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「自分には才能がないから稼げない」と思ったときにすべきこと



時々、素朴に思うことがあります。商売で稼げるようになるためにはどうしても「"商才"が必要ではないか?」。商才があれば心強い、なければ不安と‥‥。

商才とは“商いの才覚”を指します。

才覚ということはその人に備わっている生まれつきの“才能”(タレント)と、生れた後に身についた“感覚”(センス)のようなものです。



「この商売は儲かりそうか?」
「この商品は売れそうか?」

といったことに対し直観によって見分ける力
それが才覚であり、その才覚は理屈を超えたところに存在する本能的(タレント)かつ野性的(センス)なものと言ってよいでしょう。


つまり商才とは

商才(商いの才覚)=本能的才能(タレント)+野性的感覚(センス)

2つで成り立っているわけです。



しかし、長く経営をしてきて分かったことがあります。

本能的才能(タレント)か、野性的感覚(センス)

どちらか一つがあれば

商売には有益に働く


ということです。


私の場合、才能はもともと持ち合わせていませんでした。
しかし、小さいころ母の経営する駄菓子屋の手伝いをしている内に、商いの感覚、つまりセンスを自然に培っていたように思います。

また、自分自身が起業してからのいろいろな経営体験を通してもこのセンスはさらに多面的に育てられたように思います。

・センスは真似ることから体得できます
・センスは学習によって正しく育むことができます
・そして、センスは体験によって磨かれるものです



ですから、起業家の皆さんの中で、もし

自分には商才がない


と嘆いている人がいれば、それはタレントがないだけかも知れません。
センスはいくらでも身に着けることができます。


逆にタレントが感じ取れるのなら、その才覚をセンスとミックスして積極的に顕在化することです。

ここでいうタレントとセンスは、発揮されればされるほど、本人の起業活動において確固たる自己効力感になっていくと思います。
分かり易く言えば、

「自分の直感を信じることができるようになる」

と言うことです。


これこそが、最も優れた経営判断になります。



次に、商才の対極にある商道徳について解説します。
商道徳とは商売をする上での規範。
人間関係においては信頼や親しみ、さらに取引においてはご愛顧いただく重大な要素となるものです。


私は商法の上位概念に位置すると捉えています。
また、商才を発揮する際の司令塔(商いの中枢部)とも考えています。


もともと、商いというものは

「商品を売る前に売り手の人格を売る」


といった商取引の大前提みたいなものがあります。




あのイエローハットの相談役・鍵山秀三郎さんの言葉にもありましたね。

「最大のサービスは 君の人格を上げることだ」


と。



私の経験から申し上げますと商道徳は尊いもの。
商売をしていく上で最も崇高な価値観であり、会社にとっても日々研鑽していく無形の財産になると思っています。
所謂、会社の品格ですね。


商取引とは商法にのっとり契約行為の履行を意味します。
契約が履行されれば顧客の満足と引き換えに利益がもたらされます。
と同時に、商道徳の実践によって信頼関係が積み上がり、ご利益(ごりやく)がもたらされ安定かつ継続発展性のある取引が担保されるのです。

こうなると一見客から常連さんへと、真の顧客となるわけです。


中には信者として

売り手側の支援を自発的にしてくれる


顧客まで現れるのです。
ここに商売の醍醐味が存在します。



ただし、客観的に申し上げておきたいことが一つあります。

商才と商道徳には因果関係がないということです。

商才に長けているからと言って商道徳も備わっているとは言えません。




逆も然り。
商道徳が素晴らしいからと言って商才も伴っているとはなりません。

この部分は密接不可分なので調和しながら高めていく必要があります。
”止揚”を繰り返していき高次元にもっていくと言ってよいでしょう。

止揚(しよう)とは……あるものを否定しつつも全面的に捨て去るのではなく、積極的な要素を保存しより高い段階で生かすこと




『道徳なき経済は犯罪であり、

経済なき道徳は寝言である。』


あの有名な二宮尊徳のお言葉です。
言い得て妙な言葉ですね。核心を突いています。

これを私の言葉を変換しますと

❖解釈ー1:
『商道徳を軽んじ商才のみを発揮し儲けようとする商取引は犯罪に等しい。

しかし、商道徳をいくら重んじたからとて商才が発揮されなければ儲けは生まれない。

単なる道楽の域にあるだけ、自己満足の遊び事となっているだけだ』



さらに、具体的に説明するとこうなります。

❖解釈ー2:
『商売とは善悪と損得の掛け算である。

商道徳がない商売は顧客、社員、取引先、株主などすべての関係者に不幸をもたらす。つまり悪の存在となる。

同時に、商才がなければ儲けが出ない。

儲けが出ないということはやはり関係者の幸せを阻害する。

もし、儲けがないまま存在しているとなると存在自体が罪深いと言えるだろう』



また、社会的な視点からとらえると…、

❖解釈ー3:
『商売を実践するとは多くの社会資本を使う。

にもかかわらず儲からないとなるとそこには生産性がないことを意味する。

生産性のないところに社会的な価値は生まない。

その上、税金を一切払わない社会のお荷物となってしまうだろう。

これ自体がすでに社会悪に等しいと言える』

以上が二宮尊徳の言葉に対する私の解釈です。


二宮尊徳の言葉は、今年の2024年7月、日本の新1万円札紙幣の顔になる渋沢栄一の『論語と算盤』にも通じています。
「論語」とは道徳、「算盤」とは利益を追求する経済活動のことを意味し「利潤と道徳を調和させる」という経営哲学のことです。


確かに、商売において儲かるか儲からないかは、商才によって決まってしまうと言い切ることができます。
但し、この場合の商才とは、いっときの儲けを生み出す能力のことを指します。



そして、仮に儲かっていたとしても商道徳に反する商売を行っていたのではその商行為は継続されません。
なぜなら、社内からも対外的にも支持されなくなるからです。


もっと言えば、儲け続けることができなくなり、ついには破綻するという自業自得の結末を迎えるということです。


まさに”悪銭身に付かず”です。

「儲けてよい、しかし、儲け方にこだわれ」

「お天道様の下で正々堂々と商売をするのだ!」

昔の商人の心に息づいた武士道を貫くことです。



これらの考えを一言で言い表すとすれば・・・、

「商道徳は正しい儲け方にこだわる。商才は賢い儲け方にこだわる」

・「商道徳は徳をもって結果的に”儲かる”、商才は欲をもって端(はな)から”儲ける”を追う」

・「商道徳は理念に根差す。商才は戦略に生きる」

・「商才がなければ始まらない。しかし、商道徳がなければ続かない」

・「商法は法的正しさ、商道徳は人道的正しさ。そして、商才は経済合理性における正しさを意味する」

私の頭の中にある商道徳と商才の整合性は上記のような解釈となっています。


一つの真実です。

「商才があって起業したのならば、それは成功の確率が高い。また、商道徳があって起業したのならば、それも成功の確率が高い」

もう一つの真実です。

「商才がなくとも成功の可能性は秘めている。また、商道徳がなくとも成功の可能性を秘めている」


つまり、商才と商道徳、あってもなくとも確率や可能性はあるのです。


但し、この確率や可能性は起業時のその時点を指しているにすぎない。

問題は「企業の存在価値を継続発展できるか?」です。


企業はゴーイングコンサーンが命題です。
確率や可能性を引き上げゴーイングコンサーンを実現できればその企業は成功していると言えるでしょう。

*会社が将来にわたって継続していく前提を”継続企業の前提”ゴーイング・コンサーン(going concern)と言う。


そして、ゴーイングコンサーンを実現していくためにはどうしても

起業後の経営者の成長が重要


となります。
成長次第で企業の栄枯盛衰が決定づけられると言っても過言ではないでしょう。

もう一度申し上げます。
成長に向けた努力次第で、商才はいかようにも身に着けることができます。商道徳も同じく、いくらでも磨くことができます。


そして、最終的に大事なことは、商才と商道徳の両方がバランスよく成長を遂げ、ついには調和・統合されて(時に牽制しあい)”中庸”となっていくことです。  

*中庸とは偏らず、過不足なく調和がとれていること

商道徳と商才が初めからともに

そろった起業家は稀です。


成功した人たちは皆、そろっていなかったからこそ商才と商道徳を誠実に学習し続けたのです。
しかもすべて実践を通して・・・。



多くの起業家はその実践の中から葛藤と矛盾に出会い対峙し、苦悩を繰り返していきながら練られていく。
そして、いつの日か起業家を脱皮し上質な経営者の能力と人格を纏(まと)うのです。


◆まとめ

その1:商才は儲けることができるかどうかを決定づける。商道徳はその儲
    けを継続発展させられるかを担保するもの。
その2:商才には才覚(タレント)と感覚(センス)、どちらかを持ってい
    てほしい。タレントがなければセンスを磨け!
その3:最終的に商才と商道徳が調和していることで商売は正しく成長して
    いく!


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