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会社の成長のために、社員を変えようと一生懸命な社長が「社長失格」なワケ


「会社を成長させたい」

世の経営者はすべからくそう考えています。
私自身も起業時は会社を成長させようと必死でした。
しかし、途中から気づいたのです。

会社の成長は社長の成長にかかっている


と。よく言われる

「会社は社長の器以上にならない」

ということを自覚したのでした。

特に社員の離職に歯止めが利かなくなった時期には、経営者というよりは、私の人間的な未熟さを痛感しました。
退職者の原因は突き詰めると社長である私の言動が引き金になっていることが多かった。


当時の私はこんな状況でした。

「会社成長のために、社員を変えようと一生懸命だった」
「途中から、自分が変わらなければいけないと薄々分かっていても勇気が持てなかった」
「挙句の果て、自分は無理して変わる必要がない。などと開き直っていた」

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

これはカナダの精神科医 エリック・バーンの言葉です。
この言葉は言葉は重々承知していましたが、”自分を変える”とは至難の業だったのです。


なぜ、自分が変わることに躊躇してしまうのか?不安まで感じてしまうのか?挙句の果て、諦めてしまうのか?考えてみました。

もちろん見栄や面子もありました。
しかし、根底にあるのは私自身の弱さです。
その弱さとは

自分自身を持っていない


ことです。


「自分は自分でありたい」という自分像を持っていなかった。
「自分は自分を生きる」
という信念がなかったのです。

そして、経営者としては、

「このような経営者になりたい」

という理想像がなかったと言えます。


自分が変わるための意思決定ができないでいる内に会社は大きく傾きました。
それは、社員の定着が極端に悪化し始まったからです。
その時、初めて危機感を持ったのです。

「私が変わらなければ会社はなくなる。社員は路頭に迷う」

と恐怖心とともに真剣に自覚しました。
いや、否応なしに変わる決意をしたと言ってよいでしょう。
今思うと情けない決意です。


決意の脳裏には

「私自身が変わり成長することで社員も成長できる会社も結果として成長できる」

という考えがありました。 

人間は誰しも今までの自分を肯定したい。
まして、自信があり起業までした経営者にとっては確信をもって自己肯定している。私もご多分に漏れずそのような経営者の典型でした。


実際にはその自信、ほとんど過信にすぎませんでした。
この根拠の薄い、独りよがりの自己肯定感、それ以上に自己有用感が「自分を変えようとするブレーキ役」となっていたと思います。
結構、厄介なわけです。

厄介とは自身を謙虚に振り返り、内省力を働かせて自己成長に向けた正しい姿勢を築く阻害要因となっていたということです。

簡単に言えば

「自分が弱いが故に、これまでの自分を持っていたいという心理が強い」

と言えるでしょう。

しかし、これまでの自分に固執してしまうと、成長を放棄していることにもなる。

成長を放棄するとは

「自分を粗末に扱うこと」です。


真に自分を大事に扱うのであれば、自らの意思で「成長するために変化する」こと。




私の大好きな心理学者・アルフレッド・アドラーさんも

「人はいつでも変わることができる」
という勇気づけに満ちた言葉を残してくれています。


そう言えば、ダーウィン(イギリスの自然科学者)が言っていましたね。

『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは変化できる者である』

と。さらに、こんな言葉もあります。

『変えられるものは変える勇気を、変えられぬものは受け入れる謙虚さを』

(西洋の格言)


突き詰めれば、「万物は流転、人生も流転なり」。
森羅万象、すべてが変化する。
であれば、自分も無為自然となり、変化し続けることが自然の法則にも適っていると解釈できるでしょう。


このような捉え方は企業経営における組織論にも当てはまるように思います。

人と組織が固定化した時、退化が始まる

などと言いますね。「現状維持は衰退を意味する」という言葉にも一脈通じる。


溜まった水にボウフラがわくのは水が動かないから。
川の水は常に流れていればボウフラはわかない。
澱んでいてはダメ。

流れていること、動いていることが自然界の原理ということです。

この言葉は、人事、組織の硬直化においての典型的な現象に向けられたものです。





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