今年の春「ごめんなさい」を卒業する
ふたりで迎える春は、これが初めてである。
春夏秋冬、人は毎年季節が巡ることを知っている。だが明確に、あの年の夏、など記憶にあるだろうか。それも、幸福なものにかぎるとしたら、どれほどの人が心に携えているのだろう。
春という季節はあっという間だ。「一夜」のように短い。どうやら全国で毎年桜が咲いていたようだが、どうにも私の記憶には見当たらない。さすがに桜という花の存在は知っていたが、私に必要ないものだった。神様や天国のように、掴むことのできない空想であったからだ。
・・・
「別に見れなくてもいいよ!」
そう言いつつも、カーテンをひらりと開け、あなたは窓の外を覗き込む。
恋人の家に昨晩から泊まっていた。どうやら桜の満開が見れるのが今日までだという。雨が降ってしまえばきっと多くの桜は今年もう散ってしまうとのことだった。
あなたは、桜が好きだと言っていた。
半年ほど前お付き合いを始めた頃から、恋人はそう教えてくれた。一番好きな花は桜。ずっと覚えていた。春になったら必ず一緒に見に行こう、と、誰よりも意気込んでいたのは何を隠そう私である。
「好きなお花は何?」
そう聞いたとき、しっかりと答えが返ってくると妙にどきりとするのは、私の考えすぎだろうか。きっと好きな花があるということは、思い浮かべる人がいると思っていたから。そうであっても、そうでなかったとしても、私が駄々を捏ねる隙間などない。
今週ふたりの休日が合う、最後のチャンスだった。先週も散歩がてら桜をふたりで見たのだが、まだ一分咲きだった。
どうしてこんなにも短いのだ。桜は淡く、可愛らしい見た目をしているのはもちろんだが、この儚さ、切なさに人は魅力を感じるのだろうか。どの季節でも雑草のように咲き続けていたらきっと、人々にまた違った目で見られていたに違いない。
どうか雨よ降らないでくれ、そう願いながら私たちは身支度を整え、出かける。
恋人は、何かうまくいかなかったとしてもいつも気を落とさないでいてくれた。例えばふたりで楽しみにしていた場所が臨時休業だったとしても、出かける予定だったのに私が風邪で寝込んでしまっても、平気な顔をしてくれた。そのあと微笑んで、私の手を包んでくれた。きっと、桜が散ってしまっても——
私は知っている。恋人には本当は欲しくてたまらないものがあったり、見たい景色、食べたいもの、行きたい場所がたくさんある。それら全てをすぐに叶えてあげられない自分を、私はときに弱く感じてしまう。
それでも、私は何度でも奮起する。日々血眼になって仕事をする。どれほど無謀と思えても、私は叶えたいから。こうして手を動かし、言葉も紡いでいる。
・・・
ふたりで迎える初めての春は、どうしてこんなに緊張するのだろう。
別に、恋人の前で心と身体が張り詰めているわけではない。そういったものではなく、幸せが動きだすときのそれだ。
天気は予報よりも雲が薄くなり、日差しも少し出てきた。私の緊張が少しずつほぐれていく。
向かう途中の電車内、私たちが立っている前の席がひとつ空く。恋人はいつも、身体があまり強くない私に譲ってくれた。そして私は口癖のように言ってしまう。
「ごめんね」
そんな私を見て、恋人は不思議そうな顔をいつもしている。「なんでごめんなの!」と、そのあと笑っていた。
電車から降りて公園に向かう途中、喉が渇いたのでアイスティーを飲んだり、恋人が好きな卵やチーズが入ったハンバーガーをテイクアウトしたりした。
私たちはきっと絵に描いたような、ごく普通の恋人同士である。そんな自分たちを俯瞰で見ると私はいつも、涙が溢れそうになるのだ。
ずっと私はひとりだったから。30歳もとっくに過ぎ、まさか私が、人を愛し、愛される人生になると思っていなかったから。そんな私は今年の春に、恋人と同棲を始める。私を抱きしめるように、あなたはよく言ってくれた。
「どれほど外で居場所がなくても、もう今度は帰ってくる場所があるんだから。なんでも頼ってね」
それを聞いて、私は咄嗟に「ごめんね」と言いそうになる。この心のクセを、私は早くなおしたい。「なんでごめんなのー!」と恋人がまた笑いながら叫びだしてくれそうだ。
私は、私のことを想って行動してくれる人を申し訳ないと思ってしまう。「私なんかのために…」と。
それはもうトラウマのようなもので、過去に仕事や友人関係、家族との関わりで、私は人の期待に応えられたことがなかったから。そして自己肯定感の低さから、私は人の好意や厚意を素直に受け取れない。
仕事でも私は何かをしてもらったとき「ごめんなさい」とよく言ってしまう。
精神的に追い込まれ、限界で限界でどうしようもなくなったあとに病院に通い始めた時も、私はそこの先生にまず言っていた。「こんな状態の人を診ることになってごめんなさい」と。
でももう私は変わった。
何より恋人が、私を変えてくれた。
そう言うと恋人はまた「私はなんもしてないよ!」と言ってくれるだろう。天真爛漫な彼女の笑顔が好きだった。私はそんな彼女だからこんなに好きになった。日々恥ずかしげもなく、愛する気持ちが止まらないと想う。
いつでも、毎日、私は恋人に感謝している。困ったときはすぐに頼っている。恋人に何かあれば、いや、何かなくても私はすぐに駆けつける。私だって人を支えられる。恋人との関係だけでなく、仕事でも友人でも家族でも、「ごめん」じゃなくて、日々「ありがとう」を渡し合って生きたい。
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雨はほんの少しだけ降ったが、ほとんど支障のない範囲で済み、無事桜を私たちは満喫した。
桜をふたりでぼんやりと眺めていた。
そうして恋人はぽつりと、そして確かな声で言う——
「桜見れて本当によかった。来年もまた、一緒に見に来ようね。連れてきてくれてありがとう。」
・・・
私は桜が好きだ。
毎日、毎秒見れる花だったとしても、私は桜が好きだ。愛する人と見た初めての「春」、私は一生忘れることはないだろう。
恋人の家で夜、ふたりで唐揚げを美味しく揚げた。お酒で乾杯をする。これからの愛も誓って——
だが私は勢い余ってお酒を恋人の服に少しかけてしまった。私はどれほど決心しても、ドジなのだろう。「ごめ〜〜ん!!!!」と叫んだ夜は心地よく、確かに心に携えた2024年の春である。
詩旅つむぎ
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