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あの日から 着るべき服がわからない

前髪を伸ばし始めて、約二年になる。
それまではずっと、私は前髪を眉の下でパッツリと切り揃えていた。
今では左右に分かれて後ろ髪と同じくらいの長さに落ち着いているのだけれど、パッツン時代が長すぎたためか今でも鏡に映る自分に「こんな髪型だったっけ?」と戸惑うことがしばしばある。
前髪を伸ばそうと思い立ったのは、二年前に満員の東西線でひどい痴漢に遭ってからだった。

人で埋め尽くされているにもかかわらず、誰にも声が届かない恐怖
誰も助けようとも、力を貸してくれようともしてくれない絶望
このスーツの人たちは日本語がわからないのかもしれないとすら思えるほどの、完璧な無視

ああ、もう生きていたくないなとスッと心が冷たくなったその日のことと、その前後のことは「死にさらせ、痴漢どもよ!」と題してnoteにまとめた。

ただただ自分の身体から負と汚にまみれた感情を取り出して、どこかになすりつけてしまいたいという気持ちで書きなぐったFacebookをまとめたものなので、お世辞にも読みやすい文章とはいえない。
けれど、書かずにはいられなかった。

これを書かなかったら、私は犯人の指を切るまでナイフを片手に出勤するような人間になるところだった。
私が犯罪者にならなかったのは本当にたまたまで、翌日から持ち歩こうとカッターを買いに行った百均でスピッツの「空も飛べるはず」が流れていたからだった。
彼らの歌が入っていないBGMバージョンにもかかわらず、「隠したナイフが〜似合わない僕を〜」と歌詞が聞こえてきたような気がした。
まさにナイフを隠して出勤しようとしていた私はその歌詞に諭されるようにして、カッターの代わりに防犯ブザーを買った。

この音なら聞かないふりなんてできないだろう。これ見よがしに持ち歩くことで、痴漢の抑止力にもなるかもしれないし。
そんな効果を期待して、しばらくは片手に防犯ブザー、もう片手にゲロ袋を持って出勤し、帰宅するやいなやFacebookを綴る日常が続いた。


ゆっくりと、本当にゆっくりと気力が戻ってきたのは、文章を読んだ母が「ナイフに対抗できるのは、ペンの力だと信じています」とメールをくれ、知事や電車関係、新聞など各地に「なぜ大切な家族がこんな目に!」と私の文章をもとに訴えを広めてくれてからのことだった。

母や友だちの励ましを受けて少し元気になってから、私は痴漢に遭ったことがないという先輩や友人にメモを片手に話を聞くようになった。「ああ、なんだか痴漢に遭いやすそう」と面と向かって言われるのはけっこうグサリときたけれど、彼女たちを師匠と仰いで食らいつき、容姿を真似することにした。

まずは前髪を伸ばして、眉毛もしっかり描こう。
自信に満ちた言動と、はっきりとした色合いの服も印象的だな。

私はメモした彼女たちの特徴に沿って、少しずつ自分の外見も変えていった。
その後は会社の出勤時間をズラしてもらい、ほどなく始発のある駅に引っ越しもして、今ではブザーを持たなくても電車に乗れるようになったけれど。

もともと好きだったこげ茶やモスグリーンのような渋い色合いの服を着られるようにもなったけれど、痴漢対策用として買った真っ赤なワンピースやいかついフェスTシャツも手放せない(幸いにして私の会社は服装の規定は特にない)。そして電車内ではなるべく姿勢を伸ばし、前髪も伸ばし続けている。

だから小田急線で「勝ち組っぽい」と判断されて女子大生が刺されたというニュースが入ってきた時、被害に遭われた方々の心身の安否を心配するとともに、地面が砂のごとく崩れたような眩暈を覚えた。



勝ち組っぽい」「幸せそう
最初に襲われた彼女がどんな服を着ていたのか、具体的にはわからない。
けれど、私が痴漢対策に着ている強気に見える服や髪型こそが犯人にとっての「勝ち組的見た目」かもしれないと戦慄せずにはいられなかった。

痴漢に遭わないための見た目か。
ミソジニストを刺激しない見た目か。

いったい、何を着ればいいんだろう。
どんな髪型にすればいいんだろう。

……着ぐるみで出勤したいな。
着ぐるみを着ていけば私の真の見た目は人目に触れないし、私の身体に触れることができる人間もいない。
素晴らしいアイデアではないかと思ったのも束の間、満員電車において着ぐるみは場所を取りすぎて文句を言われそうだと気がついた。
しかも視界も悪く、刃物を振り回されたら逃げ遅れてしまいそう。

では、透明マント(ハリー・ポッターに登場する魔法のアイテム)を頭からかぶるのはどうだろう。服装も性別もわからないようにして出勤すれば、心理的にかなり楽だ。
誰か早く開発してくれないかなぁ。

荒唐無稽な思いつきばかり書いてしまったけれど、正直そのくらい追い詰められているんです。
そのくらい、まいっているんです。

本当は好きな服を好きなように楽しみたいし、一番似合う髪型で暮らしたい。
自分が自分らしく生きられる、そんな理想がどうしてこんなにも遠いのだろう。
ただ公共交通機関を使いたいだけなのに、どうしてこんなにも気を配らないといけないのだろう。
納得がいかない。

そんな気が滅入るような日々を過ごしていたある日、友人から「 #ikinokotta 」というSNSデモに参加しないかと誘いを受けた。
デモ自体は「#ikinokotta」とハッシュタグを付けてポストイットの写った写真を上げればOKとのこと。
この活動が少しでも生きやすさに繋がればと、切に願っています。

お読みいただきありがとうございました😆