見出し画像

いま子どもたちに伝えたいこと#01_「あいまいさ」を許容する


「わかりやすさ」に価値を置く社会

正義か悪か
白か黒か
正解か不正解か
損か得か

そういう極めて二元論的なものに支配されつつある今の社会で
どちらとも言えない「あいまいさ」を受け入れる力が
大人も子どももどんどんと弱くなっているように感じる。

人々が「わかりやすさ」に価値を置いている社会であるとも言い換えられるのかもしれないけれど,
わかりやすさを追求する過程で
本質的で大切なことがかなり削ぎ落とされている
ということを忘れて
わかりやすいこと=正義/わかりにくいこと=悪
と価値づけをすることがさも当たり前かのようになっている。

オープンエンド授業に耐えられない子ども

教員時代に
正解のない問題を出したり
オープンエンドで終わるような授業をすると
必ず不安そうな顔をする生徒がいた。
「ひとりひとり違った答えがあってもいいんだよ」
どれだけ説明しても
「模範解答がなければ先に進めないから答えをください!」
と迫ってくる子もいた。
もちろん時間をかけて慣れていけば
どんな子も最後には生き生きと自分なりに考えるようになるのだけど
この「よくわからないあいまいな状態」に対する耐性が著しく低い子どもは年々増えている印象だった。

よくそういう時にはアンパンマンの話を出したりしていた。

アンパンマンという物語の奥深さは,
バイキンマンがどんなにしつこく襲いかかってこようとも
アンパンマンは絶対にバイキンマンを「除菌」しない。
毎回バイキンマンと戦うけれど
再起不能になるまで倒すのではなく,別の場所に飛ばすだけなのだ。
目には見えない菌をわかりやすく我々が「バイキン」と呼び
それを「悪」として捉えてはいるけれど,
それも人間の勝手な都合であって
この世から全ての菌がなくなってしまったら
それこそ人間だって生きてはいけなくなるよね。
だからアンパンマンはこの先もずーっとバイキンマンと共存し続けるんだ,と。

あいまいな状態は気持ちが悪い

時々,数学が得意な子に多かったが
答えが出ないことを
「スッキリしなくて気持ちが悪い」
と表現していたことがあった。

そう,この「あいまいな状態」は確かに不快感をともなう。
モヤモヤするとか
不安感が掻き立てられるようなこともあるかもしれない。
だから私たちはそれをすぐさま払拭したくなって
スマホに手を伸ばしてGoogle検索し
真偽の程もたいして確認せず
画面に表示された情報を
「求めていた答え」
として受け入れ,スッキリしようとする。

コロナ禍以降
学校で一人一台のタブレット端末が配布されてからは
こんな光景が学校でも日常茶飯事になった。
分からない状態でいる(不快な)時間を限りなく短くしたい子どもと
なにがなんでもICT・タブレット活用をさせたい大人(教員)
の利害が一致し(笑)
分からないことはタブレットで調べてみよう!
が,さも「正義」であるかのように言われるようになった。

子どもに教えることは・・・

人や物事というのは単純ではない。
いい人だと思っていた人にも悪い人の一面があったり
みんなから人格者として慕われていた人が不倫しちゃったりする。

どんなものにも多面性があって当たり前なのに
社会全体がそういうものを受け入れにくくなってきているように感じる。
とにかくシンプルでわかりやすくいものがウケる。
SNSやYoutubeなどのコンテンツは大概そういう構成になっている。
単純化しにくければ
いかようにでも「加工」できる時代なので
複雑なものはより一層敬遠されていくのかもしれない。

こんな時代だからこそ
子どもたちには
本人にとって予想外だったり
都合の悪い情報に敢えて触れさせることや
どうしたらいいんですか…(困)
という体験をさせてあげることが大切。
これまで当たり前だと思ってきた自分の価値観を疑ってみるという視点を子どもがもてるよう
アシストしてあげても良いかもしれない。

そしてそういう瞬間に味わう「気持ちの悪さ」も
成長の過程でとても大切な感覚なんだ,と
教えてあげなければいけない。

じゃないと
陰謀論にハマったり
SNSで投資詐欺にあったりしちゃうよ。
とも伝えたい。
あ、これは大人向けだったか。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?