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ナメられないために、彼女がしたこと。

スリー・ビルボード

この映画には二回ほどフラれてまして。一度は満席で見たい時間に見れず、一度は上映時間を間違えて見れず。何度もご馳走を目の前にして取り上げられる感じとはこういうこと…。

数々の高評価を目にして、耳にして、私が書けることって何だろうか。

ミルドレッド役のフランシス・マクドーマンドが、凄い。それだけは言い切れる。当然のことかもしれないけれど。

米ミズーリ州の片田舎の町で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、解決しない事件への抗議のために町はずれに巨大な3枚の広告看板を設置する。それを快く思わない警察や住民とミルドレッドの間には埋まらない溝が生まれ、いさかいが絶えなくなる。そして事態は思わぬ方向へと転がっていく。(映画.comより転記)

この「主婦」ミルドレッドの出で立ちがまずすごい。これから戦闘にでも向かうんじゃないかというようなつなぎ服に短髪をひっつめてヘアバンド、そしてノーメイクだ。

一般的な母親像を想像できるかというとそれはほとんどない。しかし彼女はその出で立ちとは裏腹に、心に深い悲しみを抱えている。その傷を隠そうとしてのあの格好なんだろう。(とはいえ、娘と最後に交わしたやりとりが罵詈雑言の浴びせ合いからすると、娘がいた時からこの服装だと思うんだけど)
これが、白いブラウスにふんわりスカート、カーリーブロンドヘアに赤いルージュで目に涙浮かべながらだなんて、ストーリーにすらなっていない。とにかく外見からして、凄味しか感じない。

この映画には、ミルドレッド以外にメインキャストが二人いる。警察署長のウィロビー、巡査のディクソン。思慮深く人望も厚いウィロビーに、差別主義者でマザコン、脳ミソ筋肉のディクソンのどちらが欠けていてもこの物語は成立しなかったし、特にディクソンの存在はめちゃくちゃデカイ。だけど、私にとってはミルドレッドを引き立てる役でしかなくて。

誰が正しいとか間違っているとかそういう追求めいたものはこの物語にはあまりなくて(いや、あるんだけど)、汚い言葉が飛び交い、暴力で持って現実に対峙する男や女の姿が描かれているんだけど、なんだかそれも仕方ないよな…と思えてくる。100%清廉潔白な人間なんて、いないよね。

それと、冒頭と途中流れるアイルランド民謡「庭の千草」が印象的すぎて、その澄んだ音色に、この物語の全てが集約されるような気がした。

なんでこの曲なんだろう。キレイごとにも聴こえるその美しい歌声は、私の心を鷲掴みにした。もっと激しく轟くようなBGMでもよかったハズだ。でもそうしなかった。ミルドレッドにもウィロビーにもディクソンにも共通するある種の心持ちが、この曲で表現されているように感じた。

母は娘の無念を晴らしたい一心で立ち向かった。女は女であることを捨てつつも、時にそれを武器にし、信念を貫いた。同情なんて要らないし、ナメられるなんて以ての外。その気持ちが痛いほどわかった。彼女のしてきたことは、全てが正しくもない、けれど私は見ながら全力でミルドレッドを応援していた。他のどの登場人物よりも彼女が魅力的だった。それは私が女だからかもしれないし、彼女のようには決してなれないから、ある種の憧れのようなものも含まれるのかもしれない。

それにしても、ディクソンのお気に入りソングがABBAの「チキチータ」なんですよね。ABBAファンからすると、マジかい!と思えてくるんですが、これがまた絶妙で、ニヤリとしてしまった。ノリノリのサム・ロックウェルが巧い。

2018年26本目。TOHOシネマズ西宮OSにて。

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