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永遠は意味のないものの中に

繁忙期の連勤終わり、ケンタッキーのオリジナルチキンと缶ビールの入ったビニール袋を揺らして秋めく夜の田舎道を歩く。カーネルサンダース感謝祭とご褒美のタイミングがマッチした今夜くらい、贅沢したっていいだろう。

いつになくほくほくとした足取りで帰宅すると、父から一通の茶封筒を渡された。卒業した大学の学会誌である。会長に就任した教授の挨拶文や活動報告が確か年に一度か二度くらいのペースで届く。ビールを冷蔵庫に入れてすぐに封を切った。英文学から離れた私には特に縁のない情報を読むともなく眺めていると、恩師の訃報に手が止まった。


卒業後ほどなくして体調を崩され、退職されたという話は聞いていたが、その後も学会誌に論文を寄稿されており、拝読するたびに熱心に研究を続けておられる姿を目に浮かべていた。


仕事であったものがそうでなくなれば、金銭的モチベーションや環境的な優遇は失われるはずである。体力的にも万全でない中、文学と向き合い続ける教授の情熱がどれほどであったか。敬意がこみ上げると同時に、もう先生の論文を読むことはできないのだと思うと、先ほどまで豊かに漂っていたはずのチキンの脂とスパイスの香りが褪せていくように感じた。



私たちゼミ生は、先生のことを”おじい”と呼んでいた。直接そう呼びかけたことはないが、学生がつけるあだ名にありがちないじわるな悪意は少しもなかった。


大学で受けた講義はどれも個性的だったが、中でもおじいの板書は衝撃的だった。小説の内容についての授業なのだが、黒板にはみるみる図形やら記号やらが記され、隙間はテキスト内のキーワードでみっしり埋め尽くされていく。



授業を受けているときは「なるほど」と納得するのだが、時間を空けてプリントを見返すと謎の不等号やグラフの解読に頭を抱えることとなる。テストは持ち込み可だが、黒板を写しているだけではなんの役にも立たないので、おじいの説明を自分なりに要約し、猛スピードで書き添える。


独特の板書スタイルはゼミ形式の講義でも健在。だが、書き込まれるワードは、学生たちがその場で発言した言葉からピックアップされるようになった。おじいのゼミでは、先行研究は使わない。今この瞬間、ひとつの教室に集ったメンバーで意見を共有し、答えを導いていく。

解釈とは呼べないようなささやかな気づきや感想も、おじいは黒板に書き留めていった。口にした自分たちですら「これは違うだろ」と思っても「違う」とは一度も言わなかった。それを証明するように、バラバラの人間から出たバラバラの言葉たちは、90分後にはすべてつながり、チャートだらけの黒板は魔法陣のごとくひとつの解釈を浮かび上がらせた。


勉強としての読書は感情移入せずに読まなければいけないという固定概念を、おじいの授業はぶっ壊した。自分に引きつけて抱いた感想も、解釈につながる大事なパーツのひとつになる。読み手が味わってきた経験や体験が、作品に新たな側面をもたらすからおもしろいのだ。文学だ、研究だと肩ひじ張らずに、まずは楽しく読めばいい。


文学の寛容さを学んだ私はまたたくまに虜になった。バイトもせずに閉館まで図書館に籠り、作品と取っ組み合ううち、口座には返済不要の奨学金が振り込まれていた。



研究から遠ざかった今も本は毎日開く。おじいに教えてもらったように、小さな心の動きをすくいながら、時にはノートの端にチャートでまとめてみながら、作品の奥へ奥へ踏み込んでいく。上司にどんな汚い言葉を吐かれても、将来になんの希望が持てなくても、本を読むのが楽しいからぼちぼち生きている。読書という生涯の営みを与えてくれたおじいは、私が出会った先生の中で唯一「恩師」と呼ぶにふさわしい存在だ。


とはいえ、特別に深い親交があったわけではない。プライベートな話をする機会はほとんどなかった。就活が始まっても粛々と作品の解釈を進めていくだけ。志望企業や進捗を確認されたこともない。教授と生徒というよりは、対人間としての距離が常にあり、ホームパーティーに招かれたとか、教授主催の勉強会に参加したとか、積極的に交流する他のゼミを「大学生っぽくていいなあ」と羨ましく思ったりもした。



誘えば飲み会はには来てくれたが、卓に酒があるという以外はほとんど授業の続きのようなものだった。他のゼミの友人に話すとぎょっとされるのだが、私たちはわざわざ授業で扱った作品名を出し、むしろ講義をせがんだ。物語について語るおじいは授業の時よりもいっそういきいきとして、聞いているだけで楽しかった。

今思えばおじいはおじいというほどの年齢ではなかったのだが、その文学一筋の姿勢が“先生”というよりは学者に近く、また私たちの間にある一定の距離を少しでも埋めたくて、“おじい”と呼びたくなったのかもしれない。



卒業後、おじいには一度だけ会った。

私は奨学金をもらったことで、自分に文学研究の才能があるのだと信じるようになった。このまま大学院で研究を続けられたら。しかし、我が家に私立の大学院に行く余裕などない。しぶしぶ内定をもらった和菓子屋に就職した。他に力が発揮できる場所があるとわかりながら、到底向いていると思えない仕事と向き合い、上司に好き勝手言われる毎日は苦痛以外の何物でもなかった。

お世話になった職場の先輩が「研究室に戻らないか」と誘われて退職したその少し後、まるで図ったようなタイミングでゼミ会の知らせが届いた。自分にも同じようにチャンスが巡ってくるのではないか。淡く卑しい期待を抱いて居酒屋へ向かった。話題が私たちの近況報告になるや、半ば戦略的に、半ば縋るように「本当は院に行きたかったんですよね」とこぼした。



おじいは少し戸惑ったように、口を閉ざす。束の間の沈黙に、自分の気持ちをおじいに打ち明けたのは初めてだと気づく。それからゆっくりと「汗水垂らして働いたお金を本に使うなんて、よっぽどすごいことですよ」と、背中をさするようにやさしく諭した。


在学中、お酒が入ったおじいは「どれだけ『この解釈の方が筋が通っている』『この読みの方が納得がいく』と議論したって、世界は変わらない」と語った。架空の物語について突き詰めたところで、だれかの病気を治せるわけでもなく、その日の食糧になるわけでもない。本なんか読まなくたって、立派な人はたくさんいる。おじいはだれよりも文学に没頭しながら、躊躇なくその無意味さをも説いた。


合理的に考えれば、貴重な人生の時間を費やし心を削いで得たお金を、そんな無益なものに使おうとするなんて、どうかしてる。ちょっとおいしいお肉を買うとか、旅行するとか、友達にプレゼントを贈るとか、他に有益な使い道はいくらでもあるだろう。


だが、意味のないなものには、意味のないものに価値を見出した者だけが味わえる楽しみがある。その享楽の世界に一歩踏み入れば、国も時代も関係ない。何百年も前の遠い国のだれかとつながり、分かち合うことができる。 


あらゆるものが効率化され、一分一秒ごとに意義が求められる世の中で、文学の力を信じ選び取ろうとする尊さに格差などないと、おじいは励ましてくれたのである。


私に大切なことを教えてくれた人、ともに人生の輝かしい時間を過ごした人が、この世を去ってしまったことは、やはり寂しい。でも、おじいは教えてくれたではないか。


文学を愛する者は時も場所も超えてつながり合えると。


だから私は今日も本を開く。
永遠は文学の中にあると信じて。


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