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マイストーリー①働きマンからバンコク駐在妻への転職


ここから数回にわたり、私自身について少し詳しく自己紹介していきたいと思います。


働きマンから専業主婦への転職


大学卒業後、外資系の金融機関に就職した私。

大学時代の仲間のひとりだった夫と結婚してからも大きく生活が変わることはなく、朝早くから夜遅くまで働きづめで、食事は外食やテイクアウトに頼りきり。

そんな生活スタイルがガラッと変わったきっかけは、出産でした。

初めての育児、そしてほぼ初めての炊事(爆)。
仕事で鍛えてきた知識やスキルが全く役に立たない世界で、毎日いっぱいいっぱい。

けれど、子供は本当に可愛くて

「この子を毎日長時間預けてまで、以前の職場に戻りたいのか?」

保活をしながらも、そんな疑問が頭の片隅に浮かんでは消え、また浮かんでは消え…を繰り返していた頃。

夫にタイ・バンコクへの赴任辞令がおり、私は退職することを決めて、家族でバンコクに帯同しました。


人に恵まれ、のんびり子育てしていたバンコク時代


それまで旅行でも一度も訪れたこともなかった東南アジア、タイ・バンコクでの初めての生活。

当時は息子がまだ一歳半と小さかったこともあり、治安・衛生・医療水準・教育環境など不安だらけだったけれど

渡泰してみると、タイは何事にもおおらかで、とても暮らしやすい国でした。

穏やかで、優しい国民性。

特に小さな子供に対しては、老若男女誰もが優しく親切で
子供と一緒にいて得したことは山ほどあれど、嫌な思いをしたことは一度たりともありませんでした。

懸念していた治安に関しても、よほど遅い時間にならない限り、女性ひとりでも安心して出歩くことができて

総合病院には日本語通訳が常駐していたり、日系のクリニックも多数。

幼稚園も日系だけで10園以上あり、みんなむしろ選択するのに苦労していたほど。

「アヤさん」とよばれるお手伝いさんやナニーさんを雇うのも一般的で、子育中の日本人ママたちにはこの上なく優しい環境でした。


そして何より大きかったのは、細かいことを気にせず他人と比較しない、のんびりおおらかな雰囲気。

息子は成長具合の凹凸が大きく、特に運動系の発達がゆっくりで、日本にいた頃は周囲からもたびたび指摘されていましたが

「のんびりしてるのは、彼の個性だよ」
「とっても可愛い、スペシャルな子」

とあたたかく見守ってくれる人たちに囲まれて、元来かなり心配性の私も、ゆったり構えて子育てすることができていました。


そんなふうに、バンコクで暮らし始めて二年半が経ち

「そろそろ、駐在期間も折り返し地点にさしかかったくらいかな?ここからバンコクでの生活をさらに深く味わっていこう」

と思っていた頃。

「ママ友」の枠を越えるかけがえのない友人たちとの出会いに恵まれて
新しいことにも挑戦してみようと計画を練っていた矢先に突然降ってきた、東京への帰任辞令。


夫から話を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になり、そこからしばらくはショックのあまり何も考えられない状態に。


けれど、このときはまだ、暮らし慣れた日本に戻り、自分が子育ての悩みのループにはまっていくとは、予想だにしていなかったのでした。


(マイストーリー②に続く)