恩師
先日、四月から毎週楽しみに観ていた『ドラゴン桜2』がついに、終わってしまいました。
視聴者の期待を裏切ることなく、第一シーズンのメンバーも全員出演し、ひっさびさに地上波の番組で興奮しました。
特に感動したのは、藤井遼(鈴鹿央士さん)の受験を通しての変化と最後に見せた優しさです。
桜木という人物との出会いが、彼の内面を変え、一人の人間として成長させました。
藤井にとって、”桜木”という一人の男は一生忘れらない恩師になると思います。
”恩師”
私には、”恩師”と呼べる人がいるだろうか。小学生から始まる私の学生生活を振り返ったとき、二人の先生を思い出しました。
一人は小学5年生の頃の先生。もう一人は高校2年生の頃の日本史の先生。
”受験にまつわる”という点で言えば、後者の先生ですね。
K先生。
これは私が高校2年生の頃のお話です。
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「りょう、次の授業なんだっけ?」
「日本史でしょ。てかKって誰?」
「いや俺知らんよ(笑)でも、なんか今年から赴任してきた先生らしい」
「へー、そうなんだ。楽しみだな」
「そろそろ始まる」
(チャイムの音♪)
「バンッッッッッッ(ドアの音)」
「はい。号令」
その男はチャイムの音と同時に、勢いよく扉を開けて入ってきた。ツーブロックで目つきも酷く、めちゃくちゃいかつい。可愛いところをあえて挙げるなら、見かけによらず、低身長のところだ。
当時、私は出席番号的に教卓の前の席だった。その迫力に背筋が伸びた。
「おい。お前、教科書は?なんで机の上に出てねーの?ふざんけな」
「・・・」
「おーい!!!!!!!!!!聞いてんだろ!!」
「あ、はい。えっと、すみません」
(いや、他のやつも教科書なんて出してねーだろ絶対...なんで俺なんだよ)
「すみませんじゃねーんだよ」
そこから授業の3分の2は私への説教だった。
授業の最後、残り10分くらいになったとき、K先生は今後の授業方針について一言述べた。
「俺は日本史しか教えんが、日本史については、お前らを早慶レベルまで叩き上げる。じゃあ、今日は早いけど、終わりだ。」
「....」
そういって、私たちの日本史の最初の授業は終わった。
5分休憩になると、皆んなが私をからかいにきた。
「まじ笑ったわ(笑)いきなりすぎだろ」
「いやほんと...心臓に悪いわ」
「てか、あいつなんて言ってた?(笑)早慶?無理だろ(笑)」
K先生が放った言葉。”早慶レベル”。
そりゃあ、誰もが笑う発言だった。偏差値50あるかないかのレベルであった私の高校で、早慶なんて狙う人がいるはずなかった。ましてや、MARCHとか関関同立と称される類の大学を受ける生徒さえいなかった。
でも、私はK先生の、あの熱い一言に心を動かされた。
「本気でこの先生についていってみようかな」
根拠もなくそう思った。
それから始まった日本史の授業。K先生は黒板に気持ちが悪いほどの情報を書き、ノートの空白がなくなるくらいに埋めることになった。毎授業が厳しく、「誰がこんな問題出すの?」といういわゆる奇問のような知識まで叩き込まれた。
そのおかげで、私のクラスの生徒は日本史の模試の点数が異様に高く、その平均点は特進クラスよりも上だった。
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3年生に上がると、私は日本史を、K先生ではない別の先生に教わることになった。
勉強に身が入らないとき、少しでも励ましてもらいたくてK先生に相談に行った。
「甘ったれんな」と厳しいことを言われることもあった。
それでも、あの言葉を信じ、かねてからの夢であった東京の大学を受験することに決めた。
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3年生の冬。
私立大学の受験当日。
今でも鮮明に記憶に残っているのは、中央大学の日本史の試験。
出題範囲の半分がK先生に教わった部分だった。
解きながら、「受かったら絶対K先生に報告しよ」と心の中で呟いた。
K先生は私が東京の大学を受験することを知らなかった。
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結果は中央大学、合格だった。
早慶に合格することはできなかったけれど、それでも、当時の私にとっては快挙だった。
すぐにK先生に報告しようと思ったのだが、一年の疲れが出てしまったのか、高熱を出してしまい。結局、挨拶できぬまま卒業式を終えてしまった。
「もう、いいかな。K先生も、他の先生から俺が合格してることを聞いているだろうし」
何も言わず、東京へ出発しようか考えた。
でも、やっぱり礼儀として、そして、「先生のおかげです」と言いたかった。
このまま東京に行くことはできない。
東京へ行く前日、春休みに入った学校へK先生に会いに行った。
「K先生」
「おう。なんだ」
相変わらずの怖い表情だった。
(やっぱ来るの間違えたかな)
「先生、俺中央大学合格して、入学することに決めました。先生が高2の最初の授業で"お前らを早慶レベルまで上げる"って言っていた一言がすごく響いて、それを信じて頑張りました。試験の当日も先生に教わった範囲が出て全部解くことできました。本当にありがとうございました」
すると、先生は静かに右手を出してきた。
「おめでとう」
目頭が熱くなった。でも、今は泣いちゃダメだ。
「ありがとうございます」
「俺はお前らをその水準まで高めることが目標だった。東京でも頑張れよ。ありがとう」
いつにない笑顔で肩を叩いてくれた。
「はい!頑張ります!失礼します!」
校門を出て、自転車を漕いでいるとき、涙が溢れた。
「なんで先生が”ありがとう”なんだよ。感謝したいのはこっちだよ」
いい先生に出会った。自分の人生を変えてくれた、大切な恩師。
あれから、4年。
K先生は高校の教師を辞め、今は別の教育機関で働いているということを風の噂で聞いた。
先生は今もきっと、誰かの背中を押している。
厳しくも、優しさのある先生。
いつか、もっとビッグになって、先生に会いに行きたいです。
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