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父、30歳こえた私と手を繋ぎたい理由



「もう、今日くらいしかないだろう」

 私の父はわかりやすい。動きを見たり、表情を見たりすれば一発である。何度も窓の外に目をやったり、もう朝に掃除をしたはずの場所を何度も布巾でこすっている。ぼんやりしているふりをして、私の方に目線を向けているのがばればれすぎて可笑しくなってしまう。

「しばらく一緒に出かけられないかもしれないしね」

 そう気恥ずかしそうに私は答えてしまった。もっと、孝行を伝えたらよかった。後付けだったとしても、「いつでも帰ってくるからね」くらい——


 来週、私は実家を出る。

 実家といっても、私は父とふたりで暮らしていた。母は父と離れて暮らしている。両親は私の幼少期から関係が潤ってはいなかった。その話はまたいつかできたらと思う。

 もともと10年ほど前、大学卒業と同時に私は一人暮らしを始めていたのだが、精神的な理由で私は数年前、父の元に戻ってきていた。母ではなく、父のところに帰ったのは、なんというか本能的なものが大きかった。その「本能」の部分を、もっと上手に言語化はきっとできるのだが、それをしてしまうと誰かを傷つけてしまいそうでとてもこわい。

 私は両親ともに、愛情深く育ててもらったわけだが、父と母が離れて暮らしている以上、どちらかしか選べないという状況は、私の胸を窮屈にした。だがもっと、両親の心は曇っているであろうことを考えると、私ばかり痛んではいられない。

 新卒で入った会社で精神的に追い込まれた私は、当時鬱になり、パニック障害を患った。だがそんな私が父のもとに帰ったとき、父は笑っていた。

「だってお前はお前なんだから。父さんの子であることに変わりはない」


 この意味が、私にはありありとわかる。私がもしも「父」になるときが来るとしたら、子にそう伝えたい。そして、愛するパートナーにも。

 実家を出る理由は、私が恋人と同棲を始めるためであった。人生で初めての同棲だ。あまり恋愛経験もなく、人脈も細い私にとって、これは人生のビッグイベントと言っても過言ではない。

 それだけではない。笑われるかもしれないが、私は恋人のことが大好きであり、心の底から愛している。もっと比喩や、別の表現を絡めて綴ったほうがよいのかもしれないが、気持ちが"そう"であり、これ以上に形容できそうにない。恋人の笑顔が私はとても好きだが、彼女がどれほど哀しい表情をしていても私の愛が薄まることはなかった。

 30年以上、私は知らなかった。私はこんなにも人を好きになり、愛するのだなと。いまでもときおり、自分で自分を不思議に思う。それくらい私にとって、恋人はもうすでにかけがえのない人であり、「家族」だった。


 そんな新しい家族とともに暮らすために、来週引っ越しが控えている。本当の意味での最後になるわけではないけれど、引っ越し前の最後、父とふたりで散歩にでも出かけようという話になった。


 散歩中、色々な話をした。

 それこそ私の恋人や、今の私の仕事の話。家族のこと、将来のこと、今までのこと。話足りるなんてことはなくて、だから、家族なのだと思う。私が今、父に対しても、恋人に対してもそう思うから。

 私の父は70歳をとうに越えた。

 周りの70代を見ると、父はまだまだ大丈夫、とも思うがそれは私が息子特有の贔屓をしているだけかもしれない。

「ごめん、これ前にも聞いちゃってたよな」と申し訳なさそうに私に話してきたり、「もう初めての街を歩くのはこわいんだ」と気持ちを溢したり。父の"老い"というよりは、儚さのようなものを感じてしまう。

 昔はバリバリの会社員で、出世街道を突き進んできた父。周りからのパワハラ、モラハラなんて当たり前。そんな環境を跳ね除けて、自身を貫いてきた人だった。それができたのは父が自分の性分がそうであったからと話すが、私は違うと思っている。何より"家族を守るため"だったのだろう。



 ・・・


 散歩の途中、父が私の恋人にお守りを買いたいと言い始めたので購入することに。私も負けじと、恋人への分を買った。

 いつでも、どこへいても、私は父のことが好きで、恋人のことが好きだ。"どこへ"と言っても、今住んでいるところと、同棲するところの場所は、片道電車で1時間とちょっとだけれど、父からしたら、"遠くへ行ってしまう"という感覚であろうことはよくわかる。

 私から何度も帰ろう。そして、私と恋人の写真をたくさん日々届けようと心の中で誓いながら、私たちはなんてことない、特に綴ることもないような散歩を続ける。



散歩途中に寄ったコメダ


なんか異様におおきかったカフェモカフィーユ



 散歩の途中、コメダ珈琲に寄った。

 本当にどこにでもあるような日常だった。ただその日常こそが、簡単ではない幸福なのだと思う。

 常に感謝の心を持ち、私は生きたい。なんだか綺麗事ばかり並べるnoteのように見えるかもしれないが、私は小難しい話が苦手なので、どうか許してほしい。


 そして散歩も終わりかけの頃、父は私に気恥ずかしそうに言った。

「父さんは今でもお前と手をつなぎたいと思っているし、ほっぺにチューくらいしたいと思うんだよ」


 父のあまりの素直さに、私は笑みをこぼす。父さんの子なんだから、と、街の音にかき消されるくらいの声で父は続けた。少しの間を置いたあと、父の腕に私は自分の腕をからめる。

「これでゆるして!」と伝えた。

 にっこりと、甘いまんじゅうを食べるときのような笑顔だった。

 ぜんぜん、今日だけじゃないよ。これからも散歩にたくさん出かけようね。



 詩旅つむぎ

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