉本ばなな著〉
 こんなにも苛烈で存在感のある少女を前に、果たして好きにならずにいられるでしょうか。もちろん好みは人それぞれです。ただ、私は誘蛾灯に飛び込む蛾の如く、フラフラと引き寄せられずにはいられませんでした。
 意地悪で言葉遣いも粗雑なつぐみを、最初こそ好きになれないタイプの少女かもしれないと思っていたのですが、それがどうでしょう。読み進めるうち、閃光のような生命が抱える、脆さや不器用さ、いじましさといった一面を知るにつれて、瞬く間に虜になってしまいました。
 短くとも濃密なひと夏の情景が、少女たちの生活を通して描かれ、それらが様々な出来事や出会いを連れて、圧倒的な郷愁と感傷を胸にもたらします。その先頭に立って不敵に笑むのが、真っ白いワンピースを着た、病弱な美少女つぐみです。口を開けば悪態をつき、時に命を削ってまで嫌がらせをして、けれど本当は強がりで寂しがりなひとりの女の子。
 やはり私は、どこまでも鮮烈な彼女を好きにならずにはいられないようです。

〈聖少女 倉橋由美子著〉
 “美徳ちゃん”。そんなふうに清純なMのことを、友人の顔をしながら内心で嘲笑ってしまう、悪徳に満ちた未紀の姿もまた、極めて少女的に映ります。“パパ”への恋愛感情でさえも、未紀の言葉で語られると、なぜか愛らしい印象を受けるのは、これも彼女の一種の魔力によるものなのでしょうか。身勝手で傲慢でありながら、不思議と憎めない。その天性のコケティッシュさは、これぞファム・ファタール。

愛することは恥にひとしい、それも他人をとおして自分を愛していたのだと知ると、ほとんど死に値する恥です。

 魔性の面を持ちながら、このような意識も内包する未紀の魅力は無限大です。

〈さようならアルルカン/白い少女たち 氷室冴子著〉
 タイトルに込められた意味がそれぞれ秀逸な、初期作品集。一方的な憧れや神格化と、そこからの落胆や軽蔑に至る心の動きが鮮やかで、まさに思春期の少女がここに居ると思わせてくれます。
 中編『白い少女たち』では、過去に受けた深い傷を抱えながらも、それによって魂の美しさが損なわれるかどうかは、本人の心ひとつなのだということを、凛とした生き方で証明してくれる倫子の強さに、胸を打たれました。

文豪の手による少女小説


〈女生徒 太宰治〉
 どうしてここまで異性、それも思春期の少女の心情をありありと描けるのでしょう。初めて読んだときの衝撃は、色褪せそうにありません。少女は、日常の中で目まぐるしく一喜一憂し、最後は心晴れやかに終わりを迎えます。主人公の一人称形式で描かれるため、良い意味で主観的であり、それが少女特有の感情を違和感なく物語ってくれます。
〈乙女の港 川端康成〉
 昭和初期のミッションスクールを舞台に繰り広げられる少女たちの人間模様が、さすがの精緻な文章で紡がれています。正反対の上級生ふたりから手紙をもらう主人公という、少女小説における「王道」の展開でありながら、この先どうなるのだろうと読者を惹き付ける展開の数々。悩み、喜びを分かち合う少女たちの姿に、今日までどれほどの乙女が胸をときめかせてきたことでしょう。

まだまだ尽きない少女の世界


『森をひらいて』『ジゼルの叫び』雛倉さりえ著。
『無垢なる花たちのためのユートピア』より『卒業の終わり』川野芽生著。
『ゴシック&ロリータ劇場』大槻ケンヂ著。
『聖女伝説』多和田葉子著。
『紫苑の園/香澄』松田瓊子著。



終わりに


 ここまでお読み頂き、誠に有難うございます。
 ひとくちに「少女小説」と言っても、世の中には数多の少女の解釈と世界があり、どこまでいっても果てなど無いように思えます。
 多くの作品の中で、少女たちは時に大きな何かに抗い、またある時は胸を昂ぶらせながら、自らの瞳で世界を見据えて生きています。その刹那のきらめきの眩しさと多様さに魅せられることこそが、少女小説の醍醐味であり楽しみ方ではないでしょうか。私はその考えのもと、今後も少女小説の世界をさまよい続ける所存です。
 最後に、今井キラ先生の画集『月行少女』の帯に寄せられた、辻村深月先生による名文をご紹介し、終わりとさせて頂きます。長文乱文、失礼致しました。

フォークの一刺しで崩れそうなほどに脆く、けれど、誰にも傷つけることを許さない強さを持って、彼女たちは胸を張り、“少女”であることを囁く。
ささやかな優越感をひけらかし、永遠に少女にとどまったもの悲しさすら、歌いながら。

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