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声を出したほうがライブが盛り上がる理由

先日「リンゲルマン効果」についての話をした。
観客が多いほど1個人は拍手や歓声が小さくなるという「社会的手抜き」のことである。

今日はコロナ禍を経てすっかり鳴かぬホトトギスと化した観客について考えてみようと思う。

ライブハウスでの声出しが解禁されて以降、ライブ中の歓声が以前より小さいことは気になっていた。それでも自分がファーストペンギンとして先駆けて声を出すことで周囲が追随するだろうと思っていたら、何と先日見かけたバンドではファンが殆ど声出し(ここではメンバーの名前を呼んだり、MCや煽りに対する反応を指す)をしておらず、ファンではない私がこれでいいのだろうかと心配になるほどだった。

川島隆太氏の著書「オンライン脳 東北大学の緊急実験からわかった危険な大問題」を読んで私なりに考えてみた。
無観客の配信ライブを見ているとき、オーディエンスは「何もせずぼーっとしている」ような脳の状態だという。それが続いたことで、ライブという双方向型の体験についても反応が鈍くなってしまったのだろうか。私は映像は大画面で見たいので、パソコンをテレビに繫いで配信ライブを見ていたが、多くの人はスマホの画面だっただろう。そして画面が小さければ小さいほど脳の活動は抑制されるという。
ということは、小さな画面で配信ライブを見て、演者からのアクションに対する(歓声での)反応も制限された期間を過ごした多くのオーディエンスは、すっかり脳が鈍くなってしまったのではないだろうか。
そしてそのせいで、演者とオーディエンスが呼応しあい、協力して作り上げていたこれまでのシステムが崩れかけているのではないだろうか。

観劇やセミナーのように観客が声を出さないことが前提の場面であっても、演者や話し手に対して反応のしようはあるかと思う。目を合わせたり頷いたりといった"反応"を返すことで、また演者側が何らかのアクションを取る。この相互作用によって脳の同期状態が起き、場の雰囲気というものが双方の協力で作り上げられていく。

つまり、鳴かないホトトギスを待っているだけでは、場が温まらない。何でもいいからオーディエンスのスイッチを入れなければならない。

私が応援しているRides In ReVellionが以前、配信ライブでコメントをしやすくするために「皆で1回"あ"ってコメントしよう」と促したことがある。これは実際のライブでも有用ではいかと考える。
ジャンルを問わず、「盛り上がっていこうぜ!」といったライブで定番の煽りがあると思うが、あの時に、リンゲルマン効果も起こさせず、なるべく全員に声を出す(=何らかの反応をする)ことを求める。「全員手を上げて」「皆で歌おう」といった呼びかけも有用だろう。

ホトトギスは鳴けないわけではない。
鳴かせてみよう。
思い出そう。
共に熱いライブを作り上げるために。




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