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私たちが本を読む理由がこの一冊にある。

「で、それが弊社でなんの役に立つんですか?」

”学生時代に頑張ったことと”として、19世紀末のイギリス文学研究にのめり込んだエピソードを語り終えたところで、面接官はそっけなく放った。

イベントホールをパーテーションで隔てただけの会場は、量産された小部屋から生成された話し声で充満している。

「そんなに本が好きなら、院にいけばいいじゃないですか」

先ほどまで聞き取るのがやっとだったのに、煽るような口調ははっきりと届いた。

暗に「文学なんて社会では役に立たない」と言われているような気がして、怒りと悲しみでかき乱される。食ってかかりたい気持ちと、冷静であろうとする気持ちがけんかして、気まずい沈黙のあと、肯定とも否定ともつかない「いや」だけがこぼれた。


あれから9年。今は本屋のカウンターに立っている。

「売れない」「斜陽業界」とは耳にタコができるほど聞いていた。覚悟はしていたつもりだが、実際に働いてみると想像の何倍も状況は厳しい。とりわけ文芸は、電子の風に押される漫画や雑誌、ビジネス書より手に取ってもらうのが難しい。

日々しぼんでいく売り上げを前に、あの面接官の言葉が現実味をともなってよみがえってくる。

文学は、食べて飢えをしのげるわけでなく、病を治してくれるでもない。ネットのようにリアルタイムで情報を得ることもできなければ、オリンピックみたいな全世界を同時に熱狂させる大会があるわけでもない。

時々、私は紙とインクを手渡しているだけなのではないかと不安になる。それでもお金と時間を費やしてきたのは、本に宿る「楽しい」以上のなにかを信じてきたからだ。だけど、そのなにかはあまりにもぼんやりとしていて、「役に立たない」の声にかき消されてしまう。


アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(河出文庫)には、革命、戦争、圧政下のイランで、命がけでフィクションを読む女性たちが描かれている。

1979年、アメリカから帰国した著者はテヘラン大学の英文学教員となる。当時のイランは革命の只中。アメリカと友好関係を結び、近代化を進めたパフラヴィ―王朝から一転、イスラム教の教えを第一に掲げる指導者が実権を握った。

女性はヴェールの着用が義務づけられ、化粧やネイルは禁止。声をあげて笑うことも、階段を駆けあがることも、ましてや恋人や家族以外の男性と外を歩くことも許されない。信仰は革命の道具となり、女性は新体制の象徴的存在となるよう強要された。

帝国主義的とみなされた西洋文化は取り締まりの対象となった。テレビは統制され、映画は検閲にかけられ、アイスクリームもワインもハムサンドも自由に楽しめない。文学も例外ではなく、政府のイデオロギーに準ずるものだけが価値を見出され、他は書店から消えていった。

旧体制に関わった者、反対デモに参加した者は次々に投獄され、女性には執拗な身体検査や性的暴力が待ち受けていた。多くの命が奪われ、その中には無実の罪で捕らえられた人もいたという。


国内の分断が深まる中、1980年にはアメリカの支援を受けたイラクとの戦争が始まる。

いつ職を追われるかわからない緊張感、尊厳が侵害される苦しみ、死と隣り合わせの恐怖……。著者は一度は大学を離れるも、停戦後の1995年まで教壇に立ち続けた。


街には依然としてパトロールの車が走り、革命委員会は容赦なく市民の家に侵入してくる。監視と抑圧の中で、退職後も彼女は優秀な学生を集め、自宅で秘密の読書会を開く。


言葉に色を感じられなくなった詩人のマーナ―、敬虔なムスリムの家庭で育ったマフシード、欧米に憧れを抱くヤーシー、夫のDVに悩むアージーン、弟の束縛と進まない婚約者との関係に揺れるサーナーズ、カナダ移住を考えるミ―トラー、性的虐待、投獄と過酷な過去を持つナスリーン。

集まったのは異なるバックグラウンドを持つ女性たち。だが、その個性は一様に押しつけられた体制によって奪われていた。コートもスカーフも脱ぎ捨て、もうひとつの世界に飛び込むとき、彼女たちにとって束の間の休息であり、社会への静かなる抵抗でもあった。

著者が取り上げるのは、頽廃的、不道徳と評され発禁になった海外の名作たち。物質主義のアメリカを象徴すると敬遠されたフィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』、男性を振り回す女性を共感的に描いたと非難されたジェイムズの『デイジー・ミラー』、そして知的な男性を誘惑し崩壊に導いた小娘の物語、ナボコフの『ロリータ』……。

イランからはるか遠く、異なる社会システムの中で生まれた架空の物語。だが、登場人物や書き手の心情に寄り添うことで、自分たちの物語にしていく。


愛する女性を手に入れるため、ペテンで富を得、自分をつくりかえることで破滅するギャッツビー。革命の実現のため虐殺を続けるイランを彼に重ね、夢の魅惑と恐ろしさを知る。

自分を犠牲にしても周りの価値観にあらがうデイジーやキャサリンからは、恐れず自尊心を守り抜く勇気をもらう。

ハンバートに理想の女性像に仕立てあげられたロリータに、個性と人生の可能性を奪われた自分たちの姿を見出し、理想を他人に押しつけることの残酷さとそこから逃れる術を探る。

感情移入こそが小説の本質なのです。小説を読むということは、その体験を深く吸いこむことです。(p.183)


個の体験に引き寄せて読むことで、物語は新たな顔を獲得する。そして、読み手である彼女たちもまた、空想の世界を通して自分たちに突きつけられた現実と向きあうこととなる。

その貴重な数時間、私たちはみずからの苦しみと喜び、個人的な悩みと弱さについて自由に話あえる気がした。その休止のあいだは、両親や親戚、友人、そしてイスラーム共和国への責任を放棄した。自分が経験したすべてを自分の言葉で表現し、みずから思い描く自分の姿をこのときだけ見ることができた。(p.100-101)


互いの生い立ちや悩みをわかちあいながら、いきいきと自己の輪郭を取り戻していく彼女たちの姿に、大学時代に感じていた文学の力と熱を思い出す。

私が入っていたゼミの形式は、それぞれに意見を持ち寄って、みんなでひとつの答えを出すというもの。先生はどんな意見も黒板に書き込んでいった。解釈とまではいかないような感想の断片も、前に出たものと反対の考えも。読みの幅が膨らむほど、より大きなテーマへとつながっていく。

私が私のまま受け取った感情は、どんなにささやかであろうと、あの空間では受け入れられた。それは他の学生も同じ。言語も文化も時代も異なる物語を介して、その場にいる全員の人生が肯定される喜びを知った。


今の日本は、男友達と酒を酌み交わしたって、お気に入りのリップでテンションをあげたって、アイスクリーム片手に異国の物語にふけったって、命が脅かされる危険はない。いろんな国の文化や価値観に触れる自由が保障されている。

だけど、本当に心から自分らしく生きられているかと問われれば、素直にはうなずけない。

就職活動をしていた頃の自分は、私自身ですら自分のように思えない。みんなと同じ黒いスーツに、似たような髪型、メイク。サイトや本のテンプレ通りの志望動機。必死になって企業の求める学生になろうとしていた。

なんなら社会に出てからも、ルーティーンワークが向いているからと企画に挑戦させてもらえなかったり、女性なんだからサポートして当たり前と雑用ばかりをふられたり。周りから与えられる期待や理想と本当の自分とのズレをずっと感じてきた。

けれど、共同体から弾き飛ばされるのが怖くて合わせるうちに、自分はなにがしたいのか、そもそもなにができる人間なのかぼやけてしまったような気がする。

押し寄せる期待の波から逃れるように、私は本を手に取ってきたのかもしれない。空想の世界を楽しむだけでなく、そこでなにを感じ、なにを考える人間であるか確かめながら、消えそうな自分をつなぎとめていたのだと思う。文学は逃避の手段でありながら、現実と向きあうための救いの手でもある。


著者はノートにこう書きつける。

真のデモクラシーは、想像の自由なしには、また想像力から生まれた作品をいっさいの制限なしに利用できる権利なしにはありえないと思うようになった。人生をまるごと生きるためには、私的な世界や夢、考え、欲望を公然と表明できる可能性、公の世界と私的な世界の対話が絶えず自由にできる可能性がなくてはならない。そうでなければどうやって、自分が生きて、感じ、何かを求め、憎み、恐れてきたことがわかるだろう(p.558)


彼女たちは、読書会を経て、信じる幸福に向かって、自分の人生に責任をもって歩き出していく。その力強さに、私はもう一度、文学の力を信じてみたいと思った。

「文学なんて役に立たないだろう」と嗤ったあの面接官に、今ならこの本を渡したい。


「たしかに文学に実用性はないかもしれません。空想をただ楽しんでいるだけで、資格にもコネにもなりません。

ですが、登場人物たちの心に思いを馳せること、そこに自分の人生を重ねがら読むことは、”想像力”を養ってくれます。

あの人はきっとこういうタイプだとか、自分はこういう人間だとか、そうやって想像をやめて線を引いてしまったら、だれかとの関係も、自分の可能性もそこまで。

想像力を大切にすることは、自分が自分らしく力を発揮することであり、だれかがだれからしく生きるのを肯定することだと思うのです」

いつまで続けられるかはわかないけれど、書店員を名乗る最後の日まで私は胸を張って本屋に立とう。悩んで選んでくれた1冊があなたを救ってくれると信じて、明日も紙とインクとそこに込められた想像の可能性を届けるだろう。

◉アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(河出文庫)


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